初めての依頼
街灯のない夜道。
雪は仰向けに倒れ、今よりよく見える夜空を見上げていた。
どうしてこうなってしまったんだろうか。
そんな事を思いながら、顔を横に向ける。すると、そこにあるのはつい先程まで妹だったものが横たわっていた。
下唇をかみしめながら、手を伸ばそうとする。
「はな……ねぇ、返事を」
しかし、それが男の耳に届いてしまった。
「何だ、お前まだ生きてたのか」
すぐ足元に立っていた男が、見おろしてきたのだ。
その手には、血がベッタリとついた両刃の長剣が握られている。
「稀血じゃないお前からは微量しか精気を吸えねぇだろうが、いいぜ。俺は今機嫌がいいんだ。妹の後を追わせてやる」
そう告げ、男は刀の切っ先を雪の胸部へと向けた。
「このグリードの強欲の糧になれるんだ。ありがたく逝きな」
――ズブリ。
痛みよりも何よりも、胸部に焼けるような熱さを感じた。そして、遅れて襲ってくる耐え難い痛み。
そこで、雪は意識を失った。
―――
――
―
胸の痛みに、パッと目を開く雪。その瞳に映るのは闇夜ではなく、相談所の上の階にある居住区寝室の、見慣れた天井だった。
「……夢?」
脂汗をかきながら、視線を落とす。
そこにあるのは、今も時折痛む過去の傷。
立ち上がり、キッチンまで向かうと冷蔵庫からミネラルウォーターを手に取り、 口内を潤す。
そして、ダイニングテーブルの上に置いてある写真立てを手に取った。
そこに映るのは、雪自身と、百合に似た一人の少女。
「待っててね、花。必ず仇を――グリードを討つから」
土曜日の朝は百合にとっては戦いだ。
普段平日の学校帰りでは手がまわらない家事をこなしていかなければいけないのだから。
そして何より、今日からは雪のもとでバイトが始まるのだ。なお多忙をきわめる。
どうにか家事を片付け、身支度を整える。
そして玄関へ向かう途中、居間にある仏壇へ向かった。
腰を下ろし、仏壇にある2枚の遺影に手を合わせる。
「お父さん、お母さん。今日からバイトすることになったから頑張るね」
その写真の男女にそれだけ伝え、立ち上がった百合は今度こそ戸締りをこなし玄関をあとにした。
歩きで最寄り駅まで向かうため歩き始める。すると立派な柊の生け垣を持つ日本家屋の門から、ちょうど一人の老婆が姿を現した。
百合の存在に気づいた老婆はにこりと微笑み。
「あら百合ちゃん。おはよう」
「おはようございます、凛ばあちゃん」
姿を現した老婆、龍宮寺凛に挨拶を返す。
「ずいぶんと急いでいたみたいだけど、何か用事なの?」
「今日からバイトなんだ」
「あら、そう。大変だろうけれど気をつけてね」
「うん、行ってきます」
告げ、その場を後にしようとする百合。しかしその時、脳裏にふとある少女の姿が浮かび、足がピタリと止まった。
「どうしたの、何か忘れ物かしら?」
心配そうに投げかけてくる凛。そんな彼女に、百合はブンブンと首を横に振り。
「な、何でもないよ。行ってきます!」
今度こそ、氷川相談所に向かって駆けていった。
そして、そんな彼女の様子を窓から眺めていた少女が一人。
「行くんですのね、百合ちゃん。必ず私がお護りします」
屋敷2階の自室の窓から、門先での百合と祖母の様子を目にしていた楓は、ギュッとカーテンを握ったのだった。
「さて、いよいよだね」
氷川相談所が入っているビル3階のある一室の前。そこに立ち、百合はゆっくりと深呼吸をし、呼び鈴を押した。
十秒、二十秒と待つも応答はない。
「あれ、時間合ってるよね?」
不審に思い、スマホを取り出し昨日連絡先を交換したラインを起動する。すると、そこには10時に事務所上階の居住区に来るようメッセージがあり、現時刻は9時50分。
やはり、時間の間違いはないようだ。
もう一度呼び鈴を押そうと、指を伸ばしたその時だった。
「はい、どちら様?」
ガチャリとドアが開き、その隙間から雪を顔をのぞかせた。
その姿を前に、百合は目を丸めた。
「何よ、こんな時間に」
ボサボサな髪に、明らかに寝起きの声。服はヒザ下まである明らかに大きなTシャツを身にまとい、そのせいで肩からずり落ちてしまっている。
そこにいたのは、昨日までの美を具現化したような少女からは想像もつかない姿をした雪だった。
「……えっと、雪?」
「あら、百合じゃない。どうしたの、こんな朝早く」
「朝早くって、もうこんな時間よ」
未だ眠気眼な雪の眼前に、現時刻が表記されてるスマホ画面をぐいっと突き出す。
ややあって、雪の頬が僅かに赤らむ。
「そ、そうね。確かに早い時間ではないわね」
誤魔化すように咳き込む雪。
「とりあえず上がって」
「お邪魔します」
促され、足を踏み入れる百合。
雪に先導され、短い玄関を抜けLDKへ。そのドアが開かれた瞬間、本日2度目、百合は目を疑った。
部屋全体が白と黒を基調にしたシックな作りで、家具はダイニングテーブルと、リビングにソファとテレビが置かれている。
そして……。
「いや、汚っ!」
そのソファの上には脱ぎっぱなしになっている服が散らばり、コンビニ袋と弁当の空き箱が散乱していたのだ。
昨日までの雪の姿からは想像できない光景が、目の前に広がっていたのだ。
「どうしたのかしら、百合。急に大声出して」
「いや、出るでしょ。こんな部屋見せられたら」
「そうかしら……?」
不思議そうに首を傾げる雪。
そんな、昨日まで見てきた雪からは想像できない姿に、百合は頭を抱えながら。
「とりあえず、簡単に掃除しておくから雪は身支度してきて」
「別にそんな事しなくても」
「いいから、は・や・くっ!」
腰に手をやり、有無を言わせぬ圧力を発する百合。それを前に、イタチのイビルすら蹴り飛ばした雪はため息をついた。
「分かったわ。それじゃあ、よろしくね」
渋々と言った様子で、雪は寝室へと下がっていった。
その様子を確認し、百合は再度室内を見回す。
身支度を整えるまでの時間しかないから、本格的な清掃をする時間はない。となると、ゴミをまとめて服の整理をするのが現実的か。
「よし、早速やっていきますか」
気合を入れ掃除を進めていく。すると、数十分後。
「あら、こんなに綺麗になるものなのね」
寝室の戸が開き、身支度を整えた雪が驚きの声とともに姿を現した。
ボサボサだった髪が整えられ、ちゃんとサイズの合った白Tシャツと黒のスキニーパンツに身を包んだシンプルな装い。
だと言うのに……。
「なんだかズルい」
その姿を前に、思わずボソリとつぶやく百合。
「何か言ったかしら?」
「何でもありませーん」
怪訝そうな雪を前に、頬を膨らませる百合。
しかし勝手な嫉妬が馬鹿らしくなった百合は息を吐いた。
「とりあえず、衣類は洗濯済みか分からなかったから、まとめて洗濯機前に置いてあるし、ゴミは不燃と可燃の分別しといたから、後でゴミ袋に入れて出しといてね」
言われ、雪は室内を見回す。
なるほど、確かに脱ぎ散らかしていた服はどこにもないし、ゴミも片付けてキッチン横にコンビニ袋を仮の袋にして分別されていた。
「あら、随分と手際がいいのね」
「まぁ、家事は慣れてるから」
「そうなの? それじゃあこれからも頼もうかしら」
「別にそれぐらいなら……って、そうじゃなくて! 私はバイトに来たはずなんだけど」
流されそうになり、思わず大声を上げた。
時計を見ると、十時三十分。既に大幅に時間を超過していた。
「そう言えばそうだったわね。それじゃあ、仕事の説明するから、下の階の事務所に向かいましょうか」
本来の目的に戻り、居住区を後にして2人で階段をくだる。すると、一階下の事務所のドア前に一人の青年男性が立っていた。
「あら、何か用かしら?」
階段を折りながら雪が声をかける。すると、男性は百合たちに気付き振り向いた。
「あの、この事務所の関係者でしょうか?」
「当事務所の所長、氷川雪よ」
自己紹介をし、雪達はその男性の前へ。
すると、男性はバッと頭を下げて。
「職場に化け物が出るんです、助けてください!」
それは、百合にとって初めての事件の依頼者だった。




