第一章 静寂の中の邂逅 【6.破軍の星影】
忠平邸に到着した国豊は、そこで異様な風貌の若武者・相馬小次郎と出会う。重瞳を持つ坂東武士の威容に怯えながらも、国豊はその眼差しの奥にある静かな誇りを感じ取る。やがて忠平に迎えられ、国豊は新たな家族として邸に迎え入れられる。幼い胸に去来する不安と期待の中、彼の運命は静かに動き始める。
【6.破軍の星影】(はぐんのほしかげ)
やがて車は正門を抜け、西の対屋へ続く廊の脇で静かに止まった。
母と別れたときの感触が、まだ手のひらに残っている気がした。ここに来れば、もう後戻りはできない
――胸の奥が、かすかに締めつけられる。
「藤の若君、到着だ。そこの軒先で降りられると良い。」
国豊はその声に、はっと胸を震わせた。
御簾を押し上げると、外の光が容赦なく差し込み、幼い瞳が一瞬、白く染まる。
光が収まったとき――
そこに黒濃く、巨大な影を見て、国豊は、ぎょっとして息を呑んだ。
――背丈、七尺余
まるで大人二人の影が一つに重なったような偉丈夫。
浅葱の狩衣が風に揺れるたび、鍛え抜かれた鋼のような筋肉が衣の下でうねり、その存在そのものが、都の優雅な空気とはまるで異質だった。
日に焼けた肌は黒鉄のよう、肩は岩盤のように盛り上がり、腰に佩いた太刀は国豊の腕ほどもある。
だが、国豊の足をすくませたのは、その威容だけではなかった。
烏帽子の影からのぞく左眼は、
一つの眼球の中に瞳孔(黒目)が二つある異形に見えた。
――重瞳
古代から“英雄の相”、“王者の相”などと信じられてきた異形であり、楚王・項羽が重瞳の相であったという伝説があるが、もちろん七歳の国豊が知る由もない。
(……こわい。)
――この異形に、国豊は凍り付き、大いに畏怖した。
「人ではないもの」を見たような恐ろしさに震えが止まらない。
若武者は、じっと国豊を見つめていた。
やがて、わずかに口元を緩める。
「……心配するな。」
低く、地の底から響くような声。
国豊の喉が、ごくりと鳴った。
牛車の踏み台に足をかけようとするが、足が思うように動かない。
「・・・困ったな・・・其方を取って食ったりはせぬ。」
その声に、国豊の胸はさらに強く震えた。
国豊はようやく、震える足を動かし、牛車の踏み台へと降りた。
若武者は、「相馬小次郎」と名乗った。
「坂東で生まれ育った。卿に世話になっている者だ。この屋敷にも出入りしている。
……いずれまた、相まみえることもあろう。」
その声音には微かな誇りが滲んでいた。
国豊は思わず問いかけた。
「……坂東の武士、なのですか。」
小次郎は一瞬だけ目を細めた。
「そうだ。」
短い、その一言に余計な飾りはない。ただ、それが己の在り方であると知っている者の静かな確信があった。
小次郎もまた、国豊を見ていた。
まだ幼い。華奢で、白い手。都の御曹司らしい柔らかさ。
だが、その瞳は怯えた色を映しながら、真っ直ぐ逸らさない。
小次郎の胸には、かすかな興味が灯った。
「ではな、藤の若君。」
小次郎は踵を返した。
牛の手綱を取り、北の車宿へと歩き出す。
白砂の庭に、浅葱色の巨大な影が遠ざかっていく。
やがて、家司に導かれ、国豊は西対の広い母屋の一角へと通された。
そこには、忠平卿が静かに座していた。国豊は思わず膝をつき、深く頭を下げた。だが次の瞬間、忠平は立ち上がり、歩み寄って国豊の肩に手を置いた。
「よく来た。今日からは、ここが若君の家だ。」
忠平はそう言うと、初めて国豊と出会ったあの日と同じように、その頭を撫でた。その掌の温かさは、幼い日の記憶と違わぬものだった。同時に、寂しさが、ゆっくりと溶けていくようでもあった。
「覚えておるか。あの日、宇治の風の音を真似て笛を吹いてみせたな。」
「……はい。忘れたことはございません。」
宇治の山の匂い、母の手の温もり、別れの日の涙、そして今日、都の薄桃色の光に包まれた道のり――すべてが胸の奥でひとつに溶け合っていく。
ここから始まる新しい日々が、どれほど大きな運命を呼び寄せることか、まだ幼い彼には知る由もなかった。




