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Democratic Empire 〜民主帝国の皇帝〜  作者: 一匹狼
エスターライヒの残像
12/17

前触れ

画像あるよ

 東アジア大戦が終結した頃、ヨーロッパではすでに歴史が動いていた。

 ロニーはそれを知っていた。知っていながら、止められなかった。

 報告書が執務室に積み上がっていた。ロニーはそれを一枚ずつめくりながら、静かに読んでいた。

 ワルシャワ・ミンスク共和国、消滅——

 モスクヴァ国、ハンガリア国に降伏。実質的な傀儡化を確認——

 ハンガリア国、バルト帝国・ゲルマン民族社会主義共和国・モスクヴァ自治政府との連合協定締結。「ヨーロッパ連合(EU)」発足——

挿絵(By みてみん)

 ロニーはファイルを閉じた。

 速い。

 東アジア大戦の間、ハンガリア国は一度も手を緩めなかった。デイヴィッドが西に目を向けている間に戦争をしていたように、ロニーが東に目を向けている間にヨーロッパの地図を塗り替えていた。

「これが、奴の計算だったか」

 ハルトが作戦室に飛び込んできたのは、その日の午後だった。

「ロニー、シベリア国の動向を見ろ」

 地図を広げた。シベリア国の国境沿いに、モスクヴァ自治政府軍の集結が確認されていた。さらに——義勇軍の旗が混じっていた。

「義勇軍」ハルトは言った。「ハンガリアが送り込んだ連中だ。表向きは民間人の志願兵だが、装備が軍と同等だ」

 ロニーは地図を見た。

「なるほど。」

 表立って参戦しない。しかし義勇軍という形で実質的な戦力を送り込む。シベリアを取ることでロニーのエスターライヒ再構築計画を邪魔し、同時に勢力を広げる。しかしハンガリアの国旗は立てない。なぜなら——

「国境がエスターと隣り合うのを避けている」ロニーは静かに言った。

 ハルトが顔を上げた。「見抜いたか」

「最初から見えていた」ロニーは地図から目を上げた。「シベリアを取ればエスターと国境を接する。そうなれば、今度は奴が守勢に回る必要が出てくる。だから傀儡に取らせる」

「ならば——」ハルトは地図を叩いた。「今すぐ動くべきだ。シベリアが取られる前に、こちらが先に手を打てば——」

「無理だ」

 ハルトが眉を上げた。「無理?」

「軍の再建が終わっていない」ロニーは言った。「東アジア大戦で失った戦力は、まだ半分しか回復していない。今動けば——」

「しかしシベリアを取られれば——」

「ハルト」ロニーは静かに遮った。「相手はEUを組んでいる。ハンガリア、バルト、ゲルマン、モスクヴァ。四カ国連合だ。今の帝国の戦力でそれと正面からぶつかれば——」

「……」

「九十九パーセント、負ける」

 作戦室が静まり返った。

 ハルトはしばらく地図を見ていた。それから、苦い顔で言った。「空軍対策も、全くできていない」

 ロニーは言った。「帝国に空軍はない。今ハンガリアと戦えば、空から一方的に叩かれる。それで終わりだ」

 ハルトは椅子に深く座った。「……じゃあ、シベリアは」

「見ていろ」

「見ていろって——」

「今は見ていることしかできない」ロニーは静かに言った。「それが現実だ」

 ハルトはロニーを見た。その横顔に、珍しく、苦さがあった。歯を食いしばっているような、静かな怒りが滲んでいた。

 悔しいんだな。

 ハルトはそれ以上何も言わなかった。


 数か月後、報告が届いた。

 シベリア国、モスクヴァ自治政府軍および義勇軍の侵攻により降伏。シベリア国領土、モスクヴァ自治政府によって併合——

挿絵(By みてみん)

 ロニーはその報告書を読んだ。

 机に置いた。

 何も言わなかった。



 ブダペストの総督府、最上階。

 アレン・デイヴィッドは豪華な玉座に深く座り、報告を聞いていた。

「シベリア国、完全制圧確認。モスクヴァ自治政府への併合手続き、完了しました」

「そうか」

 アレンは目を閉じた。

 しばらく沈黙した後——笑い始めた。

 低く、静かに始まったその笑いは、やがて総督府の広間に響き渡るほどになった。高らかに、天井に向かって笑い声が上がった。

「ロニー・フォン・エスターライヒ」アレンは玉座に座ったまま、天井を見上げて言った。「今頃どんな顔をしているんだ? 悔しくて、歯を食いしばっているか? それとも——あの無表情のまま、何も感じていないふりをしているか?」

 笑いが収まった。目が細くなった。

「お前はあの頃から変わらない。いつも俺の上にいた。いつも、俺より先に答えを出していた」

 アレンはマスクに手を当てた。素顔を隠すそのマスクの下で、口の端が上がった。

「だが今度は違う。ルイス・エイデンはもういない。今の俺はアレン・デイヴィッドだ。そしてお前は——俺が誰かも知らない」

 そこにドアが開いた。

 入ってきたのは、がっしりした体格の中年男だった。作業着のまま、油で汚れた手を拭きながら歩いてくる。

「総督! 聞いてくれよ! やったぞ!!」

 ベイリー・ロバートは興奮した顔で書類の束を叩きつけるように机に置いた。

「今度はなんだ?」

「新型だ! 今までの爆撃機とは次元が違う!航続距離も、爆弾ももっと積める! これがあれば、空から何もかも終わらせられる!」

 アレンはベイリーを見た。

 それから、静かに笑った。

「そうか」

「そうかって、もっと喜べよ!!」

「喜んでいる」アレンは言った。「ただ、今は別のことを考えていた」

 ベイリーは首を傾げた。「何をだ」

 アレンは立ち上がった。窓の外、ブダペストの夜景が広がっていた。

「旧友への、挨拶状だ」

 ベイリーは意味がわからないという顔をした。しかしアレンの横顔を見て、何も聞かなかった。

 二人は並んで窓の外を見た。

 やがて、二人の口の端が同時に上がった。



 ヴェルナの執務室。

 ロニーは遅くまで残っていた。

 机の上に、一通の手紙があった。エルヴィンに書きかけた手紙だった。あの北京の一件から、二人は一度もまともに話していなかった。

 ロニーはペンを取った。

 エルヴィン、あの時俺は——

 そこでドアがノックされた。

「何だ」

 入ってきたのは、グラウだった。その顔が、いつもと違った。

「皇帝陛下」グラウは静かに言った。「エルヴィン様が——見当たりません」

 ロニーはペンを止めた。「何?」

「今朝から、どこにもいません。護衛も、書記官も、誰も行き先を知らない。目撃情報も——」グラウは言葉を選んだ。「一切、ありません」

 ロニーは立ち上がった。

「さらわれたのか」

「わかりません。争った形跡はない。しかし荷物も持っていない。自ら出ていったのか、連れ去られたのか——」

 ロニーはしばらく動かなかった。

 手紙が、机の上に残っていた。書きかけのまま。

「……全国に知らせろ」ロニーは静かに言った。「エルヴィン・フォン・エスターライヒの失踪を。目撃情報があれば即座に報告するよう、全部隊に命じろ」

「はい」

 グラウが退室した。

 ロニーは一人、執務室に残った。

 書きかけの手紙を見た。

 謝ろうとした。それが——

 ロニーはゆっくりと手紙を手に取った。それから、引き出しの中にしまった。

 窓の外、ヴェルナの夜が広がっていた。

 アジアの大国となったという誇り。

 だがシベリアはハンガリアの手に渡った。エルヴィンは消えた。ヨーロッパにはEUが生まれた。

 それでもロニーは立っていた。

 ただ、その目に、今まで見たことのない何かが宿っていた。

 怒りでも、悲しみでも、焦りでもない。

 もっと深いところにある、何かだった。

画像はMapChartで作りました

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