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第四話 無一文

「……というわけだ。おじいさん、分かったね?」

 

 魔法警察署の一室。

 蛍光灯の無機質な光の下、ゼノンはすっかり小さくなってパイプ椅子に腰掛けていた。

 

 対面に座る若い警官は、分厚い書類をトントンと机に叩きつけ、溜息混じりに説教を再開する。

 その横には「心療魔法カウンセラー」と書かれた名札をつけた女性が、痛々しいものを見るような眼差しでゼノンを見つめていた。

 

「いいかい、ゼノンさん。『二百年前の大賢者』っていう設定は、最近のネット小説でも食傷気味なんだ。それを公共の場で、しかも全裸に近い格好で叫んじゃいけない」

「設定ではない……。余は、真実まことに……」

「はいはい、真実ね。でもね、あなたが振り回してたその『白檀の杖』。鑑定の結果、ただの『乾燥した古木』って出たよ。魔力反応もゼロ。ただの燃えないゴミだ」

「……なっ!? 馬鹿な! それは神代の木を削り出し、余が七日七晩かけて魔力を練り込んだ、世界に一本の──」

「おじいさん、落ち着いて。深呼吸して」

 

 カウンセラーの女性が、なだめるように手を添える。

 

「二百年も前の魔法技術なんて、今じゃ博物館の隅っこにすら置いてないわ。今の魔法はもっとスマートで、もっと『安全』なの。あなたが信じている『詠唱』なんて、今の子供たちは誰も知らないわ。それはね、もう魔法じゃなくて……ただの『独り言』なのよ」

 

 独り言。

 かつて一節で山を穿ち、一文字で海を割った神の言語が、今、優しげな微笑みと共に否定された。

 

「……くっ、これほどまでに……これほどまでに、神秘は死に絶えたというのか……」

 

 絶望に打ちひしがれ、ガタガタと震えるゼノン。

 だが警官たちは、それを「悪寒」と判断した。

 

 ガチャリ、と魔力抑制回路の施された手錠が外される。

 

 警察署の裏門から、トボトボと力なく這い出してきた影があった。

 

 手には、返却された「ただの古木」を握りしめ、背中にはどこかで見繕われた安物のジャージを羽織っている。

 かつて世界を熱狂させた救世の英雄の姿は、そこにはない。

 

「……解せぬ。何かが、根本的に狂っておる……」

 

 ふらふらと、まるでお迎えを待つだけの幽霊のように歩道を進むゼノンの耳に、突如として異様な高周波の駆動音が響いた。

 

「──危ねぇぞ! じいさん!」

 

 凄まじい風圧。

 反射的に跳び退いたゼノンの目の前を、鉄の塊が矢のような速さで通り過ぎていく。馬の姿はない。代わりに、その車体の後部からは微かな魔力の粒子が排気ガスのように排出されていた。

 

「な、なんじゃ今のは……。武装も装甲も貧弱すぎる……」

 

 混乱するゼノンの視界に、さらなる異形が飛び込んできた。

 正面にそびえ立つ摩天楼。その壁面そのものが、突如として目も眩むような光を放ち、巨大な「絵」を映し出したのだ。

 

『お疲れのあなたに、聖女の微笑み。新発売、マナ・エリクサー・ゴールド!』

 

 超高精細な映像の中で、薄着の女が小瓶の中身を美味しそうに飲み干している。

 ゼノンは、開いた口が塞がらなかった。

 

「……え、エリクサー……だと?」

 

 それは、一滴作るために高度な錬金術師が心血を注ぎ、瀕死の重傷者のみに許された究極の秘薬ではなかったか。

 それが今や、ビルの壁でこれ見よがしに宣伝され、道ゆく人々が「喉が渇いた」程度の感覚で、謎の鉄箱から手軽に買い求めている。


「……神秘も、威厳も、何もかもが安売りされておる……」

 

 眩暈を覚えるほどのカルチャーショックに、ゼノンの胃がキュゥと情けない音を立てた。思えば目覚めてから一度も食事を摂っていない。トマトを一口齧ったのは、二百年も前のことなのだ。

 

「……腹が減っては、魔王討伐……いや、現状把握もできぬな」

 

 ふと視界に入ったのは、やけに明るい光を放つ「コンビニエンスストア」なる店だった。自動で開くガラスの門をくぐれば、そこには二百年前の王侯貴族の晩餐でも並ばぬほど、色とりどりの食料が整然と陳列されている。

 

「ほう、これは美味そうだ。この『焼きそばパン』とやら、なんとも暴力的な香りがするではないか……」

 

 ゼノンは震える手でパンを掴み、レジと呼ばれる台へ向かった。

 

「……お会計、百六十マナになりまーす」

 

 眠そうな顔をした若者が、無機質な箱にパンをかざす。ゼノンは堂々と、ジャージのポケットから「それ」を取り出した。

 

「よく分からぬが、これで足りるだろう。余の時代の、最高純度の金貨じゃ。なぁに、お釣りはいらんよ」

 

 机に置かれたのは、黄金の輝きを放つずっしりと重い硬貨。

 だが、店員の反応は冷ややかなものだった。

 

「……は? なにこれ、メダル? おじいさん、うちゲーセンじゃないんだけど」

「め、メダルではない! 聖王国が発行した、正真正銘の金貨じゃぞ!」

「あー、そういうのいいから。電子決済できないなら無理だよ。後ろ詰まってるから、買わないならどいて」

 

 後ろに並んでいたスーツ姿の男が、チッと舌打ちをする。

 ゼノンは耳まで真っ赤にし、差し出した金貨を握りしめた。

 

「……使えぬというのか? この、一国を買い取れるほどの価値がある金貨が……?」

「価値も何も、今の通貨はデジタル管理された『マナ・クレジット』だよ。そんな古い金属、ただの重りだって。ほら、どいたどいた」

 

 無造作に突き返されたパン。

 ゼノンは、もはや怒る気力すら失っていた。

 かつて最強の名を欲しいままにした男が、今、たった一つのパンを「支払い能力なし」という理由で手に入れることができなかった。

 

「……かねすら、ゴミなのか。この時代、余の持ち物でゴミでないものは……一つも……」

 

 トボトボと店を出るゼノンの背中に、自動ドアの開閉音だけが嘲笑うかのように響いたのだった。

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