表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
細川ガラシャになる前の明智玉でした。父の謀反を止めないと私が燃えるので必死です  作者: れんれん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

96/146

第九十六話「文の刃」

白紙は、刃よりも恐ろしい。

玉は筆を握りながら、そう思った。


刀は振るえば血が出る。

だが文は、書いた瞬間には何も起きない。

静かなまま、相手の首を締めていく。


帰蝶は机の向かいで、玉の手元を見ていた。

「玉。京を黙らせたいなら、恐れさせるのではない」

玉は筆先を止めた。

「……では、どうすれば」

帰蝶は淡々と言った。

「生かしなさい。

生かした上で、逃げ道を一つだけ与える」


玉は息を呑んだ。

(逃げ道……)

京は追い詰められている。

追い詰められた者は外へ手を伸ばす。

ならば、外へ伸ばす必要がない形を作る。

帰蝶は続ける。

「朝廷が恐れているのは、貧しさではない。

金の流れを握られることよ」

「官位も儀式も、恩賞も、すべて金で繋いできた。

そこを断たれれば、朝廷は“朝廷”でなくなる」


玉は理解した。

京が欲しいのは金ではない。

“権威を動かす自由”だ。

帰蝶は玉を見た。

「殿が欲しいのは、朝廷を潰すことではない。

朝廷を残して、財布を握ること」

「ならば、文はこうだ」

帰蝶は指で机を叩いた。

「朝廷の面子を守りつつ、織田の許可なく動けぬ形を作る」

玉は喉が乾いた。

(そんな文が……可能なのか)

帰蝶は言った。

「可能にするのが、奥の仕事よ」


その頃、岐阜城では光秀が慌ただしく動いていた。

京へ向かう支度。

諸方への使者。

上杉の動きを探る密命。

すべてが重なっていた。

利三が言う。

「殿、寝ておりませぬ」

光秀はただ短く答えた。

「寝る暇があるなら、文を読む」

利三は黙った。

主君の目が、少しずつ鋭さを失っていることに気づいていた。


疲弊しているのではない。

削られている。

京は言葉で戦う。

その言葉を受け止める者は、心を削られる。

一方、信忠は父の評定の後、玉の存在を意識していた。

玉は奥にいる。

だが奥は、政治の中心だ。

信忠は思う。

(光秀殿を守れるのは、玉かもしれない)

だが、それを口にすれば玉が狙われる。

信忠はそれを恐れていた。

信忠は誰にも聞こえぬように呟いた。

「……頼むぞ、玉」


玉は帰蝶の前で、文の骨組みを作り始めた。

まず、京の面子を立てる言葉。

「朝廷の御威光は天下の柱にございます」

「織田はその柱を支え、儀式を守る」

次に、織田の条件を滑らせる。

「ゆえに、費えは織田が担う」

「担う以上、年貢と金の流れを正す必要がある」

そして最も重要なのは、最後の締めだった。

玉は筆を止め、帰蝶を見た。

「帰蝶様……ここで失敗すれば、京は越後へ縋ります」


帰蝶は頷いた。

「そう。だから最後は――」

玉は震える声で言った。

「“朝廷のため”という形で、織田の支配を正当化する」

帰蝶の口元が僅かに緩んだ。

「その通り」

玉は筆を走らせた。

最後の一文。

「織田が財を整えることは、朝廷を永らえさせるためである」

「よって朝廷は、織田の定めた筋目に従うことが、天下の安寧となる」

玉は書き終え、息を吐いた。

紙の上には、刃が並んでいた。

その夜、帰蝶は文を読み、静かに言った。

「良い」

玉の胸が少しだけ軽くなる。


だが帰蝶は続けた。

「ただし、これで京が黙るとは限らぬ」

玉は俯いた。

「……はい」

帰蝶は言った。

「京は生き物よ。

生き物は必ず、抜け道を探す」

玉は拳を握った。

(抜け道を探すなら……塞ぐしかない)

帰蝶は玉の目を見た。

「玉。あなたが次に学ぶのは、文の書き方ではない」

玉は顔を上げた。

帰蝶は静かに言った。

「文を受け取った相手が、どう動くかを読むこと」

「そして動いた瞬間、先回りして潰すこと」

玉の背筋が伸びた。

(それが奥の戦……)


翌朝。

光秀が岐阜を発つ支度をしていた。

そこへ信長の使いが走り込む。

「明智殿!殿より命にございます!」

光秀は即座に返した。

「申せ」

「京への使者を急ぎ立てよ。

朝廷の動きを封じる」

光秀は短く頷いた。

「承知」

利三が息を呑む。

「殿、殿の動きが早すぎます……」

光秀は言った。

「早いのではない。

遅れれば負けるだけだ」

光秀は馬に跨った。

その背はまっすぐだった。

だがその背中は、すでに重い。


京の鎖。

包囲網の輪。

その中心にいるのは、自分だと理解している。

光秀は静かに言った。

「……京は、文で斬るしかない」

馬が走り出す。

岐阜の空は晴れていた。

だがその晴れ間は、嵐の前の幻にしか見えなかった。


玉はその知らせを聞き、窓の外を見つめた。

(父上はまた京へ行く)

(そして私は……ここで文を研ぐ)

玉は胸の奥で誓った。

(父上を、鎖の先で壊させない)

そのためなら、

自分が刃になるしかない。

文の刃を。

そして玉は、もう一度筆を取った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ