十八の段 菰野を守れ!(前編)
夜明け前。菰野陣屋の庭には、菰野藩士57名が集結していました。
義苗さまは、これだけの人数の家来たちと会うのは初めてでちょっと緊張しましたが、ゴクリとツバを飲みこむと、ありったけの声を出して家来たちにこう言いました。
「オレは、菰野の民たちと彼らが心をこめて育てた作物を守りたい。領内に侵入した猪を追いはらうため、力を貸してくれ!」
義苗さまの服装は、陣笠に陣羽織、野袴とまさに戦の指揮をする大将そのもの。とても勇ましいお姿です。若い主君の勇姿を目にした菰野藩士たちは奮い立ち、
「オレたちは、殿さまのために働ける日が来るのをずっと待っとったんや!」
「殿さまのため、民たちのため、死に物狂いで猪を追いかけ回したる!」
などと、方言(三重弁)丸出しでで言い合いました。
「義苗どの。その猪狩り、ワシの家来たちも参加させてよいか?」
「え? チカじいさま⁉ 手伝ってくださるのですか?」
義苗さまたちが陣屋を出発する直前、尾張の殿さま・チカじいとその家来たちがやって来て、義苗さまはおどろきました。
「もちろんじゃ。ワシらは菰野の大相撲を見物するためにお忍びでやって来たのだ。その大相撲を松平定信の隠密に台無しにされてたまるか」
チカじいも、これは定信さまの隠密の仕業だと気づいたのでしょう。そう言って、ニヤリと笑いました。
「いつも湯の山温泉で楽しませてもらっているお礼じゃ。ぞんぶんに我が家来たちを使ってくれ」
「し、しかし、チカじいさまにご迷惑をかけるわけには……」
義苗さまがためらっていると、「我々も手伝いましょう」という声が後ろでしました。
「お、小野川関⁉」
義苗さまが振り返ると、そこには小野川関と60数名の力士たちがせいぞろいしていたのでござる。
「義苗さま。もうしわけありませんが、義苗さまのことはみんなに話しました。我々が協力するためには、菰野藩の事情をみんなにも知っておいてもらわないといけなかったので……」
小野川関がそう言って謝ると、鋼のようにたくましい肉体の力士が前に進み出て義苗さまにこう言いました。
「オレは、大関の谷風梶之助です。小野川からだいたいの話は聞きました。民たちを守るために戦うその勇気、オレは感服した。ぜひとも、手伝わせてください」
谷風梶之助といえば、小野川関のライバルで、後に第四代横綱となるお相撲さんでござる。江戸時代の最強クラスの大横綱として今でも伝説になっている人ですな。
「気持ちは嬉しいが……。菰野藩と関係のない人たちに危険な猪狩りを手伝わせるわけには……」
義苗さまはためらいましたが、南川先生が微笑んで「みなさんの好意を素直に受けましょう」と言いました。
「『徳は孤ならず、必ず隣あり』という言葉があります。『人徳をそなえた立派な人物には、必ず理解し協力をしてくれる仲間が現れる』という意味です。
江戸の屋敷でぐーたら生活をしていた頃の殿さまは自分を磨く努力もせず、家来たちからも尊敬してもらえなくて、孤独な毎日を送っていました。しかし、今の殿さまは木々が生い茂る山のようになろうと努力し、成長しました。
そんなふうに殿さまががんばってきたからこそ、殿さまに協力したいと名乗り出る味方ができたのですよ。今のあなたはもう一人ぼっちではありません。人を愛し、人に愛される、立派な殿さまへと一歩近づいたのです。集まった仲間の力に頼っていいのですよ。それは、あなたの努力が生み出した奇跡なのですから」
「南川先生……。わかった! みんなにも手伝ってもらおう!」
こうして、義苗さまは菰野藩士57人、尾張藩士8人、力士たち60数人を率い、軍旗をかかげて菰野陣屋を出陣するのでした。
合計120数人の菰野軍は、中菰野村に入りました。ここで、菰野の村々から集まった若者たちと合流したのです。
「おいらたちを勢子に使ってください。自分たちの村を守るためや。必死に猪たちを追い立ててやります」
勢子とは、狩りをする時に大声を出したり、大きな音を立てたりして、獣たちを追いかける人たちのことでござる。
「もうすぐ夜が明ける。朝になったら狩りを始めよう。……ただ、今回の狩りはいつもとはちがうから難しいぞ」
馬公子さまが菰野の地図を見つめながら、そう言いました。
菰野藩は狩りをする時、山にいる獣たちをシシ垣まで追いつめて狩っていました。しかし、今回はシシ垣の内側に数十頭の猪たちが入りこんでしまったのです。侵入される前にやっつけるのと、侵入されてから猪を探してやっつけるのでは難しさがぜんぜんちがいます。
「せめて、猪たちがどこにいるのかがわかったらな……」
義苗さまがそうつぶやくと、ミヤが「私にお任せくださいです!」と言いました。
「そろそろ鳥たちが目覚める時間です。仲良くなったカラスたちにお願いして、空中から猪たちがどこにいるか探してもらいますです」
「あっ、そうか。ミヤは動物と仲良くなれるんだったな。だったら、猪とも仲良くなって、菰野から出て行くように頼めないか?」
「それはちょっと無理です。あいつら、私を見ると大興奮して、猛烈な速さで突進して来るんです。近づいたら、命がいくつあっても足りません」
動物に好かれやすい体質も大変なんですね……。
ミヤが「かー! かー!」とカラスの鳴きマネをすると、たくさんのカラスたちが森から飛んで来て、ミヤの前でとまりました。
「かー! かかー! くわー!」
「くわぁ! くわ、くわ!」
カラスたちは翼をはばたかせ、四方八方へと飛び散りました。
「殿さま。近くをうろついていた猪2頭を捕まえてぼたん鍋にしたので、カラスが戻って来るまでの間にみんなで食べましょう、でござる。腹が減っては戦ができないでござる」
「腹ペコだったから、それはありがたい。ミヤにたくさん食わせてやってくれ。空腹で倒れるといけないから」
みんなでぼたん鍋を食べ、朝日がのぼってしばらくたった頃、カラスたちがミヤのもとに舞い戻りました。
「殿さま、猪の群れがどこにいるのかわかりましたです!」
カラスたちからの報告を聞いたミヤは、地図に筆で×印を書きこんでいきました。×印が、猪の群れがいる場所ということですな。
「あちこちに散らばっているが、西菰野村の周辺にたくさんいるみたいだな。西菰野村には多めの兵力を送ろう」
「それから、怪しいヤツらがシシ垣を破壊しているところをカラスたちが目撃したそうです。きっと、松平定信の隠密たちです。西菰野村の近くのシシ垣を集中的に壊しているみたいです」
ミヤはそう言い、隠密たちがいる地点に朱色の墨で×印を書きました。
「シシ垣を壊しているヤツらは、我々に任せてください。こてんぱんに張り倒してやります」
小野川関がそう言うと、弟子のハギちゃんも「おいらも師匠たちについて行きます、でござる! 殿さまは猪狩りに専念してください、でござる!」と力強く言いました。
「ミヤも同行して、隠密たちと決着をつけますです!」
「わかった。みんな、相手は卑怯な手を使ってくる隠密だ。くれぐれも気をつけろよ」
かくして、ミヤと力士たちは隠密の撃退に向かったのでござる。ただし、力士たちの半分の30人は猪狩りのために残ってくれました。
義苗さまはカラスが教えてくれた猪たちの現在地を確認しながら、馬公子さまと相談をして、どこに何人の兵力を送るか決めました。
「本陣はここ中菰野村とする。みんなは先ほど決めた持ち場にただちに向かえ。そして、中菰野村からあがった狼煙を合図に、いっせいに猪狩りを始めるのだ」
義苗さまは家来たちにそう命令を下しました。緊張してちょっと声がうわずっていますが、先月までぐーたら生活をしていた少年とは思えないほどの堂々とした総大将っぷりでござる。
いざ猪狩り! いざ隠密退治! 負けるな、義苗さま!




