第二百十七話 「常陸の覚悟」
常陸国・太田城。
佐竹家の評定の間には重い空気が流れていた。
議題は一つ。
里見家である。
「また織田へ使者を送ったか」
当主・佐竹義重は腕を組みながら報告を聞いていた。
「間違いございませぬ」
家臣が頭を下げる。
「前回に続き、再び安土へ向かったとのこと」
義重は静かに息を吐いた。
北条と争う里見。
北条と争う佐竹。
立場は似ている。
だからこそ里見の考えも分かった。
「放置はできませぬな」
重臣の一人が口を開く。
「里見が織田と強く結びますれば、北条との力関係は大きく変わります」
「我らも動くべきではありませぬか」
義重も否定しなかった。
実際に考えていたからだ。
関東はまとまらない。
上杉もいる。
北条もいる。
各家がそれぞれの思惑を抱えている。
だが一つだけ共通するものがあった。
北条への警戒である。
もし織田の力を関東へ引き込めるなら。
その均衡は崩れる。
しばらく沈黙が続く。
その時だった。
一人の男が前へ進み出た。
「殿」
声を上げたのは筆頭家臣・和田昭為であった。
義重が顔を向ける。
「私が安土へ参りましょう」
評定の間がざわついた。
筆頭家臣自ら赴く。
それは佐竹家の本気を示すことになる。
「和田」
義重が低く言う。
「承知の上でございます」
昭為は頭を下げた。
「織田が何を考えているのか」
「関東をどう見ているのか」
「それを見極める者が必要でございます」
義重は黙った。
確かにその通りだった。
使者では足りない。
本気を見せなければならない。
その時だった。
さらに一人の若者が立ち上がった。
「叔父上」
義重が目を向ける。
そこにいたのは甥の佐竹義久であった。
まだ十七歳。
だが一門の期待を背負う若武者である。
「私も同行いたします」
重臣たちが顔を見合わせる。
義重は眉をひそめた。
「何を言う」
しかし義久は真っ直ぐ義重を見た。
「もし織田が人質を望むのであれば」
「私を差し出してください」
部屋の空気が凍る。
誰も言葉を発しない。
義重も一瞬言葉を失った。
「馬鹿を申すな」
ようやく絞り出した声だった。
しかし義久は引かなかった。
「佐竹のためです」
「北条を抑え」
「家を守れるのであれば」
「私は安いものです」
若い。
だが覚悟だけは本物だった。
義重は目を閉じた。
ふと嫡男の義宣の顔が浮かぶ。
義宣はまだ十二歳。
家を継ぐ存在だ。
失うことは許されない。
だが義久もまた佐竹家の未来を担う若者だった。
「……本気か」
「はっ」
迷いのない返事だった。
評定の間に静寂が落ちる。
やがて義重はゆっくり頷いた。
「分かった」
家臣たちが顔を上げる。
「和田」
「義久」
「二人で行け」
二人は深く頭を下げた。
「はっ!」
こうして決まった。
佐竹家もまた動き出したのである。
その日のうちに書状がしたためられた。
宛先は織田信長。
そして贈り物も準備された。
常陸の名馬。
名工の打った刀。
良質な鉄。
そして佐竹家の誠意。
数日後。
和田昭為と佐竹義久を中心とする使節団が太田城を出立する。
目指すは安土。
天下人の待つ地である。
城壁の上から見送る義重は小さく呟いた。
「里見だけに先を行かせるものか」
その視線は西を向いていた。
今。
関東の流れが変わり始めている。
里見が動いた。
佐竹も動いた。
そしてその先で。
信長が何を選ぶのか。
まだ誰にも分からなかった。
本能寺まであと二百六十三日。




