第18話
白夜の案内で辿り着いた場所は、草原が地平線まで広がっている。どこまでも続く緑の大地には背の高い木もなく、吹き抜ける風に草がさわりと笑った。
何もない、緑と風だけの場所にヨハンは呆気にとられる。
「ほんっと何もねぇな。ここに神殿あるのか? 深紅の森みたいな祭壇すら見当たらんが」
「鵠僖様に教えてもらったの、ここ」
「叉胤、魔界のどの辺だ?」
「空から見た感じだと、王城を基点にして歩いて三日ほどの距離かな。王族諸公が訪れる保養地だと思う」
「カズキ、何か感じるかい?」
「う~ん何も。白夜、本当にここなの? 間違ってない?」
「記憶見る?」
「だから、絶対見ないってば」
カズキが白夜からぷいっと視線を逸らした。可愛い反応だと思いながら、ヨハンは大の字に寝転がると体を伸ばす。赤い空は未だに不思議だ。
「ん?」
みしり、と地面が軋む音がした。
「……? ……ぅおーっ!?」
途端に目の前が暗くなり、自分が階段から転げ落ちたことに気づいたのは、それなりの時間を要した。最初に慌てて下りて来たのはソギだった。
「ヨハン、大丈夫っ!?」
「何とか無事だ。さすがにびっくりしたぜー」
ヨハンは起き上がって頭を掻いた。改めて周りを見渡すと、人二人がすれ違えるかほどの細い階段を落ちたようだ。地上の光は身の丈三倍の頭上にある。
「ここ何?」
「さてなぁ。祭壇か何かあるかと思ったんだけど違ったか」
「ハズレだね」
「きたい損」
「辛口なお子様たちだな。ん? いや、ちょっと待てよ」
壁を軽く叩いた。自分の体がぶつかった時の感触が、普通の壁のそれとは違った気がするのだ。思い違いでなければ、壁の向こうに空洞がある。
すると階段と壁の境に、指が入るか入らないか程度の隙間があった。そこから僅かながら風が流れてくる。壁は持ち上げようと思えば持ち上がりそうであり、ヨハンは肩をぐるりと回し気合いを入れると、隙間に指を入れて壁を持ち上げた。かなりの重さだったが、ゆっくりと、低い音を立てながら壁が持ち上がっていく。
「これは……」
祭壇でもあるのだろうと思ったが、見渡す限りの砂漠が広がっていた。召喚士の都にあった宝物庫のように違う空間へ繋がるそこは、聖獣との関係が濃厚である。ナシュマが砂漠に歩を進め、しばらく辺りを見渡して渋面を作りながら戻ってきた。
「聖獣関係で当たり、だとは思うが」
ナシュマが息を大きく吸い込む。
「不安定だ」
「どういうことだ、兄貴?」
ヨハンは一度壁から手を離し二の腕を揉みほぐす。持ち上げた壁は、開いた位置で留まることなく自然に閉まった。
「魔界側と向こう側の境目が不安定なんだ。壁を開けるたびに繋がる場所は一定じゃない。砂漠からこの壁に干渉できないから、壁が閉じれば砂漠に閉じ込められる」
「なるほどな」
頷いて顎を撫でた。つまりは開けていなければ旅を進められないと言うことだ。筋力だけなら仲間の誰よりも自信がある。自分がやれるだけやってみるしかない。
「行ってこいよ」
「ヨハン!?」
心配そうにソギが服の端を掴んできた。震える手にソギの想いが窺える。
「この壁重たそうだった。どれだけ時間かかるか分からないんだよ」
「ソギ、ありがとな。でも多分この壁の扉を支えてられるのは、この中でも俺だけだ。筋力が取り柄ってな。お前達が帰ってくるまで意地でも耐えてやるよ」
「僕も残――」
「ソギは皆と一緒に行け。生き物がいるなら、道案内できるのはやっぱりソギだけだ。それぞれ役割あるだろ」
泣きそうな恋人を抱きしめて頭を撫でた。小さな体も震えている。
「気をつけて行ってこい」
「格好つけちゃってさ。まぁ閉まるのは困るから任せるけど」
「おう、任せとけ」
「皆、ちょっと待ってて」
ソギが階段を上がり、やがて一羽の白い小鳥を指に止まらせて戻ってきた。
「ヨハン、何かあったらこの子で知らせて。約束だよ」
「分かった、約束する」
ヨハンは今一度気合いを入れ、再び壁を持ち上げる。砂漠から吹く風が心地好く身を包んだ。
「なるべく早く戻るようにするよ。ヨハン、ここは頼む」
「ああ。何か分かるといいな。クラウドもソギのこと頼むな」
「ヨハン」
駆け寄ってきたソギが、珍しく人目を憚らずにキスをしてきた。
「行ってきます」
そう言った彼の薄水色の瞳は濡れている。ヨハンは必ずやり遂げると心に誓い、小さくなっていく彼らの背中を眺め続けた。




