優しい選択
時は少し戻り、百合と守はグラウンドへと向かうべく廊下を走っていた。
「あの、私達が行っても邪魔になるんじゃないでしょうか」
後ろを走る守が、ふと漏らした。
それに百合はピタリと足を止め。
「雪には怒られると思います。邪魔だって。けど」
百合の中に湧き上がる言いようのない不安。
確かに、ケルベロスを観た瞬間その姿に恐怖を感じた。けれど、保健室で遭遇したイタチのイビルみたいな、背中から震えるような、本能的な畏怖は受けなかった。
もちろん、自殺した生徒の話を聞いた故の感情移入かもしれない。けれど、このまま二人を戦わせるのは。
「駄目な気がするんです。上手く言えないけど……あの子は」
そこまで口にし、ブンブンと頭を振り。
「もしいざとなったら怒られる準備はできてますから。だから行きましょう」
そうしてまた走り出した二人は、一階に降りて昇降口へ。
昇降口から飛び出すのと同時。
「バカッ! どうして降りて」
耳に届いたのは、珍しく声を荒げた雪の怒声。
やっぱり怒られたと思いながら、声のした方へと視線を向ける。
「――え?」
こぼれた声。
その目に飛び込んできたのは、轟々と燃え盛りながら目前まで飛来する火球だった。
火球と、その奥、駆け出す雪。その全てが百合の目にスローモーションに映る。
あぁ、ダメだ。
思わず目をつぶる。
火球が何かに当たった爆音と熱風が百合を襲う。けれど、不思議と痛みはない。
――なぜ?
恐る恐る目を開ける。
立ち込める煙。その中で、まるで百合たちを守るようにケルベロスが横たわっていた。
「セン……セイ。ダイ、ジョウブ?」
横たわったまま、顔だけ上げ百合の背後にいる守を見やり、確かにそう口にする。
「――佐藤!?」
その言葉を耳にした瞬間、足をもつれさせながらもケルベロスへ向けて守は駆け出した。
「佐藤! やっぱり佐藤なんだな!」
傍らに膝をつき、顔を覗き込みながら呼びかける。
「ヨカッタ。センセ、イ、ケガ、ナイ」
「あぁ……あぁ! お前のおかげだ。ダメだな、俺は先生なのに、お前に守られて」
「コン……ドハ、セン、セイ……キズツ、ケナイデ、スン――ッ!?」
突如、言葉に詰まるケルベロス。
「佐藤!? どうした、佐藤!」
「センセイ……キズツケ、ダレガ、ボク、ガ」
苦しみだし、口の隙間から涎が垂れる。
「ソウ、ダ、アノ、ヒト、ノイウ、トオリダ。ボク、ノ、セイデ、セン、セイハ」
うわ言のように口にしたケルベロスの双眸が怪しく光り、突如として、真ん中の顔が大きく顎を開いた。自らの名前を呼びかけている守に向けて。
「――え?」
固まる守。
ケルベロスが僅かに上体を起こした刹那、そんな彼の首根っこを雪が掴み、引きずり倒した。そして、一拍遅れて守の頭部があったその空間を、ケルベロスの顎が噛み砕いた。
「さ、とう?」
信じられないといった様子のケルベロス。そして、それはケルベロスも同じで。
「ボク、イマ、ナニヲ」
空を見上げ、咆哮を上げる。やがて、その叫びが響き渡るとケルベロスはその双眸から涙を流し、雪を見やった。
「オ、ネエサン。ボクヲ、コロシテ」
その言葉に、全員が息を呑む。
「コノママ、ダト、ボクワマタ」
「本気、なの?」
雪の言葉に、どこか穏やかに頷くケルベロス。しかし、誰もが受け入れられる訳がない。
「待ってください! この子は」
「えぇ、今となっては分かるわ。なぜか元の人格が残ってる。けどね、その人格が訴えてるのよ。大切な先生を傷つける前に、殺してくれと。なら――」
奥歯を強く噛みながら、雪はケルベロスに向けて右手を向ける。その先には、火炎球が。
「ここで、救ってあげるしかないじゃない」
雪のその言葉に、抵抗していた守も地について手で地面のコンクリートを握り、強く目をつぶる。
「アリガ、トウ、オネエサン。イマ、マデ、アリガトウ。セン、セイ」
その姿は確かに禍々しいケルベロスだ。けれど、確かにそれは微笑み――
「ダメー!」
誰もが受け入れかけたその時、夜のグラウンドに、一人の少女の叫びが木霊した。




