第百十九話「海の激突(毛利水軍、鉄の城に挑む)」
瀬戸内。
冬の海は荒れ、波は低く唸っていた。
その海を、無数の船影が埋め尽くしていた。
毛利水軍。
村上水軍を中心とした船団が、潮の流れに合わせて扇のように広がる。
小早。
関船。
安宅船。
数で押し、囲い込み、焼き払う。
それが毛利の海の戦い方だった。
海を知り尽くした者たちの布陣。
だが――その海に、異物が現れる。
沖合。
巨大な影がゆっくりと近づいてきた。
船。
いや、城。
鉄で覆われ、舷側は壁のように高い。
波を割り、海そのものを押し退けるように進んでくる。
毛利の兵たちは、思わず息を呑んだ。
「……なんだ、あれは」
「船か?」
「いや、船の形をした城だ……!」
指揮を執る男は、村上武吉。
瀬戸内を知り尽くし、毛利の水軍を束ねる猛将である。
武吉は双眼のように目を細め、巨大船を見据えた。
(織田が船を作ったとは聞いていた)
(だが、これほどとは……)
その船は、進むだけで海が割れる。
船団の中心を真っ直ぐに狙っていた。
止めねばならぬ。
ここを通せば、兵站が繋がる。
兵站が繋がれば、秀吉が止まらぬ。
それは毛利にとって、敗北を意味した。
武吉は叫ぶ。
「囲め!」
「横から突け!船腹を割れ!」
太鼓が鳴る。
毛利の船が一斉に動き、巨大船を取り囲もうとする。
村上武吉の脳裏には、勝ち筋があった。
海戦は数。
そして操船。
織田は陸の者。
海を知らぬ。
ならば、船を止めて燃やせばよい。
武吉は指示を重ねる。
「火矢を放て!」
「焙烙を投げ込め!」
矢が飛ぶ。
火が舞う。
だが――燃えない。
鉄が火を弾く。
油を流し、火を移そうとする船が近づくが、舷側が高すぎて登れぬ。
「登れぬ……!」
「梯子を!」
梯子をかけようとする。
しかしその瞬間。
船上から、種子島の火花が走った。
乾いた音。
銃弾が水軍の兵を撃ち抜く。
「ぐあっ!」
「撃たれるぞ、下がれ!」
武吉の目が鋭くなる。
(鉄で守り、上から撃つ……)
(まるで城攻めの逆だ)
巨大船は速度を落とさない。
むしろ。
囲い込もうとする船を、正面から押し潰していく。
安宅船が突っ込む。
衝突。
木が裂ける音。
毛利の安宅船の船首が砕けた。
「ば、馬鹿な……!」
武吉は歯を噛み締めた。
(押し負ける?)
(この海で?)
巨大船は、中央を割って進む。
船団が裂ける。
毛利の誇る包囲が、真っ二つに割られていく。
武吉は焦りを押し殺し、冷静に状況を読む。
(あれは無敵ではない)
(だが弱点が見えぬ)
(火が効かぬ)
(登れぬ)
(船腹を割れぬ)
(そして撃たれる)
武吉は理解した。
この船は戦うためではない。
通るための船。
兵站を運ぶための船。
戦を避け、海を押し切るための船。
だからこそ、止めねばならぬ。
武吉は叫ぶ。
「船を捨ててでも止めろ!」
「鎖を張れ!」
「網を投げろ!」
次々に仕掛けが投げ込まれる。
だが巨大船は、網を引き裂き、鎖を弾き、進み続ける。
その船首が水を切るたび、毛利の兵は恐怖した。
(これは船ではない)
(海に浮かぶ槍だ)
武吉は内心で呟く。
(信長め……)
(陸の覇者が、海の形まで変えるか)
そして次の瞬間。
巨大船の側面から、焙烙玉が放たれた。
小型投擲器。
夜空を裂く火の弧。
爆ぜる音。
陶器片が飛び散り、毛利の甲板が血に染まる。
「うわああっ!」
「火だ!火を消せ!」
武吉は目を見開いた。
(焙烙玉を船で……?)
(しかも破片入りか)
毛利の船は混乱する。
それでも船数は多い。
包囲を再び閉じようとする。
だがその瞬間、巨大船がさらに速度を上げた。
船団の中心が、完全に割れた。
武吉は歯を食いしばった。
(通された)
(通されれば、秀吉が伸びる)
(織田の兵站が、西国を呑む)
武吉は即座に決断した。
「追うな!」
家臣が叫ぶ。
「武吉様!追わねば!」
武吉は怒鳴った。
「追えば沈む!」
「船を失えば毛利の海が終わる!」
武吉は冷静だった。
海の覇者は、無駄死にを嫌う。
この戦は、勝つ戦ではない。
止める戦だった。
だが止められなかった。
武吉は拳を握り締める。
(次は……)
(次は、必ず沈める)
巨大船はそのまま進み、波の向こうへ消えていった。
毛利の海に、初めて恐怖が生まれた瞬間だった。
瀬戸内は毛利の庭。
そう信じていた者たちの心に。
“織田の鉄の船は、海の常識を壊す”
その現実が刻まれた。
村上武吉は、海を睨んだ。
「信長……」
「お前は、海まで奪うつもりか」




