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第17話:影の執行人と、泥に咲く白百合

「……生稲さん、これが私の、精一杯の『はじめの一歩』です」


下町の古いオフィス。美玲が差し出した企画書は、以前の『白雪ウェディング』時代の豪華絢爛なものとは対照的に、手作り感に溢れていた。


『キャリア・ルーツ:家柄を超えた女性の自立支援プロジェクト』


高橋家という名前を捨て、一人の女性として歩き出そうとする彼女の、震える指先。


「いいじゃない。美玲さん、あんたのその『必死さ』、今のあたしには最高に響くわよ」


あたしが笑顔で企画書を受け取ったその時——。


バリンッ! という不吉な音とともに、オフィスの窓ガラスが粉々に砕け散った。


「……っ!? 全員伏せろ!」


義之が咄嗟に美玲とあたしを庇い、床に押し倒す。


砕け散ったガラスの破片が舞う中、開いた窓から一人の男が静かに、音もなく室内に滑り込んってきた。


黒いトレンチコートに、感情を削ぎ落としたような無機質な瞳。


「……如月義之様。そして、生稲ひとみ様。……ご挨拶が遅れました。私は如月家より参りました、九条と申します」


「……九条? ……お前、じいさんの『()()()』か」


義之が鋭い視線で男を睨みつける。


掃除屋。如月家が代々、裏の不祥事や邪魔者を始末するために雇ってきたという、都市伝説のような存在。


「会長より伝言です。『遊びは終わりだ。美玲様を返し、生稲ひとみとの関わりを断て。さもなくば、この街にお前たちの居場所はなくなる』」


九条の声は、まるで機械のように平坦だった。


「断る。……今の俺には、守らなければならない『ジャスティス』があるんだ」


「……左様ですか。では、まずは『生稲ひとみ』という存在の価値を、ゼロにさせていただきます」


九条が懐から取り出したのは、一枚の古い、黄ばんだ書類の写しだった。


「生稲ひとみ様。あなたの父親が、かつて如月家関連の工場で起こした『横領事件』の全記録です」


「……え?」


あたしの心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。


父は、あたしが子供の頃に蒸発した。母からは「事故で死んだ」と聞かされていたけれど……。


「あなたの正義は、犯罪者の血の上に成り立っている。……この事実を世間に公表すれば、美玲様のプロジェクトも、この会社も、一瞬で泥に塗れるでしょう」


「……嘘よ。父が、そんなこと……」


目の前が真っ暗になる。あたしがこれまで信じてきた「真っ直ぐな自分」のルーツが、足元から崩れ去っていく感覚。


「ひとみ、気にするな! じいさんの作り話に決まってる!」


義之が叫ぶが、九条は冷たく微笑んだ。


「事実ですよ。……さあ、どうされますか? 泥棒の娘と、落ちぶれた令嬢。……そんな二人が作る『幸せ』に、誰が耳を貸すというのです?」


その時、オフィスの隅で静観していたすずねが、ゆっくりと立ち上がった。


「……ふん。相変わらず如月家は、カビの生えたような弱みを握るのが得意ね」


すずねは九条の前に歩み寄り、至近距離で彼を睨みつけた。


「九条。あんたが持ってるその書類、あたしが『ハラグロ』時代に偽造工作を手伝ったやつじゃない。……よくもまあ、堂々と持ってきたわね」


「……何だと?」


九条の無機質な表情が、初めて微かに動いた。


「ひとみ。あんたの親父さんはね、如月家の不正を内部告発しようとして、逆に罪を被せられて消されたのよ。……正義の味方の娘は、やっぱり正義の味方だったってわけ」


すずねの言葉に、あたしは息を吹き返した。


「……すずね、それ……本当なの?」


「あたしが嘘をつくメリットがある? ……九条。あんたの主へ伝えてきなさい。……『過去の毒を撒くなら、こっちは現在の爆弾を落とすわよ』ってね」


すずねが手に持っていたUSBメモリを弄ぶ。


「如月家が長年隠蔽してきた脱税の証拠。……これ、美玲さんの調査能力とあたしの情報網で、昨夜完成したのよ」


美玲も、恐怖に震えながらも立ち上がった。


「……九条さん。私はもう、如月家の『静かなる所有物』ではありません。……ひとみさんの正義を汚すなら、私は持っているすべての証拠を持って、警察へ行きます」


二人の女性の覚悟。


泥の中から、力強く咲き誇る白百合(ひめゆり)のような美玲と、猛毒を持ちながらも仲間を守るすずね。


九条は、しばらくの間、私たちを冷徹に観察していたが、やがて書類を懐に収めた。


「……なるほど。……会長への報告は『生稲ひとみは、想像以上に厄介な女だ』としておきましょう。……ですが、これはまだ始まりに過ぎません。如月家の本当の牙は、こんなものではありませんから」


九条は窓から、再び影のように消えていった。


静まり返ったオフィス。


あたしは、震える手で企画書を握りしめた。


「……みんな。ありがとう」


「お礼なんていいわよ。……それよりひとみ。あんたの親父さんの件、本当の決着をつけるには、如月家の心臓部を叩くしかないわよ」


すずねが、真剣な顔で言った。


義之があたしの肩を抱き寄せた。


「……ひとみ。俺の家が、お前の家族にまで迷惑をかけていたなんて……。……許してくれとは言わない。でも、俺に、その過去を上書きさせてくれ」


「……バカ。……あんたのせいじゃないでしょ。…… shadow。でも、決めたわ」


あたしは、砕けたガラスを窓から掃き出した。


「如月会長。あんたの『汚い正義』、あたしたちの『()()()()()()()』で、根こそぎひっくり返してやるわよ!」


窓の外、隅田川の向こうには、如月家が支配する煌びやかな都心のビル群が見える。


その頂点を目指し、あたしたちの反撃の烽火(バトル・シグナル)が、今、赤々と燃え上がった。

第17話をお読みいただきありがとうございました!

すずねと美玲の覚悟によって九条の牙は防がれましたが、如月会長の執念は次なる総攻撃へと向かいます!


【次回予告】

第18話:正義の審判と、宣戦布告のキス

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