表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
細川ガラシャになる前の明智玉でした。父の謀反を止めないと私が燃えるので必死です  作者: れんれん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

63/201

第六十三話「細川の名」

玉が十三になった頃。

岐阜城の空気は、また一段と変わっていた。


戦が終われば終わるほど、

織田の世界は「戦」から「政治」へ移っていく。

武士の刃ではなく、

言葉と血筋が、次の勝敗を決める。

玉はそれを、肌で感じていた。


そして-その日。

厨の片隅で、聞いてしまった。

「安土に城を築くそうだ」

「近江へ政の場を移す」

「朝廷の目も、都の者も、すべて織田に向く」

その会話の中に、ひとつの名が混じった。

細川。


玉の背筋が凍った。

(……来た)

(ついに、細川の名が出た)

胸が苦しい。

呼吸が浅くなる。

玉は知っている。

自分が「細川」に嫁ぐ未来があることを。

だが――理由が分からない。

なぜそうなるのかが分からない。


ただ一つ、今なら想像できる。

(朝廷)

(細川は、朝廷と繋がっている)

(信長は朝廷を無視できない)

(だから……細川を利用する)

そして、その繋ぎとして。

(……私を嫁がせるのか?)


玉の指が震えた。

(冗談じゃない)

(そんな未来、絶対に避ける)

だが避ける方法が、分からない。

歴史は知っている。

しかし歴史の「道筋」は知らない。


玉は唇を噛み、俯いた。

その頃、信長は安土築城に取り掛かっていた。

岐阜の城に留まるつもりはない。

天下の中心を、自らの手で作る。

それが信長という男だった。


近江――都に近い。

朝廷にも、公家にも、寺社にも近い。

武力だけでは治まらぬ世界が、そこにはある。

信長は当然理解していた。

だからこそ、必要になる。

朝廷と話ができる者。

公家に顔が利く者。

文化の言葉を知る者。

その中で、信長の目に留まったのが細川だった。

細川藤孝。


武にも文にも通じ、京の空気を知り尽くした男。

「使える」

信長の中で、それはもう結論だった。

しばらくして。

岐阜城に、細川家から使者が訪れた。

城内は慌ただしくなる。

家臣たちが動き、廊下に緊張が走る。

女房たちの声も小さくなる。

玉はその知らせを聞いた瞬間、

全身の血が引いた。

(……来た)

(細川が、来た)

玉は必死に平静を装った。


だが足が震える。

手が冷たい。

心臓がうるさいほど鳴っていた。

(まだだ)

(まだ決まったわけじゃない)

(でも、始まった)

玉は自分に言い聞かせる。

(私はまだ十三)

(嫁ぐには早い)

(まだ時間はある)


だが心は、否定しきれない。

(信長なら、やる)

(信長なら、必要とあれば平気で嫁がせる)

玉は震えながら帰蝶の部屋へ向かった。


帰蝶は座敷で静かに茶を飲んでいた。

使者の訪問はすでに耳に入っている。

それでも顔色ひとつ変えない。


その前に玉が控える。

玉の足取りは、いつもより硬い。

帰蝶は視線だけで玉を見た。


震えている。

指先が、袖の中で震えている。

息が浅い。


帰蝶は心の中で思った。

(ああ……なるほど)

(細川か)

帰蝶は表情を崩さず、淡々と声を落とした。

「玉。どうした」

玉は言葉が詰まった。

「……何でもございません」

帰蝶は一瞬だけ目を細める。

(嘘だな)

だが帰蝶は追及しない。


追及すれば、玉はもっと怯える。

帰蝶は茶を置き、静かに考えた。

(殿は細川を利用する)

(朝廷と繋ぐために)

(そして縁を結ぶなら、誰かを輿入れさせる)

(……玉?)

帰蝶の脳裏に、玉の姿が浮かぶ。

明智の娘。

血筋としては十分だ。

織田の配下であり、忠義の証にもなる。

(可能性は……無くはない)


だが帰蝶は、すぐに打ち消した。

(だが、殿は玉を政の駒にするにはまだ早い)

(それに――)

帰蝶は思い出す。

信忠の顔。

あの地味な胸当てを着ていた信忠の姿。

それを見つめた玉の目。

そして信忠の目に、確かに浮かんでいた感情。

(あの子は……玉を気に入っている)


帰蝶は小さく息を吐く。

(殿が気づかぬはずがない)

(殿が、嫡男の機嫌を損ねる真似をするか?)

答えは、否。

信長は苛烈だが、無駄は嫌う。

信忠を立てるべき時は立てる。


帰蝶は結論づけた。

(玉は、細川には行かぬ)

(私は手放さぬ)

そして帰蝶は心の中で、冷たく笑った。

(細川は、殿の道具)

(玉は……私の道具)

(そして信忠の未来にも関わる)


帰蝶は玉に視線を戻し、柔らかく言った。

「玉。怯えるな」

玉の瞳が揺れる。

帰蝶は続けた。

「細川が来ようと、殿が何を考えようと、

お前がすぐに何かを奪われることはない」

玉は唇を震わせた。

「……ですが」


帰蝶は、少しだけ声を低くする。

「お前は、私の側にいる」

その言葉は、優しさではなく宣言だった。

玉はその意味を理解した。


帰蝶は玉を守る。

だが同時に、帰蝶は玉を縛る。

それでも今は――それが救いだった。


玉は深く頭を下げた。

「……ありがとうございます」

帰蝶は目を細め、心の中で呟く。

(震えるほど未来を恐れる娘が)

(どうしてここまで動けるのか)

(明智の血か)

(それとも……別の何かか)


帰蝶は興味を捨てなかった。

そして玉もまた、悟り始めていた。

細川の名が出たということは、

未来が近づいているということ。


逃げるには、もう遅い。

ならば――

(逃げるのではなく)

(壊さなければならない)

玉は袖の中で拳を握った。

戦ではない。

政治の場で、未来を折る。

その戦いが、始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ