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第10回「一通の招待状(※逃げ場なし)」


ジリリリリ……、と。

無機質な目覚まし時計の音が、ワンルームマンションの狭い寝室に響き渡る。


五月の爽やかな朝の光が、遮光カーテンの隙間から細い矢のように差し込んで、私の顔を鋭く刺した。


「ん……、うぅ……」


私は重い身体を引きずるようにしてベッドから起き上がった。


あれから10年。


口の中はカラカラに乾き、昨晩の残業のせいで頭の奥がズキズキと痛む。洗面台の鏡に映る三十四歳の自分の顔は、目の下にうっすらとクマが浮かび、限界OLそのもののくたびれ方をしていた。


歯磨き粉のツンとしたミントの香りで無理やり脳を覚醒させ、いつもの地味なネイビーのスーツに身を包む。

カバンを肩にかけ、パンプスに足を押し込んで、私はドアを開けた。


外に出ると、初夏の、少し汗ばむような温かい風が肌をなでていく。

駅へ向かう前に、習慣で一階の集合ポストを開けた。チラシの束に混ざって、一通の、異様な存在感を放つ封筒が目に飛び込んできた。


「……何これ」


思わず、手が止まる。


それは、パステルピンクの上質な厚紙で作られた封筒だった。

表面には、金色の箔押しできらびやかな紋章のような刺繍が施されている。触ると、ざらりとした高級感のある紙の質感が指先に伝わってきた。ほんのりと、甘いバラのような香水の手香が鼻腔をくすぐる。


裏返して、宛名を見る。

そこには、達筆な、しかしどこか見覚えのある美しい文字で『高橋菜々子様』と書かれていた。


差出人の欄には――。


『心愛・凛・ひまり』


ドクン、と。

心臓が不意に大きく脈打った。


満員電車の蒸し暑い空気の中でも、私はその封筒をカバンに仕舞うことができず、じっと見つめ続けていた。

会社のデスクに着き、パソコンを起動するまでのわずかな時間、周囲の目を盗んで、私はハサミで慎重に封を切った。


中から出てきたのは、これまた豪華な二つ折りのカード。

開くと、そこには驚くべき文面が踊っていた。


『ななこお姉ちゃんへ。

私たち、今年で全員二十歳になりました。

つきましては、チーム・パステルの結成10周年を記念して、私たちの成人式の二次会を、下記のお洒落なバーで貸切で開催します。

私たちの人生の最大の恩人であり、最愛のリーダーであるななこちゃんに、どうしても出席してほしいです。

絶対に、絶対に来てくださいね。

逃げたら、おうちまで迎えに行っちゃいます♪』


カードの隅には、あの頃、チーム・パステルのグループチャットで使っていた、懐かしい星のスタンプのイラストが手書きで添えられていた。


「え……? 成人式……?」


頭が混乱する。

あの子たちが、二十歳。


確かに計算すればそうだ。私が出会った時、彼女たちは小学四、五年生だった。あれから10年が経ち、彼女たちはもう、法律上も完全な『大人』の仲間入りを果たしたのだ。


それはいい。めでたいことだ。元上司(?)として、お祝いの一つでも持って駆けつけるべきだろう。


だが。

私の視線は、文面の最後の一行に完全に釘付けになっていた。


『ななこお姉ちゃんへ』

『逃げたら、おうちまで迎えに行っちゃいます♪』


(……お姉ちゃん、って言ってるよね?)


冷たい汗が、ブラウスの背中をだらだらと伝って流れ落ちる。

オフィスはエアコンが効いているはずなのに、私の手足は氷のように冷たくなっていた。


あの子たちは、魔法少女時代、私の前では基本『ななこちゃん』と呼んでいた。私の痛々しいロリ擬態に合わせて、子供の友達として接してくれていたのだ。

「お姉ちゃん」と呼ばれたような記憶はあったが、それはあくまで夢か寝言だと思い込もうとしていた。


しかし、この招待状には、はっきりと『お姉ちゃん』と書かれている。


彼女たちは、私が大人であると完全に知った上で、あの頃、私の必死の幼児退行おままごとに付き合ってくれていたのだ。そして二十歳になった今、その偽装の仮面を、この一通の手紙で容赦なく引き剥がしてきた。


「高橋さん? 顔色悪いけど、大丈夫?」


隣の席の同僚に声をかけられ、私は飛び上がらんばかりに驚いた。


「あ、は、はい! 大丈夫です! ちょっと、タスクのリソースがアレで……!」


訳の分からない社畜用語で誤魔化しながら、私は招待状を慌てて引き出しの奥へと突っ込んだ。


心臓のバクバクとした高鳴りが、どうしても収まらない。


指定された日時は、今週末の土曜日。場所は、都内の高級エリアにある、一見さんお断りの会員制バー。


「逃げたら、おうちまで迎えに行く」という言葉の筆圧は、妙に強かった。あの子たちのことだ、冗談抜きで私のボロアパートの前に高級車で乗り付けてくるくらいのことはやりかねない。


逃げ場は、ない。


引き出しの奥から、ほんのりと漂い続ける甘いバラの香り。

それはまるで、私を絡め取ろうとする見えない鎖のようだった。


パソコンの画面を見つめながら、かつてのチビっ子たちが、一体どんな姿になって私を待っているのか、期待と不安がないまぜになったけれど、きっと美しく成長しているはずの三人と再開できるその日を楽しみにすることにした。

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