第六話 蛋白質
剥きたてのゆで卵を口に運び、至福の表情を浮かべるゼノン。
その傍らで、モニカは金縛りにあったかのように硬直していた。
彼女の脳裏には、先ほど見た光景が幾度もリプレイされる。
デバイスも、定型化された現代の呪文も一切介さない、むき出しの魔力。それは彼女が古文書や禁書の中でしか見たことのない、荒々しくも緻密な「神の領域」の業そのものだった。
「……あ」
モニカの膝が、がくがくと震え出す。
目の前にいるジャージ姿の老人の背後に、彼女が夢にまで見た、山を穿ち海を割る「大魔法使い」の幻影が重なった。
「あ、あああ……あ、あああああああッ!!」
モニカは突然、叫び声を上げると、アスファルトを割らんばかりの勢いで地面に頭を叩きつけた。あまりにも鮮やかな、文字通りの「土下座」である。
「先ほどまでの無礼を、どうかお許しください!! 私、死にます! 今すぐ舌を噛み切って死んでお詫びします! あろうことか、本物のゼノン様を『小汚いボケ老人』呼ばわりして……私は、私は歴史のゴミですッ!!」
「……む? どうした、急に騒がしいのう」
モグモグと卵を咀嚼しながら、ゼノンは不思議そうに彼女を見下ろした。
モニカは顔を上げず、額を地面に擦り付けたまま号泣し始める。
「信じてください、私はゼノン様を愛するがゆえに、偽物だらけのこの世を憂いていただけなのです! よもや、本物が全裸同然で粗大ゴミ置き場に降臨されるなどと、末端の信者が予測できるはずもありません……!」
ゼノンは、最後の一口を飲み込むと、ジャージの袖で口元を拭った。
本来ならば、一国の王にすら不敬を許さぬ彼である。だが、空腹を満たし、温かな半熟卵の幸福感に包まれた今のゼノンには、大洋のような寛大さが備わっていた。
「よい、面を上げよ。お主の不敬、この『蛋白源』の旨みに免じて不問に付してやろう」
「……ほ、本当ですか!?」
「うむ。お主は世に流されることなく、余という『真実』を追い求めておった。その志は良しとしよう。それに……この時代、誰も余の正体に気づかぬ中で、ただ一人、余を『ゼノン』として見てくれた。その一点において、お主はもはや余の功臣にも等しい」
ゼノンは威厳たっぷりに、モニカの頭にポンと手を置いた。
「許してやる。……お主、名はモニカと言ったか。感謝するが良い」
「ぜ、ゼノン様……!! ああ、なんて慈悲深いお方なんだ……。一説には『傲岸不遜な破壊魔』って書いてあったけど、やっぱりあれも捏造だったんですね……!」
「……今、何か聞き捨てならぬ評価が聞こえた気がするが……まあ、よいわ」
こうして、時空を超えた大賢者と、彼を盲信する過激派信者の少女による、奇妙極まる主従関係が産声を上げた。
――夕焼けに染まるビクトリア像の足元。
一人は感涙にむせび、一人は「もう一個くらいいけるな」と腹をさすっていた。




