第百九十九話 「近づく者たち」
安土城。
光秀からの報告を聞き終えた信長は静かに笑った。
「里見がな」
丹羽長秀が頷く。
「北条を警戒しております」
「当然だ」
信長は文を机へ置く。
里見は生き残るために動いた。
それだけのこと。
だが。
生き残ろうとする者は使える。
「返事は出す」
信長が言う。
「ですが会われるので?」
長秀が尋ねる。
信長は首を横に振った。
「まだ早い」
その一言で決まった。
里見の使者は追い返さない。
だが。
信長自身も会わない。
まずは見極める。
それが信長だった。
翌日。
光秀は再び里見の使者・正木時茂と会っていた。
「殿は使者殿を無下にはされませぬ」
正木は静かに聞いている。
「ですが」
光秀の声が続く。
「織田は言葉だけで動く家ではございませぬ」
正木の目がわずかに細くなる。
「何を望まれますか」
「関東の情勢」
「港の状況」
「各家の動き」
光秀は淡々と告げる。
「それらを知りたいと」
正木はしばらく考えた。
そして頷く。
「承知いたしました」
織田は甘くない。
だが。
完全に拒絶されたわけでもない。
それだけでも収穫だった。
一方。
その動きは関東にも伝わり始めていた。
小田原城。
北条氏政は報告を受けると静かに目を閉じた。
「里見が安土へか」
重臣たちも顔を見合わせる。
誰も驚いてはいない。
むしろ。
ついに動いたか。
そんな空気だった。
「織田につくつもりでしょうか」
氏直が聞く。
氏政は首を振った。
「まだ分からぬ」
「だが」
そこで言葉を切る。
「疑われた時点で関東は揺れる」
それが問題だった。
同盟とは信頼で成り立つ。
だが関東は元々信頼など薄い。
その中で里見が織田へ接近した。
それだけで疑念は生まれる。
「面倒なことになったな」
氏政は小さく息を吐いた。
佐竹家でも同じだった。
「里見が動いたか」
佐竹義重は豪快に笑う。
「面白くなってきた」
家臣たちは苦笑する。
だが義重の目は真剣だった。
関東の均衡が少しずつ揺れている。
そして。
その原因が西の織田。
「戦もせずに関東を揺らすか」
義重は呟く。
「信長という男は厄介だな」
その頃。
岐阜城。
玉は縁側で風に当たっていた。
少しずつ大きくなるお腹。
穏やかな日々。
母の熙子も隣にいる。
「最近は考え事が減りましたね」
熙子が微笑む。
玉も少し笑った。
「皆が支えてくれるので」
昔なら。
全てを自分で抱えていただろう。
だが今は違う。
信忠がいる。
父がいる。
母がいる。
だから任せられる。
ふと。
玉は届いた報告へ目を向けた。
里見。
長宗我部。
商人。
海運。
最近の報告には共通点がある。
皆。
織田へ近づいてきている。
長宗我部もそうだった。
敵になる前に手を結んだ。
商人たちもそう。
そして今は里見。
玉は静かに思う。
歴史が変わっている。
確実に。
本来なら織田へ敵対した者たちが、 別の選択を取り始めている。
それは良いことなのか。
悪いことなのか。
まだ分からない。
ただ一つ。
史実の通りではない未来が、 少しずつ形になっている。
その頃。
備中。
羽柴秀吉は高松城を遠く見つめていた。
城は孤立しつつある。
兵糧は減る。
海路は織田が押さえた。
さらに長宗我部との連携によって、 瀬戸内の流れも以前とは違う。
「殿」
黒田官兵衛が近づく。
「毛利も苦しいでしょうな」
秀吉は頷く。
「追い詰められとる」
史実よりも。
確実に。
毛利は苦しい立場にあった。
西は固まりつつある。
東は揺れ始めている。
そして織田は、 さらに大きくなろうとしていた。
本能寺まであと三百三日。




