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第23話:泥濘(ぬかるみ)のゲームマスターと、絶望の救命艇

「……恵比寿さん、あんた正気なの!? みんなを巻き込んで沈めるなんて!」


浸水が始まり、床がじわじわと冷たい海水に浸かっていく。

パニックで逃げ惑う客たちの怒号が遠くで響く中、あたしはステージの大型モニターを見上げて叫んだ。


画面の中の恵比寿さんは、いつもの穏やかな笑みを浮かべたまま、優雅に赤ワインを揺らしている。


「正気だよ、生稲さん。……ビジネスは、最後に誰が笑うかで決まる。如月も高橋も、僕にとっては市場を荒らす古い駒でしかなかった。君たちが彼らを掃除してくれたおかげで、ようやくダイコク商事がこの国の経済を独占できる……。君はその最高の『功労者』なんだよ」


「……俺たちを、最初からそのために利用したのか」


義之が、浸かり始めた足を一歩前に出し、モニターを睨みつける。


「そうだよ、義之君。君の『家柄への反抗心』も、生稲さんの『無鉄砲な正義感』も、実にコントロールしやすかった。……さて、時間がない。この船の救命艇は、僕が遠隔操作している一台だけだ。……定員は二人。……さあ、選んでごらん。君たち二人か、それとも……そこに転がっている、かつての宿敵・美玲さんと九条君か」


恵比寿さんの声は、冷酷なまでに楽しげだった。


「愛か、それともかつての慈悲か。……君たちの『正義(ジャスティス)』が、どんなに安っぽいものか、最後に証明してほしいんだ」


「……ふざけないでよ」


あたしは拳を握りしめた。

隣には、自分を捨ててまであたしを選んでくれた義之がいる。

足元には、力尽き、九条の腕の中で意識を失いかけている美玲がいる。


「……ひとみ。俺はいい。お前と、美玲さんを乗せろ」


義之が静かに言った。


「美玲さんは、まだやり直せる。……九条も、彼女を守る義務がある。……お前は、生きてこの真実を世界に伝えなきゃいけないんだ」


「何言ってるのよ義之! あんたがいない世界で、あたしが一人で何を伝えろって言うのよ!」


「——あら。……熱烈な愛の告白は、陸に上がってからにしてくれる?」


背後から、皮肉たっぷりの声がした。


浸水したホールに、派手な水しぶきを立てて現れたのは……小型の潜水ドローンを操る、扇山すずねだった。


「すずね!? あんた、逃げたんじゃ……」


「逃げるわけないでしょ。あんたたちが死んだら、あたしの未払いの報酬、誰が払うのよ。……恵比寿のクソ野郎。あんた、あたしを計算に入れてなかったのが最大のミスね」


すずねが手元の端末を叩くと、恵比寿さんの画面にノイズが走った。


「……何をした、扇山君」


「あんたの救命艇のロック、ハッキングさせてもらったわ。……定員は二人のままでも、この船の構造上、救助ヘリを呼べるポイントをあたしが見つけた。……でも、それには一人が『手動』で水門を開け続けなきゃいけない」


すずねの言葉に、場が凍りついた。


誰か一人が、沈みゆく船の最下層に残り、全員が脱出するまでレバーを支え続けなければならない。それは、確実な《《死》》を意味していた。


「……私が行きます」


九条が、静かに立ち上がった。


「九条……! ダメよ、あんた美玲さんを……」


「美玲様を、外の世界へ連れ出してください。……生稲様、如月様。……私の仕えるべき『誇り(ジャスティス)』は、最後にあなたたちの姿の中にありました。……それを見届けられただけで、私の人生には価値があった」


九条は、震える美玲を義之に託すと、あたしに向かって初めて、微かな笑みを見せた。


「……生稲ひとみ様。……《《泥だらけの正義》》、貫き通してください」


九条は迷いなく、激流が渦巻く最下層へと階段を駆け下りていった。


「九条ぉぉぉぉ!!」


あたしの叫びが響く中、船体が大きく傾く。

恵比寿さんの歪んだ笑顔が画面から消え、あたしたちは九条が命を懸けて開けた「生への扉」に向かって走り出した。

第23話をお読みいただきありがとうございました!

九条の命を懸けた決断により、激流の客船から脱出の道が開かれました。残されたひとみたちは、すべての黒幕である恵比寿への反撃を誓います。物語はついに最終決戦の地上戦へ!


【次回予告】

第24話:弔いの進撃と、正義の包囲網

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