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第13回「『知ってたよ? 最初から』」


氷の融けたウイスキーが、グラスの中で頼りなく揺れていた。

薄暗いバーの空気は、すでに彼女たちの体温と濃厚な香水に支配され、私の肌をじっとりと濡らしている。


逃げ場はなかった。

大人のプライドも、必死に作り上げていた「ななこちゃん」という可愛い嘘の仮面も、すべては剥ぎ取られ、テーブルの上に無残に晒されていた。


「どうして……」


私は、三十四歳の、掠れた本音の声で呟いた。


「どうして、最初から全部知ってたのに、だまされたフリをしてくれてたの? 私のこと、陰で笑ってたの? いい歳して、必死にロリ語尾なんて使って、バカみたいって……」


口を開くたび、情けなさと恥羞が胸の奥を激しく掻き毟る。

自嘲気味に俯く私の視界に、心愛の、白く滑らかな指先が飛び込んできた。


すっ、と。

その長い指が私の顎に触れ、拒む隙もなく上へと持ち上げる。


「そんなわけないでしょ、お姉ちゃん」


視線が、強制的に絡み合う。

心愛の漆黒の瞳は、ほの暗い照明を吸い込んで、まるで底なしの沼のように深く、妖しくきらめいていた。彼女の端正な顔が、私の鼻先まで近づく。薔薇の香りが、容赦なく私の呼吸を塞いだ。


「バカにするなんて、一度だって思ったことないですよ。むしろ逆です。私たちに合わせようとして、一生懸命ノートに流行りの言葉を書いて、真っ赤な顔をして『ななこだよぉ』って言ってくれたお姉ちゃんが……愛しくて、愛しくて、仕方がなかったんですよ?」


「え……」


「うん。本当に健気で、可愛かった」


左隣から、凛が静かに言葉を重ねる。


凛は私のブラウスの袖を指先できゅっとつまみ、自身の体温を伝えるようにじわりと引き寄せた。彼女の知的で涼しげな瞳の奥に、めらめらと燃えるような、クソデカい熱量が宿っているのが見える。


「本当の子供の私たちでも、あんなに必死に誰かのために頑張れない。ななこお姉ちゃんは大人なのに、自分の社会的死のリスクを背負ってまで、私たちを傷つけないように、仲間として馴染もうとしてくれた。……そんなお姉ちゃんを好きにならないとでも思った?」


「そうだよ!」


正面から、ひまりが身を乗り出してきた。

テーブルを叩くドン、という小さな音が、店内のジャズの重低音に混ざる。


「ウチらね、最初からお姉ちゃんにメロメロだったの! たまに見せる大人の格好よさと、ウチらに甘やかされてアタフタしちゃう可愛さのギャップが、もう、たまらなくて……! だから、お姉ちゃんが『子供のフリ』を続けたいなら、ウチらが完璧にそのおままごとに付き合ってあげようって、三人で同盟を組んだんだよ」


ひまりが、あざとく、しかし確実に私をロックオンした肉食獣のような笑みを浮かべる。


(同盟……? あの小学生の、最初から、ずっと……!?)


頭がクラクラした。


私が「上手く騙せている」と胸を撫で下ろしていたあの日常の裏側で、彼女たちはとっくに私の全貌を把握し、愛おしそうに観察し、手のひらの上で転がしていたのだ。

介護ケアされていたのは私だった。保護されていたのも、私だった。


「でもね、お姉ちゃん」


心愛の指先が、顎から私の頬へと滑り、愛おしそうに輪郭をなぞる。

そのタッチは驚くほど優しく、そして、ゾッとするほど支配的だった。


「私たちも、ずっと子供のままで騙されたフリをするのは、すっごく辛かったんですよ? 本当はもっと早く、お姉ちゃんの手を引いて、私たちのものにしたかった。こんなに可愛いお姉ちゃんだもん、いつ誰に奪われるか、ずっと心配でした。……だけど、大人と子供って壁のせいでを遠ざけられたら嫌だったから、みんな二十歳になるまで、じっと我慢してたんです」


「我慢……してた……?」


「うん。子供のうちは、お姉ちゃんに恋愛対象として見てもらえないから」


凛の声が、一段と低くなる。

彼女は私のグラスをそっと取り上げ、テーブルの端へと遠ざけた。逃げ道を完全に塞ぐように、彼女の長い足が、ソックスに包まれた私の足に、ぴたりと押し当てられる。


「でも、もう私たち、二十歳になった。お姉ちゃんと同じ、お酒が飲めて、自分の責任で行動できる『大人』になったんだよ」


ひまりが、いたずらっぽく、しかし冷徹な光を瞳に宿して、胸の前で両手を合わせた。


「つまりね、ななこお姉ちゃん。ウチら、もう子供のフリしてあげる必要、なくなっちゃったんだ」


カラン、と。

再び、グラスの中の氷が融けて、小さく砕ける音がした。


店内の照明が、いつの間にかさらに一段と落とされ、貸切にされたバーの中には、私と彼女たちの吐息の音しか聞こえなくなっていた。シトラスと林檎と薔薇の香りが混ざり合い、逃げ場のない甘い檻となって私を縛り付ける。


恥羞と困惑で、私の顔は夕焼けのように赤く染まっていた。


目の前にいるのは、かつて守り、共に戦った小さな魔法少女たちではない。

自分たちを全力で愛してくれたお姉ちゃんを、今度は自分たちの力で完璧に捕食しようと牙を剥く、美しき大人の女性たちだった。


「さあ、お姉ちゃん。覚悟を決めてくださいね?」


心愛が私の耳元で、甘く、冷たく囁いた。


その瞬間、私は、彼女たちの瞳の奥にある「本物の、狂気的なまでのクソデカ感情」の全貌を突きつけられ、ただただ息を呑み、身体を硬直させることしかできなかった。

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