第十九話 選択する時―玉の苦悩
玉は思った。
帰蝶様から、情報を引き出すのは無理だ。
あの方は、聞かれた瞬間にこちらの意図を嗅ぎ取る。
問いを投げたつもりが、いつの間にか自分が解かれている。
まるで、糸を引いたはずなのに、逆に首に縄をかけられているような感覚。
私は布団の中で、膝を抱えた。
帰蝶の目が浮かぶ。
笑っているのに、笑っていない目。
温かい言葉を吐きながら、心の温度が一度も上がらない目。
(あの人は、味方じゃない)
味方ではない。
けれど敵とも言い切れない。
あの方はただ、織田の女だ。
織田の利益になるなら、誰でも守り、誰でも切る。
それが帰蝶。
だから私は、帰蝶に「頼る」のではなく、帰蝶の懐で「生き延びる」しかない。
情報を得るなら、別の場所だ。
帰蝶の口から出る言葉は、選び抜かれた言葉しかない。
漏れた情報など存在しない。
だが
城には、もっと緩い口がある。
油断する口。
恐怖で喋る口。
自慢で漏らす口。
嫉妬で噂を撒く口。
そして何より、女の口。
侍女たち。
下働きの女たち。
彼女らは、帰蝶のように「守る言葉」を知らない。
守るべきものが違うからだ。
守るのは家ではなく、今日の飯と、明日の居場所。
そのために彼女らは噂を持つ。
噂は命綱だ。
私は布団の中で、静かに息を吐いた。
(私が集めるのは、書状ではない)
(真実でもない)
(噂だ)
噂は嘘も混じる。
だが嘘が混じっていても、火の匂いは消えない。
火が近づけば、噂の数が増える。
噂が増えれば、人の目が泳ぐ。
人の目が泳げば、次に何が起こるかが見える。
私は目を閉じた。
帰蝶の部屋で、将軍という文字を見た。
京は動いている。
父上は、その渦の中にいる。
ならば私は、城の底から渦を測る。
帰蝶の懐に入った私は、もう戻れない。
戻れば「帰蝶に見切られた娘」になる。
それは明智にとって不利になる。
私はここに残り、ここで手を伸ばす。
帰蝶に気づかれずに、情報を拾う。
そのために必要なのは、たった一つ。
「味方」だ。
私の耳。
私の目。
私の足。
――侍女を一人、作る。
私は布団の中で小さな手を握りしめた。
子どもの手だ。
細く、弱い。
だがこの手で、歴史を掴む。
私は心の中で呟いた。
(明智の娘として、生きるために)
(玉として、燃えないために)
(細川へ行かぬ未来へ行くために)
(父上が刃にならぬようにするために)
(私は、最短の道を選ぶ)
帰蝶を動かすのではない。
帰蝶の影で、城を動かす。
私はゆっくりと息を吐き、眠れぬ夜の闇の中で、次の一手を組み立て始めた。
静かに。
誰にも気づかれぬように。
天下の火種が育つ前に。




