2.王都へ
「いよいよだね」
「そうですね。楽しみです」
アリシアとロイドと荷物を載せた乗合馬車が、つい先ほど村を出発した。村から続く道はそれほど整備されてはいないため、ガタガタと揺れる。
馬車の窓から顔を出すと、大きく手を振るロイドの両親と、対照的に控えめに手を振るアリシアの母が見えた。馬車が進むにつれ視界は森の緑に浸食されていき、彼らの人影はどんどんと小さく遠ざかっていく。二人も、彼らの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
木漏れ日だけが馬車の中に降り注ぎ、床にまだらの模様が流れていく。アリシアはまぶしさに目を細めた。
「ほかの同級生たちはみんな、王都には行かないもんね。寂しくなっちゃうな」
「王都には知り合いがほとんどいませんからね。大変だとは思いますが、なんとかなるでしょう」
「14年間ずっと、村に住んでたからなぁ。楽しみだけど、ちょっと心配……」
村から王都へ行く生徒はアリシアとロイドだけだった。同年代の生徒たちは、そこまで勉強熱心でなかった者は家業を継いだり、近くの地方都市で働き口を見つける者も多かった。
「国立薬師専門学校にもきちんと合格したんですから。しかも、成績優秀者向けの奨学金制度も使えることになりましたし、そこまで心配に思うことはありませんよ」
珍しく素直な励ましの言葉がかけられて、アリシアは穴が開くほどにロイドをじっと見つめた。
「……なんですか」
「ううん、なんでもないの。ありがとう、ロイド」
ほっと笑うと、バツの悪そうな顔をしたロイドは鞄から本を取り出して開いた。こんなに揺れる馬車で果たしてきちんと読めているのだろうか。
「ロイド、ほんとにすごいよね。私に勉強を教えながら、あの国立王都学園に余裕で合格しちゃうんだもの。倍率すごかったんでしょう?」
「まあ。学園は学費が無料ですからね。それは入学希望者も殺到しますよ。学費無料はありがたいことですが、僕は師事したい先生が学園にいますから」
「学費無料だけに飛びついてくる人たちとは違うもんね、ロイドは。やっぱり地理の勉強がしたいの?」
「ええ」
彼は目を落していた本を閉じ、その表紙を撫でた。
「師事したいのは、この本を書いた先生です。最初に読んだときは、こんな視点があるなんて、とびっくりしました」
「その本、ずっと持ってるよね。目標の先生なんだ」
「そうです。そもそも、地理って面白いんです。まったく違う場所なのに、条件が同じだと気候も同じになりますし、特産物も似たものになります。強みにできるところもそれぞれの地域によって違うんです。それを僕はもっと勉強したい。村の学校だけでは資料も足らないし、理解も深まりません。やはり王都に行かないと。ああ、早く学校が始まればいいんですが」
普段笑わないロイドが、口元にうっすらと微笑みを浮かべている。それをアリシアはうっとりと見つめた。
いつもならこうして見つめていると呆れたような視線を向けられるが、今日のロイドは少し浮かれていて気づいた様子がない。それをいいことに、アリシアはうんうんと頷きながら、木漏れ日にきらきらと輝くロイドの銀髪を眺めた。
「僕は地理の知識を生かして政治にも関われたらいいなと思っているんです。こういう学問のことを、地政学というんですよ。例えば、この王国について言うなら、王国は三方を山に囲まれていて、一方が海に面しています。陸からは攻め込まれにくいですし、海に面したところから貿易なども活発にできます。だから、近隣国より力をつけられたんです」
ロイドの話す内容は難しくて分からないこともあったが、夢を語るロイドはとてもかっこいいと思う。
にこにこと話を聞いているうちに、緑ばかりだった馬車の周りの景色は徐々に変わっていった。
砂利の多かった道は、石造りに。道沿いに家々も増えていく。
乗合馬車に乗り降りする人数も増えてきた。
ロイドの話は、降雪と屋根の勾配の関係まで発展していた。そのころには家が密集するようになり、村では見かけないような洒落たレンガ造りの家もちらほらと建つようになった。街ゆく人々の往来も増え、その服装も洗練された印象だ。
一度王都での受験のためにこの道は辿っているが、あの時は気持ちに余裕がなく、そんなところまで見ていなかった。
そして、王都を囲む堅牢な市壁が見え始め、知らず知らずのうちに、二人の口数は減っていく。
検問所で通行証の確認と荷物の確認を終えると、広場近くの停泊所で荷物を下ろし、運賃を支払った。
二人とも無言で、あたりを見回す。
「……すごいね」
「ええ、すごいですね」
規則正しく並べられた石畳に、広場の真ん中には噴水がある。所狭しと並ぶ家々、忙しなく行き交う人々。
ふと鳥の声がして上を見上げると、背の高い時計塔や教会が天に向かって伸び、村よりも空は狭い。
上質な布地のデイドレスで出歩く女性たちも多く、アリシアは自分の生成り木綿のワンピースを見おろして頬を赤らめた。
隣でロイドが、ついに来たんだ、と小さくつぶやいた。
* * * * *
アリシアはスプーンに乗せた熱々のグラタンをふうふうと吹いて口に入れ、ぷはーとため息をついた。ホワイトソースとチーズの絡んだほくほくのカボチャがとても美味しい。
「働くって、大変なんだね~……」
「なかなか村だと経験しませんしね。そんなに掛け持っていたら体調を崩しますよ」
「でも、お金稼がないとだから。それに、体が丈夫なことが私の取り柄だし!」
「……食事1回程度、僕は学費が浮いている分余裕がありますよ。工面が難しいようなら——」
「大丈夫大丈夫! せっかく初めて自分で稼いだお金だもの。今日は私におごらせて? このレストラン、そんなにお値段しないのに美味しくていいよね」
にっこりと笑って見せるが、ロイドの眉根にはまだ皺が寄っている。
生活もようやく安定してきたところだが、アリシアのもらっている奨学金だけでは学費の工面で精一杯になってしまい、生活費のためにアルバイトを始めた。初めてのお給料を先日もらったところだ。
村から持ってきた木綿のワンピースしか持っていなかったが、ようやく王都でも浮かなさそうな簡素なワンピースを買うことができたので、今日はそれを着てきていた。
アリシアはさして気にはしていないが、ロイドは実家からの仕送りで賄えているため、負い目があるのかもしれない。彼は意外とそういうところを気にする人なのだ。
「明日から学校だね」
気分を変えるように言うと、眉間の皺がやや浅くなる。
「そうですね。準備は進んでいますか?」
「ぼちぼち。初日に必要なものはそんなにないよ。ロイドはきっと準備もバッチリなんだよね」
「もちろんです」
クイ、と眼鏡を持ち上げ、ロイドはナイフとフォークで均一に切り分けたチキンステーキを口に運んだ。
「憧れの先生の授業は受けられそうなの?」
「ええ。選択科目のようです」
「そっか。良かったね、ロイドの夢に一歩近づけるんだ」
アリシアは何の気なしにそう言ったが、ロイドは眼鏡の奥で一瞬目を見開き、フォークを持つ手を止めた。
「ええ……そう、ですね」
口の端に小さな笑みを浮かべながらチキンステーキを噛みしめるロイドを見て、アリシアは胸の奥がほんのり温かくなるような気持ちだった。
食後、アリシアはお会計で意気揚々と財布を掲げたが、お手洗いに行っていた間にロイドが二人分の会計を済ませてしまったらしく、むくれて帰ることになった。
二人の帰る家は同じ方向だったため、並んで歩く。王都の狭い空でも、天高く見える一番星が二人の進路を照らしていた。
* * * * *
「アリシア、毎日これじゃ、ただの不審者だよ。友達なら声をかければ良いじゃない」
「でも、友達と一緒にいるし……急に声をかけたら、一緒にいる人にも迷惑じゃないかな。私がロイドのことを一目見たくて来てるだけだし……」
呆れ顔でアリシアの後ろから顔を覗かせるのは薬師専門学校で友人になったカミラだ。黒髪をポニーテールにした知的な美人で、いろいろ言いながら世話好きなところがアリシアは大好きだった。
不安を抱えながら迎えた新生活だったが、気づけばカミラのような、友人と呼べる人も数人できた。
不審者同然なのはアリシア自身も分かっている。でも、ちょっとでいいから彼の姿を見たい。
アリシアはそっと眉を下げてため息をついた。
学校が始まると、目まぐるしく日々が過ぎていった。おかげで、ロイドとは会う頻度が極端に減っていた。
アリシアはさみしくて、ロイドの学校の近くまで行っては彼の後ろ姿をじっと眺めていた。ロイドはロイドで友人が出来たようで、男子生徒と並んで帰っていく様子を度々見かけた。
「そうは言ってもね。幼馴染なんだし、そのうち生活が落ち着いたらきっと話もできるわよ」
「でも、ちょっとでも顔が見られたらそれで十分なんだよ」
「彼のことそんなに好きなの?」
好きなのか、と問われて一瞬固まる。
ロイドのことは好きだ。だけど、それはただの憧れだ。彼が幸せに暮らしているところを見届けられれば、それでアリシアも十分幸せだった。
王都に来たロイドの表情はいつ見ても輝いていた。やはり森の中のあの小さな村では、彼の知的好奇心を満たすことは難しかったらしい。彼のその様子を遠くからそっと見守るだけでアリシアは十分だったが、ほんの少し、もう少しだけ、ゆっくりお話しできる時間が取れればいいなと思っていた。
黙りこむアリシアの耳に、はぁ、というため息が聞こえた。
「ここ最近、頻度増えてるじゃない。ほぼ毎日って」
「ごめんね……。まだちょっと、不安なんだ。今までずっとロイドがそばにいてくれたから」
「いい幼馴染じゃない。そんなに気ごころ知れてるなら、彼も話したいと思ってるんじゃないの?」
彼も。
そうだろうか、と考え込んでしまう。
「いや……ロイドは、もしかしたら私とは話したくないかも。私は、きっと手のかかる妹みたいな存在だったと思うから」
「まぁ、あんたのこと面倒見てやりたくなる気持ちは分かるけどね。それだけじゃないでしょ」
うーん、と唸る。
カミラは小さく肩をすくめた。
「お話ししたいんでしょ? 正直に言えばいいのよ」
「そうだけど……私のわがままだから。いいの」
アリシアはそっと微笑んで、ロイドの銀髪を網膜に焼き付けた。そして、カミラと一緒にロイドの後ろ姿に背を向けた。
先をゆくカミラを追いかけながら、肩越しに彼を振り返る。
ロイドは、無事に希望通りの選択授業をとれたのだろうか。
* * * * *
毎日慣れない授業を受け続け、気がつけば1ヶ月以上ロイドとは話すことができていなかった。
「アリシア、ごめん。今日はついていけない。用事があってさ」
「全然大丈夫だよ! いつもありがとう。でも、もうひとりで行けるよ」
「何言ってんの、あんた極度の方向音痴でしょう。帰ってこれないわよ」
「さすがに慣れたよ……」
「いいの。ほらっ、今日はこいつをつけるから! ねっ、アルフレッド? あんたどうせ暇でしょう」
バシンとカミラに背を叩かれ、いてぇ! と声を上げるのは当のアルフレッドだ。アリシアとは名簿順でペアになりやすく、カミラも交えて三人で過ごすことが多かった。
「王都学園の場所、あんた分かるでしょ? 連れてってあげて」
「別にいいけどさぁ。……ま、おっしゃる通り暇ですし」
ぶつくさと言いながらも付き合ってくれるらしい。
「ありがとね、アルフレッド」
「……別に。暇だからな」
「さっきも聞いたよ」
アリシアが笑うと、アルフレッドも笑った。
見慣れた道を学園まで歩き、少し待つとロイドが校門から出てくるのが見えた。今日も男子生徒と一緒だ。
「ロイド、だっけ?」
「うん」
「眼鏡かけてる白い方?」
「まぁ、そうね」
確かに、あの銀髪は陽の光のもとでは白く見える。
「なるほど。あれがお前の王子さまってわけね」
「王子さまって……私がただ憧れてるだけだよ」
アリシアは、ぽぽぽっと頬を染めた。
恥ずかしくなってロイドから目を逸らし、後ろにいるアルフレッドを見上げた。
「ほら、向こうも気付いたみたいだぞ。普通に声をかければ良いだろ」
「え?」
ロイドの方を振り返るも、綺麗な銀髪の後ろ姿しか見えない。
アリシアは首を傾げた。
「気づかれてないよ。いつもバレずに帰ってこれるもの」
「あれ? 気のせいだったかな」
アルフレッドは軽く頭を掻く。
アリシアはひっそりとため息をついた。正直なところ、ロイドが気づいて声をかけてくれれば一番アリシアにとっては楽なのだ。
「でも、もう今までどうやって話してたか忘れちゃった……1か月以上もロイドと話せなかった時期なんて、今までなかったもの……」
「そんなん、話してるうちに思い出すさ」
「話しかけるきっかけを忘れちゃったんだよ」
「今まではいつ話してたんだ?」
「学校のお昼休みとか、放課後の勉強会とか。そういえば、学校以外だとあんまり話したことないのかも」
「もう学校が違うからな」
そうだ、もう同じ学校に通っていない。
今まで当たり前のようにそばにいて、当たり前のように話していた。当たり前が当たり前でなくなってしまった後のことなんて考えたこともなかった。一体どうしたら今までのように話せるのだろう。
しょんぼりしたアリシアは肩を落とした。
「王都に来てからは?」
「情報交換がてら会ってたけど……どうやって約束を取り付けてたんだっけ……」
「思い出せないのかよ……しかも、学校始まっちまえばもう情報交換なんて要らないしな」
呆れたようなアルフレッドの声に、さらに縮こまる。「まぁ元気出せって」と、少し慌てたようなアルフレッドがアリシアの背を軽く叩いた。
「とりあえずさ、一旦声だけかけてみたらどうだ? そのあとはどうにでもなるだろ。まずはきっかけだ、きっかけ」
「うん……そうだね」
明日、またここに来たら、その時は頑張って声をかけてみよう。ロイド、と、名前だけ。
それで迷惑そうな顔をされるようであれば、もう彼を一目見にくる頻度も少なくしよう。
これが自分にできる精一杯だ、とアリシアは思った。
そろそろ限界だとは思っていた。ほぼ毎日のように来るアリシア達を、怪訝そうに見つめる視線が増えてきたことには薄々勘付いていた。人に不快な思いをさせてまで自分のやりたいことを貫けるほど、アリシアの心臓は強くなかった。




