第百十四話「崩れる籠城(秀吉、中国を削る)」
中国路。
冬の湿った風が吹き抜ける。
山と川に囲まれたこの地は、攻める者にとって厄介極まりない土地だった。
だが。
羽柴秀吉は止まらない。
小さな山城。
その周囲を、織田軍が静かに囲んでいた。
以前のような鬨の声はない。
正面突撃もない。
ただ、距離を取って陣を敷く。
城方は困惑していた。
「……攻めてこん?」
「何をする気じゃ」
答えはすぐに来た。
小型投擲器。
そこから放たれた焙烙玉が、夜空を裂く。
轟音。
火。
そして破裂と共に飛び散る陶器片。
「ぐあああっ!」
「火だ!水を!」
「壁から離れろ!」
城内が混乱する。
だが織田軍は近づかない。
遠距離から、ひたすら撃ち込む。
種子島も混ざる。
狙うのは反撃しようと顔を出した兵。
城方の矢は届かない。
届く前に撃たれる。
秀吉は陣幕からその様子を眺めていた。
「……これは酷いのう」
口調は軽い。
だがその目は冷静だった。
横にいた黒田官兵衛が言う。
「城方は反撃手段を失っております」
「こちらは兵を減らさず削れる」
秀吉は頷く。
「籠城が強かった時代は終わるかもしれんの」
以前なら、城攻めとは血を流すものだった。
梯子を掛け、突撃し、死体の山を築く。
だが今は違う。
遠くから削る。
火と破片で心を折る。
そして降伏を待つ。
数日後。
城門が開いた。
降伏。
秀吉は静かに頷く。
これで五つ目。
小城を順番に落としている。
しかも。
味方の損害は極めて少ない。
それが大きかった。
「殿は喜ぶじゃろうな」
秀吉が笑う。
官兵衛は冷静に返した。
「ですが問題はその先です」
秀吉の顔から笑みが少し消える。
兵站。
それが全てだった。
中国攻めは長い。
進めば進むほど補給路も伸びる。
しかも毛利は海を持つ。
水軍に補給を断たれれば終わる。
秀吉は空を見た。
曇天。
雪混じりの風。
「……止まりたくないのう」
ここで勢いを失えば、毛利は盛り返す。
だから進み続けるしかない。
兵糧が届くうちに。
荷駄が繋がっているうちに。
後方。
織田の兵站部隊は昼夜問わず動いていた。
改造された大八車。
工兵。
道を均し、橋を直し、ぬかるみへ板を敷く。
運ぶ。
ひたすら運ぶ。
米。
火薬。
焙烙玉。
全てが前線へ送られていく。
兵站が止まれば、秀吉は止まる。
だから兵站は戦そのものだった。
秀吉は新たに地図を広げる。
「次はここじゃな」
官兵衛が頷く。
「ですが敵も学び始めております」
「籠城だけでは耐えられぬと」
秀吉は笑った。
「ならばどうする?」
官兵衛は静かに答えた。
「夜襲。
補給線攻撃。
水軍による妨害」
秀吉の目が細くなる。
毛利も黙って削られてはいない。
じわじわと、織田の弱点を探している。
秀吉は地図を指で叩いた。
「じゃが、こちらも止まらぬ」
「兵を減らさず城を落とせる今、勢いはこちらじゃ」
そして小さく呟く。
「……あとは兵站が切れぬことを祈るだけじゃな」
その言葉は冗談ではなかった。
戦は勝っている。
だが。
勝ち続けるには、飯がいる。
火薬がいる。
道がいる。
織田は今。
武だけではなく、“運ぶ力”で天下を押し広げ始めていた。




