第22話
時を同じくして、叉胤はクラウドを追って砂漠の上空を飛行していた。
眼下にはどこまでも続く砂漠に点々と瓦礫が散る。来た道行を見れば、瓦礫は僅かに残った街道の名残だった。街道の先には、クラウドが連れて行かれたのであろう渦巻く風に覆われた巨大な石造りの神殿がある。気流が荒く、風が結界の役割となっているようだ。
「っ! あれは……」
叉胤は地に降り立ち、崩れかけた門柱の陰に身を滑り込ませた。そして心を落ち着かせようと自らの胸を握った。
結界前には黒髪の男が一人。見間違いでなければ、魔界の中で最も会いたくない人物である。
「なんで、こんなところに……」
「叉胤、隠れてないで出てこいよ」
叉胤はびくりと肩を震わせた。気配を消していたはずなのに。
「出られないなら、こちらから行こうか」
「……ッ!」
一瞬にして男が目の前に現れる。彼は禁忌を犯すまでは同僚であり、友人であり、そして――恋人だった人物だ。
「枇皇……」
膝が震える。人間を助けた瞬間を目撃し、一瞬にして優しい仮面を脱ぎ捨て、自分を監察役に突き出したのは他でもない彼である。
枇皇が喉で笑った。そして叉胤の肩をゆるりと撫でる。
「久しぶりだ。三百年ぶりか? 霤碧様の件の時は、内戦に駆り出されて結局会えず仕舞いだった」
「……会う、つもり、なかった、くせに」
叉胤は拳を握りしめた。
怖い。捕らえられた時を思い出す。あの時間は地獄より他になかった。自分でも毎日の拷問に良く耐えたと思う。
「何を逆恨みしてんだ。人間に寝返る、なんて禁忌を犯したのを見逃せる奴が魔界にいるか? ぁあ?」
すごむ枇皇の手が喉に当てられる。
「お前の核はここにあったな。俺が術を放てばどうなるか、頭の悪いお前だって理解できるだろう」
「……ッ」
冷や汗が流れる。しかし意識の底で畏縮しているのか、指先一つ動かせない。死にたくなんてないのに。
風の渦巻く音だけが嫌に大きく聞こえた。
「いい子だ、叉胤。そのまま動くなよ。元恋人のよしみだ。すぐ楽にさせてやる」
喉を掴む枇皇の手に力が込められていく。息が詰まり、飲み込めぬ唾液が流れ出る。
「く、ぅ……」
喉の核が熱い。体が壊れていく。目の前の男が滲んで見えるのは、涙故か、死の際故か。
「さらばだ、叉胤」
パキッと核が砕ける音が耳に響いた。その瞬間に訪れた喪失感は言い表すことができなかった。地に崩れゆく自らの体。呼吸をしても、穴が開いた風船のように空気が抜けていく。折角ナシュマという恋人やソギたち友人ができたのに命が消えてしまうのは、嫌だ。
「ふん、核の傷程度では死なんか。さすがは親衛隊に名を連ねただけはあるな。ならば死ぬまで苛んでやる。お前の苦しむ顔を見るのは、絶頂に相当する快感だ」
「……ッ!」
唇が僅かに震えるだけで声が出なかった。傷つけられた核。元恋人の殺意。動かぬ体。絶対的不利な状況。打開策は何一つ見い出せない。
「どう殺されたい?」
枇皇の指先が腕に当てられた瞬間、腕の骨が砕かれて叉胤は出ぬ声で叫ぶ。
「ふん、核を傷つける前に嬲れば良かったな。お前の悲鳴が聞けなくて残念だ」
枇皇に蹴られて叉胤は転がり俯せになった。銀灰色の羽根が風に舞う。
枇皇が笑った。
「あの頃の俺は、お前の翼が綺麗だとそう思っていた」
髪を掴まれ、虚ろに見えた枇皇の表情は悪意に満ちている。そして右の翼の根元に手を当ててきた。
嫌な、予感。
「知ってるか? どこかのお伽話だ。その昔、翼を持つ者が罪を犯し、そして罰として翼をもぎ取られたそうだ」
「!!」
刹那、背中に激痛が走った。腕の骨を砕かれた以上の痛みだ。地に溜まっていく透明な液体が自分のものだと理解するのに、それなりの時間が必要だった。大量に散る羽根が自らに降り注ぐ。まるで、死者へ贈られる手向けの花のように。翼の残骸が目の前に投げ出され、魔力を失ったそれは崩れるように消滅した。
「ぅ……」
「まだ意識を保つか。しぶとい」
左の翼に掌が当てられた。叉胤は改めて自分の死を覚悟した。
だが、それを打開したのは一本の矢だった。白い軌跡を描きながら枇皇の許へ飛んできた矢は、威嚇をするように彼の傍を通過し背後の石壁に突き刺さる。
光を背負うソギの姿は、髪の銀色が美しく輝いて見えた。
「叉胤から離れて!」
弓を引き絞りながらソギが叫ぶ。
「ぁあ? また鼠が盾突きやがったか」
「…………」
逃げて、と言うこともできない。どうにかして枇皇を止めなければソギの命が危ないのに。気づいた時には自分の傍らから枇皇の姿は消え、彼はソギの前へと移動していた。
「……に命令などできる立場じゃ……だ」
「叉胤……て……」
二人の会話が徐々に遠ざかる。彼等が離れて行くのではない。離れ行くのは、意識か魂か。涙が流れる。叉胤は動く涙すら羨ましく思いながら、意識を深き闇へと落としていった――。




