5.夜道には気を付けるように
「アリシア、今日もアルバイトなの?」
「うん」
「根詰めすぎじゃない?」
「大丈夫だよ。おかげさまでだいぶお給料もらえたんだ。この間諦めた教科書が買えるよ」
「教科書よりその目の下のクマなんとかしなさい。そのうち倒れるわよ」
「うーん。大丈夫だと思うけどなぁ」
カミラは呆れたようにため息をついた。
「そうやって無理すると、ある日突然ガタがくるんだから。ほどほどが肝心なのよ」
「はぁい。でも今日はそんなに遅くならない予定だよ」
「そーですか。これからはちょっと控えなさいよ」
小さく肩をすくめる。
「カミラって、お母さんみたいだよね」
「あんたが自分のことに無頓着すぎるだけよ」
軽く睨みつけられたので、荷物をまとめて退散した。
* * * * *
アルバイトを終えて家路につく。
「今日の晩御飯はどうしようかな。パンとチーズしかなかったはず。で、明日の予定は……」
小さくつぶやきながら歩いた。
すっかり日が暮れた道でも、街灯に照らされてそこまで暗くはない。夜道を歩く不安は、最近は感じずに済んでいる。
「……」
明かりに慣れた目には、天に浮かぶ星々はほとんど見えない。
黙って歩いても、空白の時間を苦痛に思うことは前より少なくなった。
「さすがに、疲れたなぁ」
凝った肩を軽く回す。前に進もうとする足が普段より重い。先ほどカミラに言われたことを思い出した。
今日のところは勉強は一旦置いておいて、早く寝よう。
横道から出てきた人影にふと目を向ける。
息が止まった。
忘れもしない、お星さまのような銀髪。
会いたかった。いや、会いたくなんてなかった。
ロイドのダークブルーの瞳がアリシアを見る。
束の間、視線が絡んだ。
そして、アリシアは逃げ出した。
頭の中で言葉が散らばって、輪郭をなくす。
とてもではないがまともに話ができるとは思えなかった。
「アリシア!!」
彼がこんなに声を荒らげているのを初めて聞いた。
耳を塞いで、アリシアはひたすら前に走り続ける。
進める足がさらに重さを増し、今にももつれそうだ。
はあ、はあ、と荒い息をつきながら走っていたら、視界がじわりと滲んで前が見えなくなってきた。
こんな時に困ってしまう。今は逃げないといけないのに。
王都にもまだ完全には慣れていない。もうどこの角を曲がったか、よく分からなくなってしまった。自分の方向音痴を心底恨んだ。
周囲が薄暗い気がする。どこの路地に入ってしまったのだろうか。
思考に気を取られ、ついに足がもつれて転んだ。
「あっ……、いっ……たぁ……」
膝と手のひらを思い切り地面にぶつけてしまい、擦り傷から血がにじんできている。
涙を拭って顔を上げると、あらゆるところから視線を感じた。
見知らぬ通りだ。
地面の舗装はボロボロで、ごみがところどころ落ちている。すえたような臭いが鼻につく。
見られている。
四方の暗闇に、うごめく気配を感じる。
肌が粟立ち、歯の根が合わなくなった。
「……あ、」
ざり、と足音が聞こえた。それはどんどん近づいてくる。はじかれたようにその方向を見ると、襤褸を身にまとう若い男が歩いてきていた。
「こんなところでどうしたんだい、お嬢さん? 道に迷ったの?」
声にならない悲鳴を上げる。
知っていた。王都の中にも治安が悪い地域があるということを。知っていたのに。
腰を抜かしたまま必死に後ずさる。その腕を、爪垢の浮いた手が強くつかんだ。
「ケガしてるじゃん。安全なところまで、俺が案内してあげるよ」
欠けた歯の隙間から漏れる声は、アリシアをあざ笑っていた。
足音が集まってくる。
「おぉい、抜け駆けする気かよぉ。俺も混ぜろよ」
「早いもん勝ちだぜ」
「馬鹿言え。こうなったら、みんなでだろ?」
横から伸びてきた別の腕が、アリシアの体を掴む。
「や……やだ……やめて……」
「だーいじょうぶ。怖くないさぁ」
生臭い息が吹きかけられた。
腕を強く引かれ、体が引きずられる。
抵抗するが、蹴りだした足も誰かに掴まれる。
体が浮く。
悲鳴が喉に張り付き、出そうと思っても出てこない。
これから起こる最悪の想像が、頭を過った。
「警邏さん、こちらです! 早く!」
鋭い声がその場に響いた。
アリシアを掴んでいた男たちの体が固まり、その手を離す。口々に「警邏だと! 逃げるぞ!」と怒鳴り合っている。
地面にどさりと落とされたアリシアは、その場にうずくまることしかできなかった。心臓は早鐘のように打ち続け、おさまる気配がない。
怒声が遠のいていく。
「はぁ……っ、何をっ……何を、しているんですか、アリシア!!」
荒い息も整えずに、温かい手がアリシアの体を抱き起こす。
その銀の髪を見た瞬間、嗚咽が漏れだした。
「ごめ……ごめん、なさい……ごめんなさい……」
「あなたは馬鹿ですか!」
「ごめんなさい……」
顔を覆って泣くアリシアに、怒っていたはずのロイドはそれ以上何も言わず、ただ白いハンカチを取り出してその目元を拭った。
彼に肩を支えられて、立ち上がる。
怪我をした足を引きずりながらゆっくりと歩き出した。
「警邏、さん、は……?」
「呼んでいません。はったりです」
「そっか……」
アリシアは深く俯いた。
何も言わずに一歩一歩と歩くロイドに、手を引かれている。
その手が微かに震えていた。
「……夜道には、気を付けるように」
「はい……ごめんなさい……」
つぶやくように言ったロイドの言葉に、謝り続けることしかできなかった。
お察しの方も多いかと思いますが、作者は不器用男子が大好物です。




