第百八十話 「東の海」
織田の大船団は静かに海を進んでいた。
目的地は八丈島。
関東へ睨みを利かせるための海上拠点。
その建設は着実に進んでいる。
青船では接岸できぬため、小舟を使い物資を運び込む。
木材。
兵糧。
水。
鉄。
少しずつではあるが、島は補給拠点として形になり始めていた。
その中心にいるのが滝川一益である。
滝川は海を見ながら静かに腕を組む。
「……順調すぎるな」
家臣が振り返る。
「何かございますか?」
滝川はすぐには答えなかった。
関東は割れている。
北条。
里見。
上杉残党。
国衆。
決して一枚岩ではない。
本来ならば、こちらの動きへ即座に対応できるはずがない。
だが。
妙に反応が早い。
こちらが海路を動かせば、先回りするように船が消える。
補給を運ぼうとすると、周辺の動きが変わる。
決定的ではない。
だが。
まるでこちらの動きを知っているかのような感覚があった。
「情報が漏れているのか……?」
滝川が呟く。
だが確証はない。
そもそも。
何処から漏れる?
船団の規模は大きい。
隠し切れるものでもない。
見られた可能性もある。
商人から流れた可能性もある。
あるいは。
単なる考えすぎかもしれぬ。
そこが気味悪かった。
家臣が低く言う。
「北条でしょうか」
「……分からぬ」
滝川は首を振る。
「敵が見えぬうちは決めつけるな」
だが。
違和感だけは消えない。
その頃。
八丈島では砦の建設が続いていた。
見張り台。
物資庫。
井戸。
小規模ながらも、確実に“織田の拠点”になり始めている。
そして海。
この位置は大きい。
ここからなら関東沿岸へ睨みを利かせられる。
海路の監視も可能。
何より。
東へ出るための足場になる。
滝川はその重要性を理解していた。
「殿は先を見ておられる」
西だけではない。
信長は既に東を見始めている。
だからこそ、この任を自分へ与えた。
滝川はその期待に応えたかった。
夜。
滝川は書状を書いていた。
宛先は安土。
信長へ。
八丈島の進行状況。
砦の拡張。
補給状況。
関東諸勢力の動き。
そして。
最後に違和感についても記す。
――関東はまとまり無き様子。
――しかし妙にこちらの動きへの反応が早く感じられ候。
――情報漏洩か、あるいは海上監視か。
――未だ断定はできませぬ。
滝川は筆を止める。
確証のない話を書くべきか迷った。
だが。
今の織田は情報を軽視しない。
小さな違和感こそ、後に大きな意味を持つ。
それを信忠や光秀を見て理解していた。
滝川は静かに文を閉じる。
「殿ならどう見る……」
海の向こうには関東。
まだ見えぬ巨大な勢力圏。
そして。
その海の流れの中にもまた、誰にも見えぬ小さな違和感が漂い始めていた。
本能寺まであと三百三十九日




