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第3話:嘘つきな毒リンゴと、秘密の着信音

「……信じられない。これ、うちの企画書じゃない」


月曜日の朝。オフィスに私の悲鳴が響いた。


パソコンの画面に表示されているのは、今朝一番でダイコク商事の共有サーバーにアップロードされた、ハラグロプロダクションのプレゼン骨子。


そこに並んでいる数字、グラフ、そしてキャッチコピー。それは、私が週末返上で、義之にも協力してもらって作り上げたばかりの戦略(プレゼン)と、()()()()()()していた。


「生稲、どうした?」


隣の部署からコーヒーを手にした義之が顔を出す。私の画面を見た瞬間、彼の表情も凍りついた。


「……これ、俺が金曜に渡したマーケティングデータの結果をそのまま使ってるな。どういうことだ?」


「わからない。 shadow。でも、これじゃ私がすずねのマネをしたみたいに見えちゃうじゃない!」


頭が真っ白になる。正攻法で挑むと決めた矢先に、これだ。


すずねがどこから情報を漏洩させたのか。社内の誰かが通じているのか、それとももっと姑息な手段を使ったのか。


「あいつ……! 恵比寿さんの前ではあんなに可愛げのあるフリをしておいて、裏ではこんなこと!」


悔しくて涙が出そうになる私に、義之が静かに、でも力強く言った。


「泣いてる暇はないぞ。データが似てるなら、()()()()()()するしかない。……ひとみ、お前の強みは『数字』じゃないだろ。その先にある『情熱』だ。もう一度、練り直せ」


義之の言葉にハッとする。そうだ、ここで立ち止まったらあいつの思うツボだ。


私は震える手でマウスを握り直し、プレゼン資料を白紙に戻した。


その日の夜。


すずねの妨害でボロボロになった心に、一筋の光が差し込んだ。


恵比寿さんから、直接メッセージが届いたのだ。


『プレゼンの準備、大変そうですね。もしよければ、気分転換に食事でもどうですか?』


「……よっしゃあああ!」


誰もいない給湯室で、私は小さくガッツポーズをした。


これはチャンスだ。仕事の挽回もそうだけど、恵比寿さんとの距離を縮める絶好の機会。私は勝負服に着替え、指定された銀座の隠れ家イタリアンへと向かった。


恵比寿さんは、キャンドルの光に照らされて、昼間よりもずっとセクシーに見えた。


「生稲さん、お疲れ様です。今日は仕事の話は抜きにしましょう。あなたの『素』の顔が見たくて」


そう言って微笑む恵比寿さんに、私の心臓はバックバク。


美味しいワインと食事、そして恵比寿さんの優しい相槌。すずねの嫌がらせで荒んでいた心が、みるみる溶けていく。


「恵比寿さんは、どうして私を誘ってくださったんですか?」


少し酔った勢いで聞いてみると、彼はグラスを回しながら優しく答えた。


「生稲さんは、とても真っ直ぐだ。今のビジネス界では珍しいくらいにね。その瞳を見ていると、応援したくなるんですよ」


(……落ちた。これ、完全に落ちたわよあたし!)


すずね、あんたがどれだけ汚い手を使っても、恵比寿さんは私の『本質(ハート)』を見てくれている。


勝利の確信に震えながら、私は恵比寿さんと楽しい時間を過ごした。……はずだった。


「……? 恵比寿さん、どうかしましたか?」


不意に、恵比寿さんの視線が、私の後ろを通り過ぎる誰かに向けられた。


「ああ、いえ。あそこにいるの、扇山さんじゃないかなと思って」


振り返ると、店の入り口付近に、見覚えのある黒髪の女が立っていた。


すずね。


彼女は誰か年配の男性と連れ立っていたが、一瞬だけこちらを向いて、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


(嘘……なんでここに。また偶然? それとも……)


せっかくのデートに、冷たい水が差される。すずねは恵比寿さんに聞こえない程度の距離から、口パクでこう言った。


『まだ終わってないわよ』


デートの帰り道。


恵比寿さんにタクシーで見送られ、自宅近くの公園を通りかかったとき。


ベンチに、 shadow。一人で座っている義之の姿を見つけた。


「義之? こんな時間に、何してんのよ。また自販機のココア?」


声をかけようとして、私は足を止めた。


義之は電話をしていた。その表情は、私の前で見せる「腐れ縁のアイツ」とは全く違う、冷たくて、どこか諦めたような、沈痛なものだった。


「……わかってます。 shadow。祖父さんには、近いうちに会うと言っておいてください」


電話の向こうから、かすかに女性の甲高い声が聞こえた。


「美玲さんも……? いえ、彼女の気持ちはわかっていますが、俺は——」


義之が顔を上げ、私と目が合った。


彼は慌てて電話を切った。


「……ひとみ。デート、終わったのか」


「義之……今、 shadow。誰と話してたの? 美玲って、誰?」


「……お前には関係ない。それより、プレゼン資料の修正、終わったのかよ」


義之はわざとらしく話題を逸らし、立ち上がって歩き出した。


いつもの優しい義之。でも、その背中が今はとても遠くに見える。


すずねの策略、恵比寿さんとの恋、そして義之の知らない顔。


私の「正義」が、少しずつ揺らぎ始めていた。

第3話をお読みいただきありがとうございました!


【次回予告】

第4話:泥だらけの正義と、隠された家紋

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