第一章 静寂の中の邂逅 【4.門出の曙】
七歳の春、国豊は母・夕霧と別れ、童殿上として都へ上ることになる。夕霧は涙をこらえ、幼子の旅立ちを見送る。国豊は母の袖を離し、笛“水楓”を胸に抱きしめながら、決して振り返らずに牛車へ乗り込む。薄紅の山桜が散る中、母子の別れは静かで痛切な余韻を残し、国豊の人生は新たな段階へ踏み出す。
【4.門出の曙】(かどでのあけぼの)
国豊、七歳の春、宇治木幡荘の庭には、薄く霧が漂い、山桜の花びらが静かに散っていた。香を焚きしめた髪は長く、黒く艶やかに頬へと流れていた。女は、簾を上げて、薄紅梅の小袿の裾を控えめに引きずると、童子の前で膝を折り、その子の小袖の襟を整えながら、何度も指先を震わせた。女の目に涙が溢れそうになった。
だが、彼女は唇を噛み、涙をこぼすまいと必死に耐えた。この朝、夕霧は、愛しい者を手放す女の痛みを纏っていた。
夕霧――夕霧は、京で名を知られた遊女であった。儚く、美しく、触れれば消えてしまいそうなその名は、彼女の運命そのものを象徴しているかのようであった。
遊女は、各地を放浪しながら歌や舞を神前に奉納する聖なる巫女の集団を祖とする、と云われる。平安中期には、女性の長者に率いられ、主に京都と西国を結ぶ水上交通の要所を拠点として芸能の披露を生業とした集団に属したという。
当時の人々からは、高度な教養と熟達した芸を兼ね備えた神聖な存在とみられており、貴人が、旅の宿泊地や別荘などで催す宴などに呼ばれ、そこで一夜を共に過ごす縁が生まれ、貴人の愛人として囲われ、あるいは側室となることもあったという。
夕霧のその美貌と舞の所作には、誰もが息を呑むほどであった。
貴族の女房たちの麗しさとはどこか異なる、儚く、妖しい光を帯びた女性、夕霧は、幼い頃、「伊都」と呼ばれていた。常陸国・浮島の地に土着した物部一族の末裔、浮島太郎安広の娘である。
物部氏は、かつて朝廷の祭祀・軍事を担った大豪族であったが、蘇我氏との政争に敗れ、その後、歴史の影へと沈んでいった。浮島の物部氏も、かつての威勢を失っていたが、古代から伝わる祭祀や呪法と共に、その血と誇りは失われることはなかった。
とある酒宴の席で、当時、蔵人として殿上にいた藤原仲正は、初めて目にした夕霧に、その舞に、一瞬で心を奪われた。所作の端々に宿る古い家の気品、歌声に滲む神事の響き、目の奥にある、誇りと孤独・・・やがて二人は結ばれ、夕霧は子を身ごもった。
しかしそれは、嫡妻を迎えてもいない若い仲正が、遊女に求めたことではなかった。元服を迎えてまだ間もない仲正は、「庶子を京の屋敷には置けぬ」と、冷たく言った。
その母子に、突然、降って湧いたような慶事が舞い込んできた。国豊が、“童殿上” (わらわてんじょう)に選ばれたという。
童殿上は、皇族や高位の貴族の子弟の中でも選ばれた者だけが務めることができる。主上がおわします清涼殿に参上し、御身近くで雑事を手伝い、宮中の儀式の場にも立ち会うのだから、もちろん聡明でなければならない。童子の未来は約束されたようなものだ。
忠平は、自らがそうであったように、国豊にも同じ道を授けた。
しかし、夕霧の声は、春の霧のようにかすかに震えている。
「……もう、ここには戻れぬかもしれぬ」
国豊は、幼いながらも、その言葉の重さと苦さを理解していた。その小さな手は、母の袖を握りしめ、とうとう涙をこぼした。国豊は、そっと母の袖を離れ、振り返ることをしなかった。そして、胸に抱いた“水楓”をぎゅっと握りしめた。
やがて、忠平の屋敷から迎えの牛車が現れた。夕霧は、遠くから深く頭を下げた。
「この子を、どうか……どうか……」
薄紅の山桜は、春の風にほろほろと散り、母の肩先へ静かに降り積もっていった。
夕霧の背景、物部氏の血、彼女の誇りと孤独
――それらを織り込みながら、母子の別れを静かに積み上げた。ここから国豊の運命は大きく動き始める。
歴史の大河に飲み込まれる前の、最も人間的で、最も痛ましい瞬間。
桜の散る朝の静けさが、二人の痛みをより鮮烈に浮かび上がらせる。




