第百四話「試射」
岐阜城。
信忠が差し出した文を、信長は無言で読んでいた。
光秀の返書。
冬の焙烙玉運用の可能性と不確定要素。
読み終えた信長は、文を机に置き、指で軽く叩いた。
「……作るのに、どれほどかかる」
信忠が答える。
「投擲器は小型ならば早いかと。
ただ焙烙玉は湿気が問題です」
信長は目を細めた。
「湿気など、火薬の敵だ。
冬の北陸では尚更だな」
信長はすぐ家臣に命じた。
「工兵を呼べ。鍛冶も呼べ。
この投擲器、いつ完成する」
呼び出された工兵頭が答える。
「小型であれば、数日で形にできます。
ただ、威力を安定させるには試射が必要にございます」
信長は頷いた。
「よい。形が出来次第、試す」
そして信長は文を指先で押さえた。
「焙烙玉は、一から作る必要はない」
信忠が首を傾げる。
「……父上?」
信長は淡々と言った。
「既に崩落玉がある。
陶器を詰め込むだけなら、再利用で済む」
「まずはそれが可能か、実験だ」
無駄を嫌う信長らしい判断だった。
兵も金も時間も、今は惜しい。
包囲網が閉じる中で、織田に許されるのは速さだけだ。
信長は呟くように言った。
「次から次へと……まぁよく考えつくものだ」
その言葉には感心が混じっていた。
ふと信長が信忠を見る。
信忠は表情を抑えているつもりだろうが、隠しきれていない。
どこか、誇らしげだった。
信長は鼻で笑い、声を強めた。
「信忠」
「はっ」
「お前は伝えただけだ。
浮かれるな」
信忠の顔がわずかに強張る。
「……申し訳ございません」
だが信長は、口元をほんの少し歪めた。
叱りながらも、どこか楽しげだった。
数日後。
城外の試射場。
完成したのは、小型の投擲器。
持ち運び可能で、分解して運べるよう工夫されていた。
信長は腕を組み、冷たい目でそれを見つめる。
「撃て」
工兵が叫ぶ。
「焙烙玉、装填!」
既存の崩落玉。
それに陶器の破片を詰め込んだもの。
湿気を避けるため油紙に包み、箱で運び、直前に取り出した。
投擲器の腕が引かれ、縄が張り詰める。
「放て!」
次の瞬間――
焙烙玉が空を切った。
弧を描き、地に落ちる。
乾いた音。
そして破裂。
火が散り、陶器片が一斉に飛び散った。
見張り役の兵が思わず身を引く。
破片が木柵を裂き、土を抉り、藁束を引き裂いた。
破裂の余波は予想以上だった。
工兵頭が息を呑む。
「……これは」
信忠も目を見開いていた。
(馬鹿にならない)
いや、それどころではない。
敵が密集していれば、これだけで戦が終わる。
信長は静かに言った。
「……効くな」
それは褒め言葉ではなく、決断だった。
信長はすぐ命じた。
「湿気対策を徹底しろ。
油紙、木箱、灰。すべて用意せよ」
「そして北ノ庄へ運べ」
家臣が答える。
「ははっ!」
信長はさらに言った。
「勝家に伝えよ。
雪が降る前に前線の砦へ入れろ」
信長の目が鋭くなる。
「越後の龍に、冬が味方すると思わせるな」
北ノ庄。
柴田勝家の城へ、小型投擲器が届いた。
運び込まれた器具を見て、家臣たちは顔を見合わせる。
「これが……殿の?」
「崩落玉に陶器を詰める、だと……」
疑う声もあった。
「そんなものが本当に効くのか」
だが勝家は笑った。
「効くかどうかは関係ない」
「殿が“効く”と言ったのだ」
その一言で、全員が黙った。
勝家は命じる。
「前線の砦へ運べ。
雪が深くなる前にだ」
家臣たちが一斉に動く。
「ははっ!」
投擲器は分解され、荷に積まれ、砦へ向けて運ばれていった。
もし役に立たぬなら、それまで。
だが役に立つなら――
越後の龍の牙を、雪の中で折れる。
勝家は城壁の上から北を見た。
空は暗い。
雪の匂いがする。
勝家は低く笑う。
「来い、謙信」
「冬でも戦えると教えてやる」
北の盾は、
静かに火を仕込んでいた。




