第七話 負債
モニカに「また明日、必ずお迎えに上がります!」と、鼻息荒く見送られたゼノン。
ジャージのポケットに予備の生卵を忍ばせ、彼は意気揚々と「ゴミ捨て場」へと帰還した。
「ふむ、功臣を得るのは悪い気分ではないな。さて、今夜はあの棺桶で一晩明かすとしよう……」
そう呟きながら、薄暗い山積みのガラクタの中を歩いていた、その時。
「――ピピピ……ピ……ピピィィッ!」
聞き覚えのある、しかし酷く狼狽えたような駆動音が響いた。
積み上げられた壊れた洗濯機の影から、猛スピードでこちらへ突っ込んでくる円盤状の鉄塊。
ボロボロになり、魔法回路もショートしかけて火花を散らしているが、その独特のフォルムをゼノンが忘れるはずもない。
「の、ノンちゃんではないか! 生きておったのか!」
再会を喜ぶゼノンの足元に、ノンちゃんは泣きつくように激しく回転しながら擦り寄った。
だが、感動の再会に浸る間もなかった。
空を裂くようなサイレンの音が響き、頭上を数機のドローンが包囲する。さらに、闇の中から黒いコートを纏った魔法庁の役人たちが、重々しい足取りで現れた。
「……いたぞ。指定有害魔導遺物、通信網撹乱の現行犯だ」
役人の一人が、ホログラムの端末を操作しながら冷徹に言い放つ。
ゼノンはノンちゃんを庇うように前に出た。
「何を言う! これは余の愛用する掃除ロボットじゃ! 少しばかり魔力を集めるのが得意なだけで、有害などと――」
「掃除? 冗談はやめてくれ」
役人は鼻で笑い、端末の画面をゼノンに見せつけた。
「こいつが収集し続けた魔力は、今や都市のメインサーバーをパンクさせるレベルだ。そのせいでこの一帯の通信は壊滅、損害額は概算で――二百億マナを超えている」
「に……二百億……?」
ゼノンの顔から血の気が引く。先ほどのパン一個が百六十マナだったことを思い出し、彼は絶望的な計算を頭の中で弾き出した。
「おまけに不法投棄場所に勝手に居座り、貴重な粗大ゴミを魔力燃料として捕食し続けた。……おい、そこの不審なおじいさん」
役人が、鋭い眼光でゼノンを射抜く。
「これ、あんたの所有物かい?」
ゼノンは、激しく震えながら自分を見上げるノンちゃんと、目の前の「天文学的な請求書」を交互に見つめた。
大魔法使いとして、ここで部下を見捨てる選択肢など彼にはない。
「……そうじゃが、それが何か?」
震える声で、しかし精一杯の虚勢を張って答えるゼノン。
その瞬間、役人は「捕まえたぞ」と言わんばかりに不敵な笑みを浮かべた。
「そうか。なら話は早い。――二百年分の延滞利息を含めた賠償金の支払い、及び管理責任を問う。……魔法庁まで来てもらおうか、飼い主さん」
***
「二百億マナ……。二百億、マナ……」
魔法庁の地下尋問室。
無機質なデスクを挟んで、ゼノンはうわ言のようにその数字を繰り返していた。
「大魔法使い」の威厳はどこへやら。突きつけられた賠償金の明細書を前に、彼の精神はすでに半分ほど幽体離脱しかけている。
「……現実逃避はそこまで。支払い能力の確認をさせてもらうよ」
役人が冷淡にホログラムの入力を進める。
「氏名はゼノン。住所不定。……次に、最終学歴は?」
「学歴……? そんなものはない。余はただ、理の深淵を歩んできたのみ」
「じゃあ、職歴は?」
「二百年前に魔王を討伐した。あとはトマトの栽培を少々……」
「無職ってことね……貯蓄は?」
「金貨を持っておったが、コンビニでメダル扱いされたわ!」
役人が重いため息をつき、カタカタと端末を叩く。ホログラムには、赤文字でデカデカと【支払い能力:皆無】の文字が躍った。
「学歴なし、職歴なし、資産なし。あるのはボロボロの杖と不審な言動だけ。……おじいさん、はっきり言ってあんた、社会的には『粗大ゴミ』以下の価値しかないよ。このままじゃ一生刑務所か、あるいはあの奇妙なメカと一緒にスクラップだ」
「なっ……! 余を、余を何と心得る! 魔王を倒したこの功績を――」
「証拠がないんだよ、証拠が」
役人は身を乗り出し、ある一つの提案を突きつけた。
「……だが、一つだけあんたを……いや、そのポンコツ掃除機を救う道がある」
役人が取り出したのは、一枚の願書だった。
「この春、『国立ビクトリア魔法学園』に入学し、国家魔導士の資格を取れ。もし卒業できれば、特別控除でその借金を肩代わりしてやるし、何より魔法庁への就職ルートも開ける。職さえあれば、残りの賠償金も分割払いで認めてやるよ」
「ビ、ビクトリア……あの腰抜け女の名前を冠した学び舎だと……?」
ゼノンは屈辱に震えた。見知らぬうちに手柄を横取りした女の名前が付いた学校に、伝説の大魔法使いが「生徒」として通わされ、おまけに「職に就け」だと?
「余に……余に、労働を強いるというのか!? この世界を救ったこの余に!」
「当たり前だ。あんたはただの『働けない高齢者』なんだよ。いいか、この学園を卒業して国家ライセンスを取る。それが、あんたがこの社会で人権を得るための唯一のチケットだ。さもなきゃ、そのノンちゃんとかいう鉄屑は、明日にはプレス機行きだな」
「ピィィ……ピピィ……」
足元で、ノンちゃんが弱々しく火花を散らしながらゼノンの裾を引く。その健気な姿に、ゼノンは奥歯を噛み締めた。
「…………ええい、分かったわ! 受けて立とうではないか!」
ゼノンは震える手で、願書をひったくった。
「その『学園』とやらへ行けば良いのじゃな! そこで余の圧倒的な知恵を見せつけ、ビクトリアなどという小娘の伝説を上書きしてやろうぞ! 卒業して職に就くなど、余にとっては朝飯前よ!」
「威勢がいいね。試験日は明日だ。……せいぜい、不合格にならないよう祈ってるよ、おじいさん」
こうして、世界を救った伝説の男は、ノンちゃんの命と二百億の負債を背負い、かつての仲間の名前を冠した学園の門を叩くことになったのである。
大賢者ゼノン、二百年ぶりの社会復帰は「受験生」という一歩から始まった。




