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細川ガラシャになる前の明智玉でした。父の謀反を止めないと私が燃えるので必死です  作者: れんれん


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第四十四話「耳が足りぬ」

玉は粥を配り終えると、盆を抱えたまま厨へ戻り、湯気の残る鍋を片づけた。

手を洗い、髪を整え、息を整える。


帰蝶のもとへ向かう廊下は、いつもより長く感じた。

襖の前で膝をつき、玉は深く頭を下げた。


「帰蝶様。本日、兵へ粥を配る働きのこと

信忠様より、帰蝶様へ礼を伝えてほしいとの伝言を承りました」


帰蝶は扇をゆっくり動かしたまま、しばらく黙っていた。


そして、扇の陰でわずかに笑った。

「……信忠が、礼を」


その声は淡い驚きと、楽しげな響きを含んでいた。

「お前が兵に粥を配っただけで、あの子が口を動かすとはな。

面白い」


玉は伏せたまま、胸の奥がきゅっと縮んだ。

(面白い、か)

(帰蝶様にとっては、私は駒の一つなのだろう)


帰蝶は続けた。

「今日は下がれ。

お前の顔は灰を吸った顔をしている。

……無理をするな」

「……はい」

玉は頭を下げ、そのまま静かに部屋を辞した。


廊下を歩きながら、まだ鼻の奥に灰の匂いが残っている気がした。

長島の名を思い出すだけで、胸が冷える。


部屋に戻り、襖を閉めた瞬間、玉は力が抜けて座り込んだ。

膝を抱え、目を閉じる。

(私は……何のために岐阜へ来た)

すぐに答えは浮かんだ。


(父を守るため)

(明智を燃やさないため)

(そして私が、燃えないため)

それなのに。

今日、信忠の目を見た瞬間、玉の心は揺れた。

冷たいのに澄んだ眼。

信長のように人を押し潰す眼ではなく、ただ測り、記録する眼。

(信忠様を味方にできれば――)


そんな考えが浮かんだ瞬間、玉は自分を恥じた。

(卑劣だ)

(私は何をしようとしている)

決定権は信忠にはない。

織田家を動かすのは、信長だ。

揺るぎない事実。


玉は唇を噛み、畳に視線を落とした。

(明智が活躍すれば、歴史は変わるのか)

父は賢い。

誰よりも速く考え、誰よりも先を読める。

兵站の仕組みも、武器の工夫も、きっと役に立つ。

だが――それだけで、この巨大な流れが止まるとは思えない。

長島の後、信長を恐れる者が増えるのは確実だ。


恐れは噂を生む。

噂は疑いを生む。

疑いは刃になる。


玉の胸の奥で、不吉な連鎖が音を立てた。

(父は京にいる)

(何をしている?)

(誰に頭を下げ、誰に詰められている?)

(何を押し付けられ、何を飲み込んでいる?)

分からない。

その「分からない」が、玉の思考を鈍らせる。

不安が、心を曇らせる。


玉は息を吐き、拳を握った。

(情報が足りない)

料理で心を掴むことはできる。

宴で褒められることもできる。

だがそれは、城の中の話だ。


父が戦っているのは、もっと深い場所。

京。朝廷。寺社。公家。

そして信長の恐怖が、じわじわと広がる世界。


玉は、ゆっくり顔を上げた。

(耳が足りない)

(目が足りない)

(城の中だけでは、未来は掴めない)


玉は小さく呟く。

「……しっかりしろ」

声は弱い。


だが、自分に言い聞かせるには十分だった。

明智を守るために。

父を守るために。

そして自分の未来を燃やさないために。


玉は決めた。

明日からまた、動く。

料理ではなく、情報のために。

帰蝶の傍にいながら、

信長の周囲の空気を読み、

家臣たちの声を拾い、

京へ向かう噂の流れを掴む。


それが、今の自分にできる唯一の戦だ。

玉は膝を抱えたまま、目を閉じた。

灰の匂いが消えるまで。

この胸の震えが収まるまで。

そして、次に進むために。

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