第8回「世界の危機と、魔法少女の卒業」
世界が、割れる。
そんな凄まじい音が、真夜中の高層ビルの屋上に轟いていた。
バリバリと空間に亀裂が走り、そこから噴き出すのは、鼻を突く強烈な硫黄の臭いと、肌を焦がすような熱風。
天を突くほどに巨大な、闇の結晶をまとった最後の魔獣が、無数の触手を蠢かせながら咆哮を上げていた。
「ギガァァァァァァッ!!」
突風が吹き荒れ、ピンクのフリフリ衣装の裾が激しく翻る。
私は星のステッキを両手で逆手に握りしめ、冷や汗が目に入るのを防ぐためにきつく瞬きをした。
横を見れば、心愛、凛、ひまりの三人が、限界を迎えた身体で息を切らせている。衣装はボロボロに裂け、剥き出しの肌には痛々しい擦り傷。
だが、彼女たちの瞳から、光は消えていなかった。
「みんな、これが最後の仕事よ!」
私は、もはやロリ声を作る余裕もなく、ガチの営業部長のようなトーンで声を張り上げた。
「進捗率は九割! 残りの一割、全員の全リソースをこの一撃に投入して、完全定時退社(世界平和)をキメるわよ! ついてきなさい!」
「「「はいっ!!」」」
少女たちの弾けたような返声。
私の指示に従い、三人が同時に跳躍した。凛の氷の矢が魔獣の足元を凍りつかせ、ひまりの光の網が触手を縛り上げる。
「心愛ちゃん、トドメよ!」
「うん……っ、これで、終わりッ!」
私の咆哮に合わせ、心愛がステッキを天に掲げた。集束する圧倒的な光の質量。
まばゆい閃光が夜空を真昼のように照らし出し、魔獣の巨体を容赦なく貫いていく。
『ギ、ガ、ガ、ガ……ッ!?』
最後の魔獣が、ガラスが砕け散るような音を立てて、光の粒子へと霧散していった。
黒い霧が晴れ、雲の切れ間から、本物の、美しい満月の光が屋上へと降り注ぐ。
「……終わった、の?」
ひまりがへたり込み、パチパチと瞬きをする。
街のノイズが、遠くから静かに戻ってくるのが聞こえた。世界の危機は、完全に去ったのだ。
『やったキュン! みんな、本当に世界を救っちゃったキュン!』
どこからともなく現れたポンコツ妖精が、空中で狂ったように回転している。
だが、その毛玉の身体は、どこか薄暗く透け始めていた。
『役目は終わりキュン。これから、みんなの魔法少女の力と……それから、この戦いに関するすべての記憶を消去して、普通の女の子に戻すキュン。それが世界のルールなんだキュン』
妖精の言葉に、私は心の底からホッとした。
(あぁ……、やっと終わる。
これで、痛々しいロリ擬態の黒歴史も、全部綺麗さっぱり消えてなくなるんだ。
この三人と別れるのは淋しいけど、前途ある未来のためにも、こんなくたびれたお姉ちゃんにいつまでも関わっていちゃいけない。みんな、素敵なレディになるんだよ)
二十四歳の大人として、これ以上を望んではいけない。明日からは、また普通のくたびれたOLに戻るのだ。
しかし。
「――その記憶消去、ちょっと待って」
静寂を破ったのは、心愛の、驚くほど冷徹で、落ち着いた声だった。
「え?」
私が間抜けな声を上げる。
心愛は、ふわりと変身を解き、いつもの小学生の私服姿に戻りながら、ポケットから一枚の綺麗に折り畳まれたプリントを取り出した。
「妖精さん。あなたが最初に私たちと交わした約款、および契約書の第三条第五項には『重大な過失、または精神的苦痛を伴う場合を除き、被契約者の同意のない記憶処理は行わないものとする』と明記されています」
凛が、自身の防犯ブザー付きのスマホの画面を、妖精の目の前に突きつける。
「私たちは、ななこちゃんとの思い出を失うことに対して、多大な精神的苦痛を感じると断定できる。よって、記憶消去の強行は、契約不履行および人権侵害として、然るべき法的措置、あるいは魔力的な対抗手段を講じます」
ひまりもまたうなずき、ステッキをコツン、とコンクリートに叩きつけた。笑顔だが、目が完全に笑っていない。
「ウチら、リーダー(お姉ちゃん)から『理不尽な押し付けには大人の交渉術で戦え』って教わってきたんだもん。妖精さん、ウチらとガチで揉める気ある?」
『キュッ……!? な、何その、弁護士みたいな論理的包囲網は……!? 小学生が使っていい言葉じゃないキュン……!』
妖精が、恐怖でブルブルと震えながら、みるみるうちに縮こまっていく。
(私のせいだーーーーーっ!!!)
脳内で絶叫した。
私がこれまでの戦いや日常で、彼女たちに叩き込み続けた「汚い大人の世渡り術」が、ここで完璧な武器となって妖精を論破していた。
「ななこちゃん」
心愛が振り返り、私を見つめた。
変身が解け、二十四歳のスーツ姿に戻った私。百五十センチメートルの私と、彼女たちの視線の高さは、ほとんど変わらない。
心愛の手が、そっと私の、大人の、少しカサついた手を握りしめた。
その手のひらの熱が、私の指先へと伝わってくる。
「私たちは、お姉ちゃんを忘れたりしないよ。魔法少女はこれで卒業だけど……私たちの関係は、これからだもん」
凛が私のスーツの袖をきゅっと掴み、悪戯っぽく微笑んだ。
「うん。ななこお姉ちゃん。またね。すぐに連絡するから」
「ななこちゃん、だーい好き!」
ひまりが大きく手を振る。
妖精は「もう勝手にするキュン……!」と泣き出し、光の粒子となって完全に消滅した。結界が完全に解け、深夜のビルの屋上に、冷たい本物の夜風が吹き抜ける。
立ち去った三人の魔法少女たち。
手のひらに残る、彼女たちの確かな体温の残滓。
私は一人、満月の下で、スーツのポケットの中で小さく震え始めたスマホを見つめた。
画面には、メッセージアプリの通知。
『チーム・パステル(永久継続)のグループが作成されました』
大人のえげつなさを知恵として吸収し、最強に育ってしまった少女たち。
私は、解放感よりも遥かに巨大な、これから始まるであろう「逃げ場のない溺愛の未来」への予感に、ただただ立ち尽くすことしかできなかった。




