表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
細川ガラシャになる前の明智玉でした。父の謀反を止めないと私が燃えるので必死です  作者: れんれん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

65/201

六十五話「 長篠の戦いの祝勝宴」

長篠の戦いが終わった。


武田の騎馬軍団を打ち破り、織田の名は一気に天下へ轟いた。


城内はすでに落ち着きを取り戻していた。

戦の血と鉄の匂いは薄れ、普段の気配が戻りつつある。


しかし、今宵の宴への期待と、その準備に追われる空気が城中を満たし、

廊下の隅々にまで張りつめた熱が漂っていた。


静けさの中にざわめきが混じり、

城内はどこか異様な雰囲気となっていた。

今夜はただの祝勝会ではない。

織田が天下へ踏み出したことを示す宴。


そしてそこへ細川が来る。

玉はそれを思うだけで、胸が落ち着かなかった。


玉は宴の準備が本格化する前に、帰蝶のもとを訪れた。

襖を開けると、帰蝶は静かに座していた。


城内の忙しさなど無関係に、凛とした空気をまとっている。

玉は膝をつき、深く頭を下げた。

「お願いがございます」

帰蝶は扇を持ったまま、目だけを向けた。

「申してみよ」


玉は一度息を整えた。

「宴の場に七輪を持ち込ませていただきたく存じます。火を扱いますゆえ、勝手にはできませぬ。殿にお伺いを立てていただけませんか」


帰蝶の眉がわずかに動く。

七輪――炭火を扱う小さな炉。

宴の場に火を持ち込むなど、武家の常識からすれば危うい。

だが玉の目は揺れていなかった。


帰蝶は扇で口元を隠し、微かに笑った。

(……面白い。宴を料理で支配する気か。小娘のくせに大胆だな)


玉はさらに言った。

「もし必要なら、女中や腰元を宴の場に付けていただきたく……皆の前で恥をかくことは避けねばなりませぬ」


帰蝶の目が細くなる。

(段取りも人手も、最初から計算している。……これは賢い)

帰蝶は小さく頷いた。

「殿に聞いてやる。ただし――粗相は許されぬぞ。火事でも出せば、お前の首だけでは済まぬ」


玉は深く頭を下げた。

「心得ております」


帰蝶は立ち上がり、襖を開けた。

(さて……殿は喜ぶか、それとも笑うか。だが勝ち戦の後だ。機嫌が良ければ必ず面白がる)


信長は大広間の準備を見下ろす場所に座し、席順と配置を眺めていた。

宴は勝利の余韻ではない。天下へ向けた示威だ。


帰蝶が近づくと、信長は目だけで気づく。

「帰蝶、何用だ」

帰蝶は淡々と告げた。

「玉が申しております。宴の場に七輪を持ち込み、火で料理を出したいと」


信長の目が一瞬光った。

「七輪……火を見せる宴か」

帰蝶は続ける。

「女中や腰元も付け、粗相なくやると申しております」


信長は鼻で笑った。

「よい」

即答だった。

「勝ち宴だ。武田を討った夜に、いつもの料理など要らぬ。派手にやれ」


帰蝶は静かに頭を下げる。

信長は杯を取りながら言った。

「だが伝えよ。失敗すればその場で恥だ。織田が笑われることは許さん」


帰蝶は微笑む。

「承知いたしました」

(殿はこうでなくては。危ういほど大胆で、だからこそ天下を掴む)


宴の刻が来た。

大広間には武田を討った織田の将たちが集まり、

勝利の空気が酒の匂いと混じり合っていた。


柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益。

羽柴秀吉は声高に笑い、杯を回して場を沸かせる。

客として迎えられた細川は、静かに座していた。

その笑みは柔らかいが、目は冷たい。


そして明智光秀もいた。

信長の近く、少し影になる位置。

宴の騒ぎに合わせて笑っているようで、その目は座全体を測っていた。


玉はその視線が一度自分に向いたことを感じ、背筋が伸びる。

(……この人は、宴を見ているのではない。人の心を見ている)


宴はまず、いつもの武家の料理で始まった。

干物、煮しめ、膾。

酒が運ばれ、武士たちは声を張り上げる。

「武田の赤備えも、ついに潰えた!」

「騎馬軍団も、鉄砲の前では無力よ!」


笑い声が天井を震わせた。

信長は上座で杯を掲げ、堂々と言い放つ。

「武田が滅びたのではない。織田が勝ったのだ」


家臣たちが声を揃える。

「ははっ!」

帰蝶は扇で口元を隠しながら、静かに笑った。

(勝てば吠える。武士とは単純だ。だが単純でなければ、戦には勝てぬ)


そのとき、料理が運び込まれた。

海の魚――ぶり。

大皿に盛られた照り焼きは、照りが強く、脂が光っている。

甘辛い香りが湯気とともに立ち上がり、広間の酒臭さを一瞬で塗り替えた。


武将たちが鼻を鳴らした。

「おお……こいつは良い匂いだ」

秀吉が真っ先に箸を伸ばす。

「おうおう!これが来るなら酒が進む!」


口に入れた瞬間、秀吉の顔が緩んだ。

「脂が乗っておる……!」

誰かが笑って言った。

「ぶりは出世魚よ!」


その一言で場が湧く。

「出世魚か!」

「武田を討った我らは、これよりさらに上へ行くぞ!」

柴田勝家が豪快に笑った。

「出世なら俺の腹が先だ!」


広間が笑いに包まれる。

信長もぶりを口に運び、ゆっくり噛んだ。

そして杯を置き、満足げに頷く。

「よい。戦の後にふさわしい。脂がある。力が戻る味だ」

信長の声が落ちるだけで、家臣たちの顔がさらに明るくなる。


帰蝶はその様子を眺め、心の中で思った。

(まずは照り焼きで濃い目の味付けを先に出したか?

これで皆の舌がほぐれる。……玉、順番が上手い)


細川も一口食べ、静かに言った。

「……これは良い。武家の宴らしい豪快さがある」

その言葉には、わずかな評価が混じっていた。


明智光秀は黙って箸を置き、信長の表情を見た。

(殿の機嫌は上々……今宵は何が起きても不思議ではない)

その時、広間の外がざわついた。


女中たちが何かを運び込む。

見慣れぬ器――七輪。

炭が赤く燃え、火の気配が広間に入り込む。


武将たちが一斉に顔を上げた。

「火を持ち込むのか?」

「宴で炭火とは……」


空気が張り詰めた瞬間、信長が笑った。

「よい。勝ち宴だ。火の一つも扱えぬようでは天下は取れぬ」

その一言で、場が一気に沸いた。

「さすが殿!」

「天下の宴よ!」


帰蝶は心の中で笑う。

(殿が許した。これで誰も文句は言えぬ。……さあ玉、ここからが本番だ)


次に運び込まれたのは、伊勢海老だった。

殻の姿は兜を被った武士のようで、堂々としている。

武将たちがどよめいた。

「これは……武者だな」


玉は静かに言った。

「武家の宴には欠かせぬ縁起物にございます。頑丈な殻、火を通せば鮮やかな赤。勝負運を呼び込むとされます」

「勝負運!」

その言葉だけで、杯が上がる。

玉は伊勢海老を七輪へ置いた。

殻が焼け、香ばしい匂いが立ち上がる。

ぱちぱちと油が弾ける音が、広間の笑い声と混じり合う。


柴田勝家が笑った。

「武田の首より、腹が喜ぶわ!」

秀吉が腹を抱える。

「勝家殿、正直すぎますぞ!」


信長は伊勢海老を手に取り、豪快に食べた。

そして明らかに機嫌よく笑った。

「よいぞ。赤い。武田の血より縁起が良い赤だ」

家臣たちが一斉に笑い、杯を打ち鳴らす。


帰蝶は扇で口元を隠しながら、心の中で呟く。

(殿がご満悦。これは大成功だ。……玉、お前は宴を作ったのではない。殿の機嫌を作った)

細川も伊勢海老を口にし、静かに頷いた。

「殻ごと焼くとは豪胆。織田らしい宴ですな」

光秀はその香りを吸い込み、目を伏せた。

(香りは記憶に残る。今日の宴は必ず語られる)


そして最後に出されたのが、一人用の鍋だった。

武将たちが驚きの声を上げる。

「一人ずつだと?」

「贅沢な……!」


鍋の中央には鯛の尾頭付き。

堂々たる姿で湯気を上げている。

汁は濁っていない。

味噌ではなく澄んだ出汁。


玉は言った。

「味噌ではなく、出汁にございます。鯛の旨みをそのまま引き出します」

さらに小さな器が添えられる。

「こちらは酸味のあるつけ汁。柑橘を絞り、醤と合わせました」


武将の一人が眉をひそめる。

「酸い汁を……?」

だが一口食べた瞬間、顔が変わった。

「……ッ、これは……!」

「魚が締まる!」

「酒を飲んでも口が重くならぬ!」

驚きと笑いが一気に広間を満たす。

信長も鍋を口にし、しばらく黙った。

そして杯を置き、短く言った。

「よい」

それだけで十分だった。


信長は続けた。

「武田を討った夜にふさわしい。腹が温まり、頭が冴える。こういう宴は……嫌いではない」

武将たちは一斉に声を揃えた。

「ははっ!」


帰蝶はその姿を眺め、心の中で微笑む。

(殿がここまで満足する宴は久しい。……玉、よくやった。だが成功すればするほど、お前は危うくなる)


細川は鍋を食べ終え、静かに杯を置いた。

「……なるほど。これは都の宴にも出ぬ。いや、都より上かもしれぬ」

その瞬間、広間がわずかに静まった。

細川の言葉は、ただの感想ではない。

宴の場で放つ政治の刃だ。

細川は信長に向き直る。

「信長公。武田を討っただけではなく、宴までも天下の形にされた。まさに天下人の席ですな」


信長は笑った。

「天下人の席だ。何か申したいことがあるなら言え、細川」

細川は微笑んだ。

「いえ、感服したまで。……ただ一つ思ったのです」


細川の視線が玉へ向く。

「このような宴を作り上げる娘が織田にいる。あれはただの姫ではない」

玉の喉が鳴った。

帰蝶の目が細くなる。

(来たな。細川……宴の頂で言葉を刺す。上手い。だが、それは私の前でやることではない)

明智光秀は杯を持つ手を止め、目を伏せた。

(細川が動いた。……この宴は祝勝では終わらぬな)

細川は言葉を続けた。

「才ある娘を、我が家に迎えるのはどうかと考えずにはおれませぬ」


空気が変わった。

笑い声が消え、杯を置く音すら控えられる。

宴が、祝勝の場から婚姻の戦場へ変わった。

信長は笑ったまま、静かに言った。


「ほう」

帰蝶は微笑んでいた。

だがその微笑みは、柔らかなものではない。

(玉。お前が作った宴で、お前自身が狙われた。……さて、どうする?)

七輪の炭火が、ぱちりと音を立てた。

それはまるで、次の火種が生まれた合図のようだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ