第6回「敵幹部(成人男性)vs 社会人のキレ方をするJS」
おどろおどろしい影が、真夜中の高架下を侵食していた。
頭上を走る電車のゴトゴトという重低音が響くたび、コンクリートの壁が微かに震え、埃っぽい匂いが鼻腔をつく。雨混じりの冷たい風が、生足のソックスを容赦なく冷やしていた。
私たちの前に立ちはだかるのは、これまでの魔獣とは明らかに一線を画す存在だった。
黒いトレンチコートをまとい、冷徹な笑みを浮かべた男。
敵組織の幹部――ビター。
「ふははは! かわいそうな、哀れな少女たちよ。お前たちがいくら小さな手を伸ばそうと、この世界の絶望は消せはしない。大人たちの身勝手な欲望の泥沼に、お前たちもやがて沈むのだ!」
男の低い声が、結界の中に響き渡る。
彼の背後から、どす黒い粘液のような影が触手のように蠢き、ねっとりとしたプレッシャーが肌を刺した。
「くっ……!」
心愛がステッキを構えながら、小さく息を呑む。
男の放つ「大人の悪意」をはらんだ言葉の刃は、まだ純粋な小学生である彼女たちの心を、精神的に揺さぶるには十分すぎる威力を持っていた。凛もひまりも、その言葉の重さに気圧され、一歩足を踏み出すのを躊躇っている。
(……ああん?)
だが。
その後ろで、二十四歳の限界OLである私は、全く違う種類の怒りに燃えていた。
世界がどうとか、絶望がどうとか、そんなことはどうでもいい。
私の逆鱗に触れたのは、この男が吐き出した、ある決定的な言葉の数々だった。
「ちょっと、あんた」
すっ、と私は三人の前に歩み出た。
ピンクのフリフリ衣装をまとったまま、しかし、その足取りは完全に「クレーム処理に向かうベテラン社員」のそれだった。
「……何だ? ピンクの魔法少女よ。命を乞うなら今のうち――」
「あんたさぁ、さっきから聞いてれば『大人の身勝手な欲望』とか『世界の絶望』とか、ずいぶん抽象的な言葉ばっかり並べて悦に浸ってるみたいだけど。具体的にどういうビジネスモデルでそれ言ってるわけ?」
「は? びじねす……?」
ビターの冷徹な笑みが、一瞬でピキリと凍りついた。
「あんたがやってるこれ、結界張って街のインフラ止めて、器物破損に不法占拠よね? これコンプライアンス的に完全アウトなわけ。それに対するリスクマネジメントはできてるの? 上司の指示? それともあんたの独断?」
私の口から、淀みなく冷徹な言葉が溢れ出る。声を低く作り直す余裕すら忘れていた。ガチのアラサーの詰め方である。
「もし上司の指示なら、この違法行為に関する正式な指示書なり報告書の控えはあるんでしょうね? 口頭指示だけでこんな重大なリスク負わされてるんだとしたら、あんた完全にトカゲの尻尾切りにされるよ。労働搾取されてることに気づきなさいよ!」
カン、カン、とヒール(魔法少女仕様の可愛いブーツだが)でコンクリートの地面を叩きながら、一歩ずつビターへと詰め寄る。
「だ、何を、訳の分からぬことを……!」
「訳が分からなくないわよ! 大体ね、深夜二時にこんな高架下で小学生捕まえて長説教たれるなんて、タイパもコスパも最悪よ! あんたの組織、人事評価システムどうなってんの!? 残業代出てるの!? 深夜手当は!?」
「し、深夜手当……?」
「出てない顔ね! 目の下にクマができてるわよ! そんなブラックな環境で擦り切れてるから、そんな反社会的な嫌がらせに走るのよ! かわいそうなのはあんたの労働環境よ!!」
ビシィッ! と私は星のステッキを、男の鼻先に突きつけた。
完璧な論理の刃。
理不尽な業務命令を繰り返す自社の役員を、陰で徹底的に分析し尽くした社畜の、血の滲むような論破術がここに炸裂していた。
「な……な、な……」
ビターは、トレンチコートの襟を震わせながら、完全に圧倒されていた。
彼の背後で蠢いていた黒い粘液の触手が、主の動揺を反映して、みるみるうちに萎んでいく。世界の絶望を説いていた悪の幹部が、ただの「労働環境を指摘されて傷ついたサラリーマン」のような顔をして、おろおろと後ずさりしている。
「……すご、い……」
背後から、ぽつりと、掠れた声が聞こえた。
振り返ると、心愛たちが、これまで見たこともないような「神を見る目」で私を凝視していた。
「ななこちゃん……。悪の幹部を、言葉だけで精神的に圧殺してる……」
凛の瞳が、恐ろしいほどの感動でギラギラと輝いている。
「うん……。ウチ、お姉ちゃんが言ってる言葉の半分くらいしか分かんないけど、あの黒い人が、お姉ちゃんの『圧倒的な大人のオーラ』にボコボコにされてるのは分かる……! しゅきぃ……っ!」
ひまりが胸の前で両手を組み、完全に頬を赤らめていた。
「ななこお姉ちゃん……。格好いい……。これが、本当の『大人の社会の戦い方』なんだね……!」
心愛にいたっては、もはや崇拝の域に達していた。
彼女たちの瞳の奥にある「知っているけど合わせてあげてるお姉ちゃん」への愛が、この瞬間、完全に「全人類の王として君臨してほしい」という狂信的なリスペクトへと昇華していくのが分かった。
(あ、やっべ)
またやってしまった。
子供の前で、ガチのトーンで成人男性を詰めてしまった。
「あ、あうぅ! ななこ、いまのはね、えっと……悪いおじさんには、お仕事の、お説教が効くのかなって、思ったのぉ……っ♪」
慌てて裏返ったロリ声を出し、ステッキを可愛く振ってみせる。
しかし、目の前のビターは、すでに心が完全に折れていた。
「く、くそ……! 今日のところは、退散させてもらう……! 組織の、コンプライアンスを、見直さねばならん……!」
男は涙目でそう言い残すと、どす黒い霧と共に、這う這うの体で消え去っていった。結界が解け、いつもの埃っぽい高架下の空気が戻ってくる。
「やったね、リーダー!」
次の瞬間、心愛、凛、ひまりの三人が、猛烈な勢いで私に突込んできた。
小さな身体が、私の腰や腕にこれでもかと絡みついてくる。
「ななこお姉ちゃん、一生ついていきます……!」
「お姉ちゃんの部下にして……!」
耳元で囁かれる、熱い、熱すぎるほどのクソデカ感情の嵐。
私は、少女たちの柔らかくも逃げ場のない抱擁に囚われながら、遠ざかる電車の音を聞き、自らのヤケクソで破滅的な格好良さ(?)を深く後悔するしかなかった。




