第二百話 「若殿の評定」
岐阜城。
信忠は朝から評定を開いていた。
以前なら軍議が中心だった。
だが今は違う。
議題の多くは領国経営である。
街道整備。
河川改修。
港の管理。
銭の流通。
戦に勝つためではなく、 勝った後に国を回すための話が増えていた。
「美濃と尾張を結ぶ街道の補修は順調にございます」
「近江からの流通量も増加しております」
家臣たちが次々と報告する。
信忠は一つ一つ確認していく。
若い。
だが以前のように勢いだけではない。
話を聞き、 整理し、 判断する。
そんな姿が少しずつ板についてきていた。
評定の後。
光秀がふと口を開いた。
「若殿」
「何でしょう」
「最近、家臣たちの顔つきが変わりましたな」
信忠は少し考えた。
「良い方ですか」
「ええ」
光秀は笑う。
「安心しておるのです」
戦ばかりではない。
明日の暮らし。
領地の安定。
そういったものが見え始めている。
それは武将たちにとっても大きい。
「まだ父上には及びません」
光秀は苦笑する。
すると。
「比べる必要はありますまい」
と光秀。
「信長様は信長様」
「若殿は若殿です」
その言葉に信忠は少し黙った。
以前なら。
父の背中ばかり見ていた。
だが今は違う。
自分の役目がある。
そう思えるようになっていた。
一方。
奥では玉が熙子と共に刺繍をしていた。
最近は穏やかな日が続いている。
「母上」
「なんでしょう」
「父上は昔からあのようなお方でしたか」
熙子は思わず笑った。
「どのようなお方です?」
「真面目で」
「融通が利かなくて」
「時々頑固で」
玉が言うたびに、 熙子の笑顔が深くなる。
「その通りです」
玉もつられて笑った。
光秀は昔から変わらない。
真っ直ぐで。
不器用で。
だからこそ信頼できる。
「ですが」
熙子が優しく続ける。
「最近は特に楽しそうですよ」
「父上が?」
玉は驚く。
「ええ」
「娘が幸せそうですから」
玉は思わず視線を落とした。
少し照れくさい。
だが。
嬉しかった。
そんな話をしている頃。
安土城では信長が秀吉からの報告を読んでいた。
備中高松城。
包囲は順調。
海路封鎖も効いている。
兵糧も不足し始めていた。
「官兵衛の策も上手くいっておるな」
信長が呟く。
側にいた長秀も頷いた。
「毛利は厳しい状況かと」
信長は笑った。
今の毛利は苦しい。
長宗我部との連携。
海路封鎖。
補給路の圧迫。
一つ一つは小さい。
だが積み重なれば重い。
「戦とは槍だけではない」
信長はそう言った。
そして窓の外を見る。
西は形になりつつある。
では東はどうか。
里見。
北条。
佐竹。
それぞれが探り合っている。
まだ動かない。
だが。
確実に空気は変わっていた。
その頃。
房総。
里見家の使者・正木時茂は安土からの返答を待ちながら考えていた。
織田はすぐには手を差し伸べなかった。
だが。
門前払いでもない。
それだけで十分だった。
「信長は思った以上に慎重だな」
そう呟く。
豪胆な覇王。
そんな噂ばかり聞いていた。
だが実際は違う。
相手を見極める。
利益を測る。
そして動く。
だからこそここまで大きくなったのだろう。
正木は静かに空を見上げた。
東国もまた、 変わる時が近づいているのかもしれない。
本能寺まであと三百日。




