第百九十一話 「揺れる視線」
安土城。
信長は南蛮から届いた品を眺めながら静かに笑っていた。
鉄。
硝石。
織物。
海を握れば、 世界が繋がる。
今の織田はまさにそこへ手を伸ばしていた。
「殿」
長秀が文を持って現れる。
「関東より報告にございます」
信長は受け取る。
八丈島。
補給拠点。
海路整備。
着実に進んでいる。
だが。
そこにもまた“違和感”があった。
「……妙に早い」
信長が呟く。
「は」
「こちらの動きに対する反応が早すぎる」
長秀も同じことを感じていた。
偶然。
そう片付けるには重なりすぎている。
だが。
未だ繋がりは見えない。
「誰かが見ておる」
信長は静かに言った。
「だが誰も姿を見せぬ」
それが逆に不気味だった。
普通なら。
動けば欲が出る。
名が出る。
繋がりが出る。
だが今回はそれがない。
まるで、 “空気”だけが動いているようだった。
「殿」
長秀が少し声を落とす。
「もしや、家中ではなく……」
信長は笑った。
「外か?」
「ある」
そう。
可能性は幾らでもある。
朝廷。
寺社。
商人。
敵対大名。
だが。
逆に可能性が多すぎる。
だからこそ信長はまだ断定しない。
「慌てるな」
信長は文を置く。
「焦れば相手の思う壺よ」
その目は鋭い。
獣が森の気配を探るようだった。
一方。
岐阜城。
玉もまた同じことを考えていた。
「家中だけではない……」
小さな声。
熙子が静かに茶を置く。
玉は最近、 考え込む時間が増えていた。
違和感は広がっている。
だが。
誰も姿を見せない。
そこが何より異常だった。
「玉」
熙子が優しく言う。
「少し休まれては」
玉は苦笑する。
「そうしたいのですが……」
頭が止まらない。
本能寺。
未来。
違和感。
全てが繋がりそうで繋がらない。
玉は静かに腹へ手を添える。
この子が産まれる頃、 織田はどうなっているのか。
信長は。
信忠は。
父は。
誰が生き残っているのか。
そこすら今は見えなくなっていた。
「本当に本能寺なの……?」
玉はぽつりと呟く。
熙子には意味が分からない。
だが。
玉は真剣だった。
歴史がここまで変わっているなら、 “本能寺”という形そのものが変わる可能性もある。
場所。
相手。
理由。
全て。
ならば。
自分は何を警戒するべきなのか。
玉はそこに悩み始めていた。
その夜。
岐阜城下。
一人の男が静かに酒を飲んでいた。
周囲には武士や商人。
雑多な声。
笑い声。
その中で男は何気なく会話を聞いている。
「最近の織田は凄いな」
「戦だけじゃねぇ」
「商いまで握っちまう」
「だが……」
そこで声が少し落ちた。
「このまま行けば、武士の世も変わるかもしれんな」
男は黙って杯を置く。
表情は見えない。
ただ。
静かに席を立った。
本能寺まであと三百九日




