ようこそ氷川相談所へ②
百合がビルの一室にてアルバイトに誘われているのと同時刻。
古く伝統的なつくりの巨大な日本屋敷。荘厳な中庭に面した長い廊下を、黒髪を揺らしながら楓が怒り心頭といった様子で突き進んでいた。
「おかえりなさいませ、お嬢様。いったいどちらへ?」
「当主のところです。確認することがあるので」
途中、すれ違った年配の女性にそれだけ伝え、構わず廊下を直進。すると、右手に見えてきた巨大な襖の前でピタリと足を止め、勢いよく開け放った。
「おばあ様! お話がございます」
開け放ち、キッと上手に座るその人物に視線を送る。
「何ですか、楓。慌ただしい。龍宮寺の人間たるもの、もっと穏やかに」
「そんなことはどうでもいいですわ、おばあ様。それよりもお聞きしたいことがあります」
おばあさまと呼ばれた、しっかりと日本和装に身を包み、年を感じさせないほどピンッと背筋のまっすぐなその女性――龍宮寺凜の前に、楓は正座し。
「おばあ様。本日学校にて、イビルに近しい何かに接触いたしました。アレは何なのですか!?」
「要領を得ないですね。落ち着いて、初めから話なさい」
静かながらも、それでいて空気がピンッと張る声。それに一瞬たじろぐも、深く息を吐き直して楓は再度語りだした。今日、学校であったことを。
「長い白髪の少女、そうあの子が」
「ご存じなのですか!?」
「落ち着きなさい。あの者は、敵ではありません。確かに生きた人間ではありませんが、私達龍宮寺家――いいえ、悪狩りの一族と目的は同じです。敵対する必要はありません」
「信用できません。あの女は、みすみす百合ちゃ……護衛対象である稀血の少女を危険に晒した。事と次第によっては、私自ら!」
そこまで口にしかけた時だった、楓がハッと息を飲み込んだのは。
楓の額を冷や汗が伝う。いつの間にそこに現れたのか、空中に浮かび、切っ先を自身に向けている無数の日本刀に囲まれながら。
「仮に、彼女が稀血の少女を何かに利用しようとたくらんでいたとしても、決して事を構えてはいけません。貴女では彼女には敵わない。死ぬだけです」
「そんな事、やってみないと」
「いいえ、分かります。彼女は全盛期の私で五分でした。対して貴女はどうですか? この年老いた老婆にすら勝てぬ身で、何が成せると」
その言葉と共に、まるで呼応するかのように、宙に浮いた日本刀が次第に楓に近づく。そのうちの一本の切っ先が楓の首元に僅かに刺さり、薄皮を裂いた。
つうっと赤い滴が楓の首を伝い、畳に落ちる。
けれど怯まない。楓は臆することなく、凛を真っすぐ見返し続けた。
「このままでは、部屋が汚れてしまうわね」
やれやれと息をつく。すると、宙に浮いていた日本刀の数々がパッとその姿を消したのだ。
「まったく。昔はもっと冷静だったはずなのだけれど」
「太陽が隣にあれば、どんな氷でも、いずれは水となり熱を持つものですわ」
「そう。それは美しい変化ね」
真っすぐ返された楓のその返答に、凜はどこか嬉しそうに口角をわずかに上げた。しかし直ぐに厳しい顔に、祖母ではなく、龍宮寺家当主の顔に戻った。
「そこまで言うのならば、彼女が何者なのか伝えましょう。イビルに似て、非なる者たちについて」
「それじゃあ、百合。明日からここでアルバイトをよろしくね」
唐突に告げられた、予期していなかった雪のその言葉に、百合は目を丸くした。
「いや、バイトって。生徒会の仕事もあるし、それはさすがに」
「あら、そうなの? けれど、そうなると帰宅後の安全が心配ね」
「――え?」
「だってそうでしょう? イビルは何も学校だけにいるわけじゃないもの。自宅、一人でいるときに襲われたらどうするつもりなのかしら」
「そ、それは……」
雪の指摘に、言葉に詰まる百合。その脳裏に蘇るのは、あのイタチ型のイビルの姿。一人でいるときにあんなものに襲われたら、助かる自信なんて毛頭ない。
まさに、ぐうの音も出ないとはこのことか。
腕を組み考え込む。すると、雪はどこかわざとらしくパンっと手をたたき。
「だったらコレはどうかしら。私も生徒会に加入し、仕事を手伝う。そうすればバイトをする余裕も生まれるでしょ」
「それなら、まぁ」
「なら、話は成立ね。それじゃあ明日から早速お願いね」
話がまとまり、席を立とうとしたところであることに気付き、百合はピタリと動きを止めた。
「バイトはいいけど、家に帰ってからはどうするの?」
「あぁ、それなら心配いらないわ。きっと番犬がいるもの」
「番犬?」
「そう、大好きな百合ちゃんのためなら寝ずに護衛できてしまう番犬が」
どこかいたずらっぽくそう告げる雪。何のことかさっぱり分からないが、雪がそう言うのならと、百合は疑問を飲み込んだ。
その後、身支度を済ませた百合は事務所の入り口に立ち。
「それじゃあ、明日からお願いします」
「えぇ、こちらこそよろしくね」
あいさつを交わし、バタンと事務所の戸が閉じる。
事務所を後にした百合を見送り、雪が執務机につき直したその時だった。机の上においてある固定電話が鳴り出したのは。
「はい、氷川そう」
「あら、本当に帰ってきていたのね」
ワンコールで受話器を取り、受け答えようとした瞬間、電話の主の声が遮ってきた。
突然なその対応に、眉をひそめる雪。
「どちら様で」
「あらあら、忘れてしまったのかしら。かつての相棒を」
相棒。その言葉に雪は記憶を呼び覚ます。
確かにいた。以前この街に滞在していた時に共に戦った少女が。けれど、受話器から聞こえてくるのは、壮年の女性のそれだ。
けれど、それも無理ないことか。
何せ、かつてこの街を拠点にしていたのは五十年も前のことなのだから。
「久しぶりね、凛」




