4.嫌な気持ち(side.L)
ロイドは思い通りにいかない現実に頭を抱えていた。
「ねぇロイド。今度どこか出かけない?」
「忙しいので、難しいです」
「えー、そんな。この間、試験で上位に入っていたでしょう? そのお祝いに、と思ったのに」
「結構です」
「そんなこと言って。将来の相談とか乗るよ? 官僚を目指しているんでしょう?」
隣で姦しく声を掛けてくるのは、ナタリーというクラスメイトだ。媚びるような声は甲高く、アリシアの落ち着いた声とは正反対だった。
ロイドは激しく後悔し、そして自分の中にいつの間にか深く根を張っていたアリシアの存在を呪った。
* * * * *
アリシアとは幼馴染だ。そして、ロイドはずっと側にいる彼女のことを、正直少し疎ましく思っていた。
ある時から、アリシアはロイドのことを追いかけまわすようになった。最初はなぜ、と思っていたが、徐々にその疑問は居心地の悪さに変わっていった。
しかし、彼女を取り巻く境遇を知っているがために、ついいろいろと手出しをしてしまっていたという自覚がある。それが彼女をさらに懐かせる要因にもなっていたとロイドは思っていた。
いくらすげない態度を取っても、アリシアはずっとロイドの隣にいた。村の学校から王都の学校へ進学するときも、アリシアはロイドの進学する学校に近い学校を選んだ。
どうしてそこまで、という疑問が膨れ上がった。アリシアはいつも「ロイドが好きだから」と言う。それがどこまで本気なのか、ロイドには分からなかったし、理解する必要もないと思っていた。
王都の学校に進学した後は、それまでいつもそばにいたアリシアとは滅多に話さなくなった。
身軽になった、と思ったのは最初だけだった。
「ロイド、選択科目どれにするんだ?」
「僕は地理学にしようと思っています」
「まじで? こんなの、何が面白いんだよ。先生が偏屈で、試験もめちゃくちゃ難しいらしい。単位を取るのも大変な科目だぞ。一緒にこっち、選ぼうぜ。競争率は高いけど、楽に単位が取れるぞ」
けらけらと笑う、クラスメイトのウォーレン。
村では勉強好きで理屈っぽいロイドは浮いていたが、学園では同じような人間ばかりでそこまで浮くようなことはなかった。フレンドリーなウォーレンは誰とでも仲良くできるタイプだが、なぜかロイドを気に入ってくれたようで親しくしてくれている。
彼は悪い人間ではない。それは分かる。
「……いや、僕は地理学を勉強するために、この学校に来ましたから」
「へぇ? そんなに面白いか?」
一緒に過ごす時間が増えてきた頃だった。
でも、まだロイドのやりたいことを分かってくれていない。
落ち着かない。
いつもだったら、隣にいるアリシアがこう言ってくれるのに。「ロイド、地理好きだもんね。いいと思う」と。
自分の好きな本の話もするかもしれない。
冷たい違和感が、胸中にしんしんと降り積もっていく。
ロイドの学校にほど近い薬師専門学校に通うアリシアは、時折——いや、頻繁にロイドの顔を見に来ていた。一応本人は隠れているつもりのようだが、見慣れたロイドにとっては、そこにアリシアがいることは火を見るよりも明らかだった。
だが、声を掛けてはこない。
どうして。
その思いばかり降り積もっていく。頭の中は苛立ちでいっぱいだった。
いつも手を伸ばせば届く距離にあった小麦色の頭を、ただ遠目に見かけるだけの日々をいくつ数えただろうか。
ロイドにはアリシアに対し、これまで素っ気ない態度を取っていたという自覚がある。
その自覚のせいで、折角アリシアが近くまで来てくれているというのに、話しかけ方が分からない。
これまではいつも、アリシアから声を掛けてきてくれていた。どうして近くにいられた時は、気づかなかったのだろう。
もどかしさで胸を搔きむしりたい気持ちだった。
簡単に話ができなくなってから気づくなんて、どうかしている。
「また来てるね、あの子。ロイドの幼馴染なんでしょ?」
唇を三日月の形に歪めながらそう言ったのは、件のナタリーだった。
「……そうですけど」
「何? つきまとい? ロイドも大変だね」
「……いえ別に」
僕たちの何がわかる、という反発心が頭をもたげ、つい口調は冷たくなる。ナタリーはここ最近、よくロイドに話しかけてくるのだ。
彼女にはもともと良い感情は抱いていなかった。クラスの内外問わず、将来有望だったり、見目の良い男子生徒にばかり声を掛けると噂だったからだ。実際、そのような場面を見たこともある。しかも、男子生徒と女子生徒とで、話すときの態度が大きく違うのだ。しかし、整った容姿をしているためか、積極的に彼女と仲良くする男子生徒も中にはいた。
放っておけばそのうち飽きるだろう。ロイドは手元の本に視線を落とした。
いつものように下校しようとすると、アリシアの姿を見かけた。
しかし、いつもと違う。彼女はいつも、友人らしき女子生徒と一緒に来ていたが、今日に限っては男子生徒が一緒だったのだ。
一目見た瞬間に、頭をがんと殴られたような衝撃に襲われ、ふらつきそうになる。
その男子生徒のことを見上げるアリシアの頬は赤く染まっているように見えた。
形容しがたい不快な感情が渦巻いている。ロイドはアリシアの姿に気づかなかったように、ただいつものように歩き続けるしかない。
「どうしたんだ? ロイド」
隣を歩くウォーレンが声をかけてくる。
「………………分かりません」
「へ? なにが?」
「なぜ、僕はこんなに嫌な気持ちになっているんでしょうか」
「状況を把握できない……ちゃんと説明してくれよ」
ウォーレンは目を細めてこめかみを揉んだ。
彼をちらりと見て、ロイドは深く息を吸った。
「幼馴染の話はしましたよね」
「ああ。よく学園の近くまで来て声はかけずに帰っちゃう子だろ?」
「彼女がまた来ています。そこに」
「お? ……ああ、本当だ。あの茶色い髪の子だったよな」
「いつも女友達と来てるんです」
「今日は男だな。友達か?」
「……分かりません」
俯くロイドの顔を見て、ウォーレンはニヤリと笑った。
「ほぉーん?」
「なんですか」
「いいねぇ、と思ってさ」
ニヤニヤと笑う彼の顔が非常に腹立たしい。
「眉間の皺すごいことになってんぞー」
「誰のせいですか」
「ははは。ま、青春だねぇ、ってこった」
「青春……?」
縁遠い言葉だ。彼は何を言っているのだろうか。
「お前、あの子のこと好きなんだろ」
「……は?」
ニヤニヤ笑いを引っ込めて、ウォーレンは真剣な顔になる。
「堅物のお前にも分かるように、心優しいウォーレン様が懇切丁寧に説明してやろう」
「……はい」
「お前は、気づいていないのかもしれないが、あの子が好きなんだよ。あの子と話せなくてイライラしてるだろ。で、今日に限って好きな子が男を連れてこんなところまで来た、と」
軽い口調だが、表情は真剣なままだった。
そして彼の言葉はすとん、と素直に胸に入ってくる。
「お前の言う『嫌な気持ち』っていうのは、嫉妬だな」
それを聞き、ロイドは目の前の霧が晴れたような気持ちになった。
「……なるほど。ありがとうございます、ウォーレン」
「お前はこのくらいストレートに言わないと、こういうことは分かんないだろうからな」
「でも、だからと言ってどうすればいいのか……僕には……」
再び笑うウォーレンだが、ロイドは視線を落とした。
「こじれる前に、ちゃんと話し合った方がいいぞ」
その言葉には返事ができなかった。
だから、あれはほんの出来心だったのだ。
いつものようにアリシアを見かけたロイドは、ため息をついた。
「ロイド!」
ちょうどその時、後ろから高い声が彼を呼んだ。振り向くと、ナタリーがブロンドの髪を靡かせながら小さく駆け寄ってきていた。その奥にアリシアの姿を認め、一瞬だけ目が合ったような気がした。
いつもならナタリーのことは軽くいなして立ち去るのだが、この時ばかりは底意地の悪い気持ちが頭をもたげる。
彼女は、この場面を見てどう思うのだろうか。
「一緒に帰ろう?」
「いいですよ」
「……えっ、本当?」
少し驚いたような顔をしたナタリーだったが、ロイドが気にする方向を見て、心得たように頷いた。そして、近すぎる距離で隣を歩き始める。
「こういうことでしょ? あの子を、遠ざけたいんだ」
性格の悪そうな笑顔でこちらを見上げるナタリーに嫌悪感が込み上げた。そうではない。でも、黙って歩き続ける。
歩くうちに、ナタリーが横からつんつんと腕を突いてきた。ちら、と隣を見ると、服を引っ張ってきて、内緒話をするように口元に手を当ててロイドの耳に寄せてくる。
「ほら、こっち見てるよ、あの子。このまま一緒に歩いていけば、勝手に勘違いしてくれるよ」
「……」
「私は、勘違いじゃなくて事実にしちゃってもいいと思ってるんだけど、どうかな?」
「冗談はやめてください」
その先のことを、ロイドは全く考えていなかったのだ。
下校するときに、あの小麦色の髪が見えない。
そのたびに、ロイドは暗い崖下に突き落とされるような絶望を味わっていた。




