第百四二話 「初夜」
宴を抜けた2人は
奥の間部屋にいた。二人だけに用意された
特別な部屋であった。
「信忠様、玉はこの時を一日千秋の思いで
お待ちしておりました。」
「不束者ですが織田のためこの身を委ね
生きてまいります。」
「末永くよろしくお願いします」
玉はそう言うと頬を染め恥ずかしそうにする。
信忠は
「玉、そなたは可愛く賢い、いつも玉を目で追っていた。
最初のあの粥の時から気になっていた。
聡明でありながら、人の気持ちを感じられ
優しさを持ち合わせ、しかもあの胴丸である
あれで命を救われ、玉の事が心のなかに住み着いていくのがわかった。
日の本のどこを探してもこれほどの嫁はいないだろう。
この信忠、玉のことを守るも約束する。そして幸せにすると約束しよう。」
二人して抱きしめ合い信忠がフッと蝋燭の火を消した。
蝋燭の芯がじり、と音を立てて消える。視界が漆黒に塗りつぶされた瞬間、それまで抑えていた五感が研ぎ澄まされた。
衣擦れの音、互いの荒い吐息、そして静寂の中に響く心臓の音。
「玉……」
信忠の声は、昼間の勇猛な若大将のものとは異なり、
慈しみに満ちていた。
彼の手が、震える玉の肩に触れる。
幾重にも重ねられた豪奢な打掛が、
一枚、また一枚と滑り落ち、二人の間にあった形式という名の障壁を取り払っていく。
信忠の逞しい腕が玉の細い腰を引き寄せた。
玉は、父・光秀譲りの凛とした気品を纏いながらも、その肌は雪のように白く、触れれば溶けてしまいそうなほどに繊細だ。
信忠の指先が玉の項から背中へと這う。
「日の本一の嫁、か。私は果報者だな」
信忠の囁きが耳朶を打ち、玉の身体を甘い痺れが駆け抜ける。
十五歳の少女にとって、初めて知る異性の体温は、
驚くほどに熱く、力強い。玉は信忠の胸に顔を埋め、
その鋼のような筋肉の躍動を感じ取った。
「信忠様……。わたくしを、あなたの色に染めてくださいませ……」
絡み合う指先が、互いの体温を確かめ合う。
信忠の唇が、玉の額、頬、そして震える唇を塞ぐ。
それは初めは羽が触れるような優しさであったが、次第に渇望を孕んだ深い口づけへと変わっていった。
一度目の交わりは、荒々しくも切ない「確認」の儀式であった。
戦国の荒波を生き抜く信忠の力強さと、
それを受け止める玉の覚悟。
痛みに耐えるように爪を立てる玉の背を、信忠は宥めるように何度も撫で下ろす。
やがて、苦痛は甘美な疼きへと変容し、玉の瞳には涙が浮かんだ。
それは悲しみではなく、愛する男と一つになれた歓喜の雫であった。
しかし、信忠の情熱は一度では枯渇しなかった。
「玉、まだ離さぬぞ」
短く荒い呼吸を整える間もなく、信忠は再び玉の白い肢体を組み伏せる。
一度目で互いの境界線が曖昧になった二人の肌は、汗で吸い付くように密着している。
二度目は、より深く、より探り合うような熱情に支配された。
信忠の指が玉の秘められた熱源を優しく、
時には強引に蹂躙する。
玉は声を殺そうと唇を噛むが、漏れ出る吐息は情欲の熱を帯びて部屋の空気を孕ませた。
「ああ……信忠様、そこは……っ!」
「お前のすべてを、この俺に刻み込め」
信忠の言葉はもはや命令ではなく、祈りに近かった。常に死と隣り合わせの戦場に生きる彼にとって、この瞬間の玉の温もりこそが、自身が生きている唯一の証であったのだ。
玉もまた、信忠の背中を強く抱きしめ、彼という存在を自身の一部として取り込もうとする。
夜が更けるにつれ、二人の理知は本能の炎に焼き尽くされていった。
三度目の契りは、もはや言葉を必要としなかった。疲労を感じるどころか、重なり合うたびに生命力が溢れ出すような錯覚に陥る。
玉の長い黒髪が寝所に乱れ、信忠の肌を弄ぶ。
「信忠様……信忠様……!」
名前を呼ぶ声は掠れ、意識は白濁していく。視界の隅で、わずかに差し込む月光が、交わる二人の身体を神々しく照らし出していた。戦国の世、明日の命も知れぬ二人にとって、この夜の長さは永遠に等しい価値を持っていた。
信忠は玉の首筋に顔を埋め、彼女の香りと、そこを流れる命の鼓動を全身で受け止める。
玉の小さな手が、信忠の頭を抱き寄せ、母性にも似た深い慈愛で彼を包み込んだ。
やがて、東の空が白み始める頃。
幾度もの高まりを終えた二人は、乱れた寝具の中で静かに寄り添っていた。
信忠の腕の中で、玉は静かに呼吸を整えている。その表情には、少女から女へと変わった艶やかさと、愛する夫を支え抜くという強い意志が宿っていた。
「玉。この天下、必ずや俺の手で平らげてみせる。お前が笑って暮らせる世をな」
信忠がそう告げると、玉は愛おしそうに夫を見上げ、その胸にそっと手を置いた。
「信忠様の行く先が、たとえどのような修羅の道であっても。わたくしは、どこまでもついて参ります」
初夜の情熱は、単なる肉体の交わりではなかった。
それは、戦国という過酷な時代を共に駆け抜ける、
二人の魂の契約。
夜明けの光が部屋に差し込み、
新妻となった玉の頬を赤く染めていった。




