第二百十八話 「信長の問い」
安土城。
佐竹家の使者一行はついに安土へ到着した。
長い旅路であった。
常陸から美濃を越え、近江へ。
関東の大名にとって安土は遠い。
それでも和田昭為と佐竹義久の表情に疲れは見えなかった。
彼らは佐竹家の命運を背負っている。
軽い気持ちで来たわけではない。
やがて謁見の日を迎える。
広間には織田家の重臣たちが並んでいた。
丹羽長秀。
柴田勝家。
滝川一益。
そして明智光秀。
その先。
上座には織田信長が座っている。
和田は深く頭を下げた。
「佐竹義重様の名代として参りました和田昭為にございます」
信長は何も言わない。
先を促すように視線だけを向けた。
和田は口上を続ける。
「佐竹家は織田家との良き関係を望んでおります」
「関東の安定のため」
「互いに力を合わせることができればと考えております」
丁寧な言葉だった。
だが信長は黙って聞いていた。
最後まで。
一言も挟まない。
やがて口上が終わる。
静寂。
誰も口を開かない。
信長はゆっくりと佐竹の使者を見た。
そして。
「佐竹は何を望む」
その一言だった。
和田は答える。
「北条の抑止にございます」
正直な返答だった。
信長は鼻で笑う。
「正直だな」
「偽る理由もございませぬ」
和田も引かなかった。
信長は面白そうに目を細める。
だが次の言葉は予想外だった。
「里見は臣従を申し出た」
広間が静まり返る。
和田も義久も表情を変えなかった。
しかし内心は驚いていた。
臣従。
そこまで踏み込んだのか。
信長は続ける。
「港を開く」
「織田船を受け入れる」
「兵の逗留も認める」
信長の声は淡々としていた。
だが。
言葉の重みは十分に伝わる。
「房総にはいずれ織田の船が入るであろう」
和田は黙った。
信長はさらに続ける。
「佐竹はどうする」
答えられない。
すぐには。
里見の提案は予想以上だった。
単なる友好ではない。
明確に織田を関東へ招き入れる決断だ。
それを今ここで初めて知った。
信長は和田を見つめる。
そして。
不意に笑った。
「帰れ」
広間がざわつく。
和田も一瞬固まった。
「帰って義重と話せ」
信長は続ける。
「考えが足りぬ」
その場の空気が張り詰める。
だが信長の目は真剣だった。
「里見は覚悟を決めた」
「佐竹はまだ決めておらぬ」
厳しい言葉だった。
しかし事実でもある。
和田は反論できなかった。
信長は腕を組む。
「北条をどうしたい」
「織田に何を求める」
「その代わり何を差し出す」
「それを決めてから来い」
静かな声だった。
だが拒絶ではない。
むしろ機会を与えている。
長秀は内心で感心していた。
これでは佐竹も本気で考えざるを得ない。
中途半端な同盟話はできなくなる。
和田はゆっくり頭を下げた。
「承知いたしました」
義久も続く。
「必ずや答えを持って参ります」
信長は頷いた。
「待っておる」
それだけだった。
謁見は終わる。
退出する和田と義久。
その背中を見ながら信長は地図へ目を向けた。
関東。
やはり面白い。
結束していない。
だからこそ動く。
そして。
その中心にいるのは北条だった。
北条が強いから里見が動く。
北条が強いから佐竹も動く。
つまり。
関東の鍵は北条にある。
信長は小さく笑った。
「さて」
誰にも聞こえない声だった。
関東はまだまだ動く。
そう確信していた。
一方。
安土の宿に戻った和田と義久は顔を見合わせる。
「思った以上だったな」
和田が呟く。
義久も頷いた。
「殿へ急ぎ報せねばなりませぬ」
二人はその夜のうちに書状を書き始めた。
佐竹家にとって。
これからが本当の決断になる。
本能寺まであと二百七十日。




