第百九十二話 「東国の波紋」
関東。
この広大な地は未だ一つではない。
北条。
里見。
佐竹。
宇都宮。
結城。
そして揺れる上杉。
それぞれが思惑を抱え、 互いを警戒し続けている。
だが今。
その全てが、 西から伸び始めた“織田”という巨大な流れを意識し始めていた。
小田原城。
北条氏政は静かに文を読んでいた。
「八丈島の拠点拡張……か」
傍らには北条氏直。
さらに重臣たちも並ぶ。
「父上」
氏直が口を開く。
「織田は本気で東へ目を向け始めておりますな」
氏政は文を置いた。
「海を見ておる」
「は?」
「織田は陸だけではない」
「海を握ろうとしておる」
部屋が静かになる。
北条は理解していた。
海を制するということは、 兵糧。
流通。
銭。
情報。
全てを握るということ。
しかも今の織田は、 単なる武力だけではない。
商人。
港。
海運。
それらを利用し始めている。
「厄介ですな」
重臣の一人が呟く。
「正面からぶつかれば、関東も無事では済みませぬ」
氏政は黙っていた。
それが事実だからだ。
今の織田は勢いが違う。
下手に刺激すれば、 逆に関東がまとまる前に呑み込まれる可能性すらある。
「だが」
氏政が低く言う。
「織田も一枚岩ではあるまい」
その言葉に氏直が反応した。
「違和感、にございますか」
氏政は頷く。
最近、 妙に情報が早い。
誰が流しているのか分からない。
だが。
何かが水面下で動いている。
それだけは感じていた。
一方。
里見家。
館山城。
里見義頼は海図を見つめていた。
「大船、か……」
側近が緊張した声で言う。
「織田の船団は、既に瀬戸内で無類の強さと」
義頼は苦い顔をする。
里見は海を知る。
だからこそ分かる。
海を握る者の恐ろしさを。
「北条だけではない」
「いずれ我らも睨まれる」
義頼はそう呟いた。
もし織田が東へ本格進出すれば。
海は戦場になる。
しかも今の織田は、 兵だけではなく商人も連れてくる。
それが厄介だった。
「武だけの相手ではない、か」
誰かが小さく漏らす。
その言葉に誰も反論しなかった。
さらに北。
佐竹家。
佐竹義重は豪快に笑っていた。
「面白いではないか!」
重臣たちは困惑する。
「殿、織田にございますぞ?」
「だからよ」
義重は笑みを浮かべた。
「関東が揺れれば、北条も動かねばならぬ」
「ならばこちらにも機が来る」
佐竹は北条と対立している。
だからこそ、 織田の存在を単純な脅威とは見ていなかった。
「だが油断はできませぬ」
側近が言う。
「最近、妙な噂も増えております」
「妙な噂?」
「はい」
「織田の動きが妙に漏れていると」
義重はそこで笑みを消した。
「……ほう」
その目だけが鋭くなる。
「誰が流しておる」
「分かりませぬ」
「だから妙なのです」
義重は腕を組む。
関東は情報戦の地でもある。
だが。
最近の流れは少し違う。
見えない。
繋がらない。
そこが不気味だった。
そして越後。
上杉景勝のもとでも同じ話が出ていた。
「織田は東へ来ると思うか」
直江兼続が静かに答える。
「いずれ」
景勝は黙り込む。
上杉は今、 内側の問題も抱えている。
だが。
それでも織田は無視できない。
「武だけでは止まらぬ相手か」
景勝の呟き。
兼続は静かに頷いた。
「今の織田は、流れそのものを作り始めております」
銭。
流通。
海。
情報。
それら全てを繋げ始めている。
だからこそ厄介だった。
その頃。
岐阜。
玉は静かに東国の報告へ目を通していた。
各地が揺れている。
だが。
まだ誰も動かない。
誰も決定打を打てない。
それほど今の織田は巨大になり始めていた。
だが。
巨大になればなるほど、 歪みもまた大きくなる。
玉は静かに腹へ手を添える。
「……まだ見えない」
誰が敵なのか。
誰が味方なのか。
本当に本能寺は来るのか。
未来はまだ、 深い霧の中だった。
本能寺まであと三百七日




