十七の段 立ち向かう勇気
湯の山クマった事件から2日後の夜。
義苗さまがミヤ、ピョンピョン左衛門と一緒に晩ご飯を食べていると、ドラぽんが部屋に入って来ました。
「殿さま。江戸より来た力士たち60数名の宿泊場所の手配、無事にすみました。菰野にある宿屋だけでは数が足りなかったので、いくつかの寺に協力してもらい、力士たちを泊めてもらうことになりました。すでに、力士たちは宿屋や寺で旅の疲れを癒しています」
「よくやってくれたな。ドラぽんも少し休め。晩ご飯を一緒に食べよう」
「ははっ。ありがたき幸せ! ……あの。そのお膳にぽつんと一個だけのっている赤いものは何ですか?」
「梅干し。今夜の晩ご飯だ」
「え⁉ たったそれだけですか⁉」
いつも質素な食事に慣れている菰野藩士でもビックリな晩ご飯に、ドラぽんはおどろきの声をあげました。義苗さま、ミヤ、ピョンピョン左衛門もげんなりとした顔をしています。
「……仕方ないさ。たくさんご飯を食べる力士たちが60人以上やって来ているんだ。江戸で大人気の彼らに粗末な食事をさせるわけにはいかない。そして、力士たちにごちそうを食べさせるために、菰野の民たちから食料を奪うようなマネもしたくない。だから、オレたちがしばらくの間は我慢するしかないんだ」
「武士は食わねど高楊枝でござる‼ うおおおおお‼ 腹が減って……なーーーい‼(ぎゅるるるぅ~と腹が鳴る音)」
ひとつの梅干しをじっくりと味わって食べる義苗さまを見て、ドラぽんは「う、う、う……。おいたわしや~。貧乏な大名家の殿さまになったばかりに……」と鼻水をたらしながら泣くのでした。
「失礼します、でござる。おいらの師匠の小野川才助が殿さまにごあいさつがしたいとまかりこしましたが、いかがいたしましょう、でござる」
義苗さまたちが梅干しを食べ終えると、ハギちゃんが部屋にやって来ました。
「大関の小野川才助といったら、江戸相撲で一、二を争う強さの力士だ。オレも会ってみたい。ここへ通せ」
小野川関はハギちゃんのお師匠さまで、実は今回の大相撲ではずいぶんと菰野藩はお世話になっている人物です。大相撲の準備をがんばっていたハギちゃんに、手紙で色々とアドバイスをくれていたのでござる。
だから、菰野藩は、この小野川関にだけは「江戸にいるはずの菰野藩主・義苗さまが菰野にいる」ことをこっそり伝えていました。
「お初にお目にかかります。小野川才助ともうします」
部屋に入って来た小野川関は、義苗さまに礼儀正しくあいさつをしました。
お相撲さんは荒々しいイメージがありますが、小野川関はちがいます。知的な雰囲気とどっしりと落ち着いた王者の風格が漂っていて、さすがは後に横綱となる力士ですなぁ。
「うむ。オレが土方義苗だ。宿は気に入ってくれたか?」
「はい。ご飯をたらふく食べることができて、みんな喜んでいます。……しかし、菰野藩のみなさんにはご迷惑をかけてしまったようで、もうしわけありません」
小野川関は、未練たらしく梅干しの種をペロペロとなめているミヤをチラリと見ると、心底もうしわけなさそうに頭を下げました。
「い、いやいや! 気にするな! 今日はたまたま梅干しが食べたい気分だったから、その……あの……すまん。正直に言うと、借金まみれで苦しいのだ」
協力してくれている小野川関に嘘を言ってかっこつけても仕方がないと思った義苗さまは、ちょっと顔を赤らめながらも本当のことを言いました。
義苗さまのそんな正直なところが気に入ったのでしょうか、小野川関は「菰野のお殿さまのためにも、必ずや大相撲を盛り上げてみせます」と力強く誓ってくれました。
「菰野藩のみなさんが梅干しを食べているのに、我々は猪の肉まで差し入れしてもらったのです。絶対に、今回の大相撲を成功させます」
「猪の肉? そんなもの、差し入れしたっけ?」
義苗さまが首をかしげると、ドラぽんが「猪の肉を差し入れした覚えはありません」と答えました。
「え? そうなのですか? 寺の庭に猪が三頭もウロウロしていたので、てっきり菰野藩の差し入れだと思いました。張り手で気絶させ、ぼたん鍋にしてみんなで食べたのですが……」
「猪が三頭もウロウロしているなんて、おかしいですな……。どこかのシシ垣(猪鹿垣)が壊れ、そこから入って来たのでしょうか」
また胃が痛み出したのか、ドラぽんが胃のあたりをさすりながら言いました。
「シシ垣って、領内にたくさんあるあの柵のことか?」
馬公子さまと領内を見回った時に柵のようなものを見た覚えがある義苗さまがそう聞くと、ドラぽんは「はい」とうなずき、シシ垣について説明してくれました。
「シシ垣は、山からおりてくる猪や鹿から農作物を守るための垣です。三尺(約1メートル)ほど溝を掘り、その土を積み上げて土手を築いた後、土手の上に木の杭を打ち、杭と杭の間に横に倒した木を縄で結ぶのです。木の枝は刃物で鋭くとがらせているため、獣たちは傷つくのを嫌がってシシ垣の内側に入って来られません」
「シシ垣なら、私も色んな土地で見たことがありますです。シシ垣がない土地には、猪たちがたくさん侵入して田畑を荒らすので、どんなにお金がない藩でもがんばってシシ垣を築いているみたいです」
「なるほどな。だから、貧乏な菰野藩でもあんなにたくさんの柵を築いていたのか。……でも、そのシシ垣が壊れたのなら、一大事じゃないのか? 明後日には大相撲の興行があるのに、大量の猪が菰野の領内で暴れ回ったら大騒動になるぞ」
義苗さまがそう言った直後、その嫌な予感は現実のものとなったのでござる。
「殿さま。菰野の村々の庄屋たちがそろって陣屋に参上し、急いで報告したいことがあると申していますが、いかがいたしますか」
一人の菰野藩士が義苗さまの部屋に入って来て、そう告げました。
嫌な予感がバリバリしていた義苗さまは、一秒も迷うことなく「会おう!」と言って立ち上がるのでした。
菰野陣屋の広間には義苗さま、馬公子さま、南川先生、ドラぽん、ピョンピョン左衛門、ハギちゃん、ミヤが集まり、各村から駆けつけた庄屋たちの話を聞いていました。
庄屋たちを代表して義苗さまに報告をしたのは、中菰野村の武田忠治でござる。
「猪が各村に出没したので調べたところ、菰野領内の10か所以上でシシ垣が破壊されていました」
「何だと? 誰かがわざと壊したというのか?」
「はい。柵は壊され、土手も崩されてめちゃくちゃです。それに、私の村の子供がシシ垣の近くで、眼帯をした男がプーっとおならをしながら『わははは! これで菰野藩はおしまいだ!』と叫んでいるのを見かけたそうです」
「邪眼の二郎にまちがいない。あの隠密たちの仕業だったか……」
「中菰野村、西菰野村、東菰野村、宿野村、福村など各村で猪が大量に出没しています。はっきりとした数はわかりませんが、20や30ではありません。数十頭の大群です」
忠治がひたいに汗を浮かべながらそう言うと、ドラぽんが「いくら何でも数が多すぎる! 退治しきれないぞ! 胃が痛い胃が痛い胃が痛い!」と半泣きになって叫びました。
「村の男たちが鎌や鍬を手に持ち、猪が田畑に侵入しないように警備にあたっていますが、人手が足りません。田畑が猪の大群に荒らされるのは時間の問題です。殿さま、何とかお助けくださいませ」
お助けくださいと言われても、これは困った問題ですね……。
小さな藩の菰野藩には、たった100人前後の藩士しかいません。そのうち、江戸の菰野藩の屋敷にいる30数人と、老人や病気中で満足に猪と戦えそうにない藩士が10人ほど。殿さまの義苗さまが「菰野藩士、全員集合!」と号令をかけて集まる数は60人もいないのです。
「60人に満たない藩士たちだけでは、どうしようもありませんね……。何かいい方法があればいいのですが」
知恵者の南川先生もこの事態には困り果てているようです。
一方、馬公子さまは不思議と落ち着いた顔をしていました。その視線の先には、何か重大な決意をしたらしい義苗さまの凛々しい横顔がありました。
「義苗どの。今、何を考えているんだい?」
馬公子さまがニヤリと笑ってそうたずねると、義苗さまは「数日前に南川先生から教わった孔子(古代中国の学者。儒教の開祖)の言葉を思い出していたのです」と答えました。
「『義を見てせざるは勇無きなり』――自分がやるべき正義が何かわかっているのに実行しないのは、勇気がないからだ……。オレは菰野の殿さまです。菰野の民たちを守るのが、オレの正義。どんなに困難なことでも、勇気を出して立ち向かい、菰野の民たちを守らなければいけないんです。猪の大群に恐れをなしている場合じゃない」
南川先生は、ハッとして義苗さまを見つめました。
「その通りです、殿さま。よくぞ言ってくれました。私が殿さまに教えた言葉だったのに、『どうしようもない』などと言ってしまったのが恥ずかしい……。あきらめずに困難に立ち向かおうとするその勇気、特大の花まるです!」
南川先生は、義苗さまの見ちがえるような成長ぶりが嬉しいのか、わずかに目に涙をためながらそう言いました。義苗さまは南川先生を見てコクリとうなずくと、こう宣言したのです。
「これより、我らは総力をあげて猪から菰野を守る! ドラぽんは、菰野藩の全ての藩士たちに菰野陣屋にただちに集まるように伝えろ! みんなで力を合わせて猪をシシ垣の外へと追い出すんだ!」
「ははっ!」
「そして、忠治たちは今すぐ村に戻り、村人たちにたき火をさせるんだ」
「たき火、でございますか?」
「獣は火を恐れる。たき火で猪たちを村の田畑から遠ざけることができるはずだ。オレたちが駆けつけるまでの時間稼ぎぐらいにはなるだろう」
「なるほど、それは名案です!」
ミヤから教わった「獣は火を恐がる」という知識がここで役に立ちましたな!
忠治たち庄屋がそれぞれの村へ戻ると、馬公子さまが義苗さまにこう言いました。
「急いで狩り装束に着がえよう。猪鹿狩りは、古くから武士がおこなってきた伝統ある戦闘訓練だ。相手は獣でも油断をしたら大ケガをする。本当の戦場だと思い、心して挑まねばならない」
「わかりました、馬公子さま。……ものども、出陣だぁーっ‼」
「おおーーーっ‼」
かくして、菰野を守るための戦いが始まったのでござる!




