第19回「時には大人の流儀(※ガチの危機管理)で、三人を惚れ直させる」
ザザ……ザザザ……。
三人の元魔法少女と合同デートを楽しんでいた私の前に、そいつは突然現れた。
六本木の超高級ホテルの最上階スカイラウンジ。
夜景を見下ろす全面ガラス張りの空間に、突如として不穏な静寂が訪れた。心地よく流れていたジャズの音楽がブツリと途切れ、バーカウンターの照明が怪しく明滅し始める。
(……この感覚。嘘、まさか、あいつら!?)
私の肌をピリピリと刺したのは、十年前に忘れたはずの、あの「結界」の気配だった。
鼻を突く、腐った泥と焦げたコンクリートの悪臭。ラウンジの中央、大理石の床から、赤黒い霧がどす黒く噴き出し、歪なスーツをまとった異形の影――魔獣の生き残り――が這い出てきた。
『ギ、ギギ……ギガァァァァァッ!!』
鼓膜を震わせる咆哮。ガラス窓がガタガタと悲鳴を上げる。
最後の魔獣を倒し、妖精が消えたあの日、世界の危機は去ったはずだった。だが、その残党が十年の時を経て、より狡猾に、私たちの「心の隙」を突いて襲撃してきたのだ。
「ウソ! 警備が突破された……!?」
心愛がカクテルグラスを落とし、大理石の床に高い音が響く。
二十歳になり、社会的な力と権力を手に入れた三人。だが、今の彼女たちは変身能力を持たない「ただの人間」だ。突然の超常的な暴力の再来を前に、凛は顔を青ざめさせ、ひまりはガタガタと足を震わせて後ずさった。
「くっ……! 心愛、ひまり、私の後ろに……! 警察、いや、私設警備隊を……!」
凛が震える指先でスマホを操作しようとするが、結界の中では電波など繋がらない。
完全なる詰み。最強のスペックを誇るはずの三人娘が、かつての『子供』のように怯え、お互いに身を寄せ合った。
その時。
コツン、とヒールの音が静かに響いた。
「三人とも、私の後ろに下がって」
歩み出たのは、私だった。
ネイビーのスーツのボタンを一つ外し、カバンを床に静かに置く。
私の声はもう、彼女たちとデートしている時のデレデレしたものではなかった。
数々の修羅場を潜り抜け、敵幹部すら精神論破してきた、ガチの『元リーダー』のトーンだった。
「な、ななこちゃん……!? ダメだよ、変身できないのに……!」
ひまりが泣きそうな声で私の袖を掴もうとする。だが、私はそれを優しく、しかし毅然とした手つきで振り払った。
「ひまりちゃん、大人の戦いっていうのはね、魔法のステッキがなきゃできないほど、ヤワじゃないのよ」
私はジャケットの内ポケットから、一本の重厚な金属製の万年筆――先ほど凛から「サイン用」として手渡された、最高級の、そして驚くほど芯の硬い万年筆を取り出した。
それを逆手に握り直す。
(魔獣の攻撃パターンはあの日と変わらないな。直線的な突進。標的は、一番体格が良くて隙の大きい心愛ちゃんね)
大人の合理的な状況判断力が、脳内で一瞬にして光速の計算を弾き出す。
「みんな!私たちが最初に魔獣を倒したフォーメーションでいくよ!
心愛ちゃん、合図したら2メーター右へ飛んで。
凛ちゃんは、バーカウンターの炭酸水のボトルを魔獣の目に投げつけて。
ひまりちゃん、大声で奇声を上げて魔獣の意識を左に逸らしなさい。
……全員、GO!!」
「「「っ……はい!!」」」
私の圧倒的なリーダーシップのオーラに押され、三人の身体が反射的に動いた。
タゲをとった心愛が瞬時にスライドして魔獣の気を引く。
ひまりが「こっち見ろーーーっ!」と叫びながらグラスを投げ、魔獣の無数の目玉が左を向く。
間髪入れずに、凛が正確に放った炭酸水のボトルが魔獣の顔面で弾け飛び、強烈な炭酸の飛沫がその視界を奪った。
『ギ、ギガァァァッ!?』
魔獣が怯み、完全なノーガードの姿勢を晒す。
「そこだぁ……!!」
私はパンプスの底で大理石を蹴り上げた。
変身能力はない。だけど私には、ブラック企業で培った「不条理への怒り」と、大切な彼女たちを守るという「大人の責任感」がある。
魔獣の懐へ鋭く滑り込み、巨体の中心にある、魔力のコア――赤黒く光る結晶めがけて、逆手に持った最高級万年筆を躊躇なく突き刺した。大人の体重のすべてを一点に集中させた、渾身の全体重物理突刺だ。
パキィィィィィン!!!
心地よい、結晶が粉砕される音がラウンジに響き渡る。
『ギ、ガ、ガ、ガガガ……ッ!?』
魔獣は信じられないというように目玉を剥き、そのまま光の塵となって、サラサラと虚空へ消え去っていった。
どす黒い霧が晴れ、再びジャズの音楽が静かに流れ始める。窓の外には、何事もなかったかのように美しい六本木の夜景が戻っていた。
「ふぅ……。やっぱり、理不尽な突発案件には、初動の迅速なタスク分散と、ピンポイントの資源投入が一番効くわね」
私は万年筆の先をハンカチで綺麗に拭き取り、指の間でくるくる回してから、胸ポケットへと仕舞った。
額の汗を軽く拭い、いつもの三十四歳の元限界OLの笑顔に戻って振り返る。
いきなりの荒事に、みんなドン引きしてないかと、心配しながら。
「えーと、みんな、怪我はない? びっくりさせちゃってごめん――」
言いかけるより早く、凄まじい熱量を持った三つの身体が、私を目がけて津波のように押し寄せてきた。
「「「ななこお姉ちゃん……っ!!!」」」
ドサッ、と私はソファーに押し倒されていた。
右から心愛が、私の首筋に狂ったように顔を埋めて激しく呼吸を繰り返している。彼女の身体はまだ微かに震えていたが、その瞳に宿る光は、あの日以上の、恐ろしいほどの熱を孕んだ「恋」のそれだった。
「か、格好良すぎます……! う、ダメ、心臓が破裂しそう……! 魔法がなくても、お姉ちゃんは私の最高のヒーローです……!」
「うん……、本当に、ずるい……」
左側から、凛が私の手を両手で驚くほどきつく握りしめた。彼女のメガネは少し曇り、いつもクールな顔が、恥羞と興奮で真っ赤に染まっている。
「ただの人間になっても、お姉ちゃんは私たちの何歩も先を行く『本物の大人』なんだ。……好き。好きすぎて、もう頭がおかしくなりそう……」
「お姉ちゃーーーっ! ウチ、もう一生お姉ちゃんから離れないから!!」
正面からひまりが抱きつき、私の唇に、ちゅ、ちゅ、と何度も熱いキスを降らせてくる。完熟林檎の香りが、今までにないほど濃厚に、激しく脳髄を掻き毟る。
(ひ、引くどころか、惚れ直し方がクソデカくなってるーーーーーっ!?)
いつもは甘やかして囲い込んでいる側の三人が、今や完全に「恋に落ちた少女」の顔をして、私を貪るように見つめていた。
時には大人の貫禄を見せて安心させてあげようと思ったのに、結果として、彼女たちの愛の炎に特大のガソリンを注ぐことになってしまった。
「さあ、お姉ちゃん。今の格好良さの責任、朝までたっぷり取ってもらいますからね?」
心愛の妖艶な囁きが、耳元で深く響く。
私は、さらに強固に、そして逃げ場のないほどに熱く進化した「溺愛の包囲網」の中で、己の大人力の高さを少しだけ呪いながら、彼女たちの激しい愛の檻に、今度こそすべてを委ねて溶けていくのだった。




