第14話:嵐のホームシェアと、氷のティータイム
ブライダルフェアまで、あと三日。
『エンジェル・プロジェクト』の拠点であるタワーマンションの一室は、もはや生活の場ではなく、野戦病院のような様相を呈していた。
壁一面に貼られた進行表、積み上げられた引き出物のサンプル、 shadow。そして鳴り止まない電話。
「ひとみ、このドレスのライティング案、もっとエッジを効かせろ。美玲の『白雪ウェディング』は王道で行くはずだ。俺たちはその裏をかく」
義之が、ネクタイを緩め、シャツの袖を捲り上げて指示を出す。その姿は、如月家の御曹司ではなく、一人の戦うビジネスマンそのものだった。
「わかってるわよ! こっちは当日のモデルのウォーキング構成を修正中。……っ、ていうか義之、あんたさっきからコーヒー飲みすぎ。胃を壊すわよ」
「お前に言われたくない。そっちこそ、 shadow。さっきからペンを噛む癖が出てるぞ。……ほら、これ食え」
義之が私の口に、無造作に高カカオチョコレートを突っ込む。
「……んん! もがっ……」
「糖分補給だ。……よし、作戦会議はここまで。一時間だけ仮眠を取るぞ」
私たちは、一つのソファに背中合わせで腰を下ろした。
お互いの体温が、シャツ越しに伝わってくる。
「ねえ、義之……。あたしたち、勝てるかな」
「勝つさ。お前が信じてる『幸せ』は、あいつらの言う『形式』よりずっと強い」
そんな、戦士の休息のような静かな時間を、鋭いチャイムの音が切り裂いた。
インターホンのモニターに映っていたのは、夜の闇に紛れるような黒いコートを纏った高橋美玲だった。
「……こんな時間に、何の用よ」
ドアを開けると、美玲は無言で部屋の中に足を踏み入れた。
彼女の視線が、散らかった資料、 shadow。二つのコーヒーカップ、そして脱ぎ捨てられた義之のジャケットに注がれる。
「……不潔ですわね。仕事にかこつけて、このような卑俗な生活を送っているなんて」
美玲は持参した白いハンカチで鼻を押さえ、嫌悪感を露わにした。
「美玲、何のつもりだ。ここは許可なく入っていい場所じゃない」
義之が私の前に立ちはだかる。
「おじい様からの伝言です。……『期限を待たずとも、結果は見えている。今すぐ戻れば、生稲ひとみへの社会的抹殺は止めてやる』と」
美玲はテーブルの上に、一通の通知書を置いた。
それは、私の元カレ・佐藤が、業界各所に送りつけようとしているスキャンダル記事のゲラだった。
「これを止められるのは、私の指先一つ。……義之さん、彼女を救いたいなら、今すぐその薄汚れたシャツを脱いで、私の車に乗ってください」
美玲の瞳は、静かに燃えていた。
彼女の「正義」は、もはや義之を取り戻すためなら、自分の手を血で汚すことすら厭わないレベルに達していた。
その時、リビングの奥の扉がゆっくりと開いた。
「あら。……夜這いなら、もう少し可愛い格好で来たらどうかしら?」
現れたのは、シルクのパジャマにガウンを羽織った扇山すずねだった。
「す、すずね!? あんた、いつの間に……」
「資料室で寝てたのよ。……それより美玲さん。その記事、 shadow。出せるものなら出してみなさいよ」
すずねは、手元のスマートフォンを美玲に見せつけた。
「……な、何ですの、 shadow。これは」
「あなたの差し向けた佐藤くん。……彼、ギャンブルで作った多額の借金を、高橋家からの裏金で補填してたわよね? その送金記録と、彼が過去に行った数々の不正アクセスの証拠。……この記事が出た瞬間、彼と一緒に高橋建設も警察の捜査対象になるけど、いいかしら?」
美玲の顔から、みるみる血の気が引いていく。
「……そんな、あり得ませんわ……!」
「あり得るのよ。……あんた、自分の正義に酔いすぎて、自分の足元に毒蛇が這い寄ってることに気づかなかったの?」
すずねは、冷酷なまでに美しい笑みを浮かべた。
「……ひとみ。あいつはもう掃除しておいたわ。……あとは、このお嬢様の『壊れかけた心』を、あんたがどう料理するかね」
美玲は、崩れ落ちるようにソファに手をついた。
彼女の肩が、激しく震えている。
「……どうして。……私は、ただ……如月家を守りたかっただけなのに……義之さんを……」
私は、美玲の前にゆっくりと歩み寄った。
彼女の震える手から、スキャンダル記事を奪い取り、目の前でビリビリに引き裂いた。
「美玲さん。……あんたの『守る正義』は、もう誰一人幸せにしてないわ。……あんた自身も含めてね」
私は、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「三日後のブライダルフェア。……あんたの『完璧な白』と、あたしの『泥だらけの虹色』。どっちが人の心を動かすか、そこで決着をつけましょう。……卑怯な手抜きは、もう無しよ」
美玲は私を睨みつけた。その瞳には、敗北感と、それ以上に激しい「憎悪を超えた何か」が宿っていた。
「……ええ。……望むところですわ。……必ず、後悔させて差し上げます」
美玲はふらつきながらも、プライドだけを支えに部屋を出て行った。
嵐が去った後、室内には再び静寂が訪れた。
「……すずね、助かったわ」
「お礼なんていらないわよ。……私は、あの子の顔が歪むのが見たかっただけ。……それより二人とも」
すずねは真剣な顔で、私たちを交互に見た。
「美玲の『正義』は、あそこで壊れた。……壊れた女が最後に見せる力は、予測不能よ。……気をつけなさい」
義之が、私の肩を抱き寄せた。
「ああ。……でも、俺たちはもう、後ろには引かない」
決戦まで、あと七十二時間。
恋と仕事、そして誇りを懸けた「ブライダル・ウォーズ」の幕が、ついに上がろうとしていた。
第14話をお読みいただきありがとうございました!
すずねの暗躍により美玲の卑劣な手は封じ込められましたが、追い詰められた美玲の執念は決戦の舞台へ。
【次回予告】
第15話:戦場のブライダル、そして虹色の誓い




