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細川ガラシャになる前の明智玉でした。父の謀反を止めないと私が燃えるので必死です  作者: れんれん


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第三十五話「紙束の重み」

光秀は、玉から差し出された包みを受け取った瞬間、まず「重さ」に眉を動かした。


紙の束にしては、あまりに厚い。

幼い娘が持つには、妙にずっしりしている。


(これは……何だ)

包み布の結び目は丁寧だった。


角が揃い、乱れがない。

几帳面。


いや、それだけではない。

これは覚悟の形だ。


光秀は座に着いたまま、静かに包みを解いた。

熙子が茶を差し出す気配がしたが、光秀は視線を紙束から離さなかった。


最初の一枚。

太い筆致。

「戦とは、兵を運ぶにあらず

物を運ぶことにあり」


光秀の喉が、わずかに鳴った。

(……兵站)

言葉こそ書かれていない。

だが意味は、まさにそれだった。


兵站――それは、勝敗を決める根でありながら、武士が口にすることを恥じる類の話でもある。

食糧を運ぶ。矢を運ぶ。槍を運ぶ。

それは「裏方」の仕事であり、「武功」ではないと軽んじられてきた。


だが、光秀は知っている。

戦とは腹だ。

腹が減れば兵は動かぬ。


武具が尽きれば、兵は死ぬしかない。

そして、そういう戦の終わり方を――光秀は幾度も見た。

(この娘……何を見てきた)


次の紙。

図。

車輪。

荷台。

引き手。


ただの大八車の絵ではない。

寸法があり、重心の位置が示されている。

(……道具を描いているのではない)

(仕組みを描いている)


光秀は、紙をさらに近づけた。

指先で線をなぞり、脳内で組み立てる。

車輪の位置。

荷の重み。

引く者の力のかかり方。


(軽い)

(これは軽く動く)

(少人数で運べる)

馬がなくとも動く。

道が狭くとも動く。


――これなら、山道でも使える。

光秀の背中に、冷たい汗が走った。


(これは……戦場を知っている者の目だ)

紙の端には注釈があった。


「兵十に対し、荷駄一

これを増やせば、兵は減らしてよい」


光秀は、目を細めた。

常識に反する。

だが理は通る。


補給が強ければ、兵は長く動ける。

長く動ければ、兵数が少なくても勝てる。

勝てば損耗が減る。


損耗が減れば、次の戦に耐えられる。

これは武勇の話ではない。

戦の「維持」の話だ。


光秀は、胸の奥がざわつくのを感じた。

(この娘は、戦を数字で見ている)

(いや、数字だけではない)

(……流れで見ている)


次の紙。

短い弩。

引き金の構造まで描いてある。

弦の張り方。

矢の装填。

光秀は一瞬、呼吸を忘れた。


弓は武士の誇り。

だが弓は鍛錬がいる。

腕がいる。

年月がいる。

弩は違う。

明日、兵を弓兵に変える。

(……これは危うい)

(広めれば、世が変わる)


それは味方にとって有利であり、敵にとっても同じ意味を持つ。

武器とは、使った瞬間に奪われるものだ。


光秀は、紙束の価値を改めて悟る。

(これは「提案」ではない)

(これは「兵法」だ)


さらにめくる。

棒火矢。

火薬の詰め方。

導火線。

湿気対策。


光秀の眉がわずかに動いた。

火薬を扱う者は、必ず湿気に苦しむ。

導火線の長さを誤れば、味方が死ぬ。

この紙に書かれている注意は、机上の学ではない。

現場の失敗を知る者の筆だ。


(……玉は戦場に出たことがない)

(ではなぜ、こういう「失敗」を知っている)


光秀は紙を持つ手を止め、玉を見た。

玉は黙っている。


幼い顔で、まっすぐこちらを見返してくる。

その目が怖い。


怖いのは、子の目ではないからだ。

(まるで、何年も生きた者の目だ)


光秀は視線を紙へ戻す。

石鹸。

香り付き。

油と灰汁を混ぜる工程。

乾燥花を練り、香として焚く手順。


光秀は、ここで初めて胸が少し緩むのを感じた。

(……これは戦のためではない)

(これは、人のためだ)

石鹸は贅沢品だ。

香は、さらに贅沢だ。


だが玉は「贅沢」を書いているのではない。

精神を保つ方法を書いている。


血の匂いを落とす。

眠れぬ夜に香を焚く。

光秀は、ふと理解した。


(この娘は、私を……)

(壊れぬようにしようとしている)


胸の奥が、痛んだ。

光秀は紙束を閉じ、静かに息を吐いた。


疑問が渦を巻く。

誰に教わった。

どこで覚えた。

何を見た。

何を知っている。


そして、もっと恐ろしい疑問。

(この娘は、何を恐れている)

光秀は玉を見据え、低く問う。

「……誰に教わった」


玉は一度だけ息を吸い、用意したように答えた。

「旅の者が、少し……変わった知恵を持っておりました」


光秀は、すぐに分かった。

(嘘だ)

だが、その嘘は稚拙ではない。

守るための嘘だ。


問い詰めれば、この娘は口を閉ざす。

閉ざせば、距離が生まれる。

距離が生まれれば、守れぬ。


そして何より。

(この紙束は、本物だ)

嘘で書ける内容ではない。

知恵だけでなく、経験が混じっている。


光秀は視線を落とし、短く言った。

「……そうか」

その一言で、問いを切った。


玉の肩が、わずかに震えた。

熙子が息を呑む気配がした。

光秀は紙束を丁寧に畳み直し、懐へしまう。


(これは、役に立つ)

いや――役に立つどころではない。

(これがあれば、明智は戦に勝てる)

(戦功が立つ)

(戦功が立てば、明智は軽んじられぬ)


京で削られる日々。

朝廷の使者。

寺社の僧。

公家の嫌味。

織田の武将の嘲り。


それらを黙って背負うしかない自分に、

ようやく「盾」ができる。

功があれば、言葉が変わる。

功があれば、信長の目も変わる。

功があれば、家臣の態度も変わる。


そして

(功があれば、玉の未来も守れる)

光秀は立ち上がり、玉の頭に手を置いた。


ほんの一瞬。

「無事でおれ」

それは父としての言葉だった。


だが同時に、光秀の胸には消えぬ疑念が残っていた。

(玉よ)

(お前は、何を知っている)

(そして、何から逃げようとしている)


紙束の重みは、戦の道具の重みではない。

未来そのものの重みだった。

光秀は静かに目を閉じた。

(使う)

(だが慎重にだ)

(この知恵は、明智を救う)

(そして――私を、救う)

そう確信しながら、光秀はその夜、久方ぶりに深く息を吐いた。

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