第20話 巫イチコ(4)
ミサキの危機に、思わず私は結界から飛び出して悪霊に自分の身体をさらけ出した。
「アンタが本当に食べたいのは私でしょ? こっちに来なさいよ」
本当はそんな確信なかったけど、私の中から出てきたってことは、私とこの悪霊の間には何か因縁があるのだろうと思った。
祖父が結界を張ってまで私を守っていたことからも、きっとこうすればあの悪霊の気を引けるはず。
その目論見は的中して、悪霊がこっちに近づいてきた。
それは良かったけど、ここからどうしよう……
悪霊が攻撃する瞬間にまた結界の中に逃げ込むか。
でもそれだとまたミサキが危険に晒されるだけだし、向こうで転がってる大和タケルが拝殿の結界を破ったせいで、この悪霊が外に出ちゃうかもしれない。
悪霊がもう目前に迫っている。
こっちの恐怖を煽るようにわざとゆっくりと歩いてくる。
ムカつくけど、正直物凄く怖い。
足がガクガクしている。
こんなこと、今まで生きてきて初めてだわ……
もはやここまで、と思った時、突然悪霊の姿が私の目の前から消えた。
次の瞬間、壁に何かが激しくぶつかる轟音。
何が起こったのか分からないけど、何故か目の前に大和タケルの姿があった。
馬鹿みたいに眼を大きく見開いて驚いた表情をしているけど、きっと私も似たような顔してるんでしょうね。
だけど本当に驚いたのはその後だった。
どうやら悪霊を吹っ飛ばしたのはベルのようだ。
だけどその姿はさっきまでとは明らかに違っていて、まさに悪魔そのものだった。
そのベルが悪霊に追撃を加えようとするも、あっさりと弾き返されてしまう。
目の前で繰り広げられる人外バトルに、私の思考が止まりそうになる。
「福本清三さん、俺に力を貸してくれ!」
ベルに止めを刺そうとする悪霊の前に、大和タケルが祖父の刀を構えて立ち塞がった。
この馬鹿!
アンタがどうにかできる相手なわけないでしょ!
っていうか、それ斬られる側の人だから!
「邪魔だ、雑魚が」
案の定、大和タケルはあっさりと薙ぎ払われた。
何回吹っ飛ばされれば気が済むのよアンタ……
ったく情けないわね!
少しは格好いいところ見せなさいよ!
「ちょっ……待ちなさい! アンタは私が――」
今度はベルを助けるために囮になろうとした。
でも次の瞬間、どーん、という爆音がして、私の足元の床に大きな穴が開く。
「黙って待っていろ。あの面汚しの後で望み通り喰ってやるわ」
何をされたのか分からないけど、うっすらと煙の立ち上る大穴を見て、これはもう人間の力でどうにかできるものではないと悟った。
人間じゃないベルですら敵わなかったんだし、これはもう本当に駄目かもしれない……
「う……痛って~」
気絶していたベルが目を覚ました。
でも悪霊はもうベルのすぐ目の前で大きく腕を振り上げている。
「ああ、もう! 世話が焼けますわねっ!」
床に伏したままのベルの頭上に悪霊の腕が勢いよく振り下ろされる。
その瞬間、ミカエラが悪霊とベルとの間に割り込んだ。
ベルの身代わりになってミカエラが悪霊の攻撃を受けるのかと思ったけど、悪霊の腕は見えない壁に阻まれるかのように空中で動きを止めた。
両者の間に閃光が走る。
「お前……なんで?」
ようやくベルが立ち上がる。
まだ足元は覚束なくふらついているが、ひとまず安心した。
「仕方ないでしょ。この邪悪な存在を放置しておくわけには参りませんわ。決して貴方のためではありませんわ!」
これが世に言うツンデレってやつかしら。
まぁ、それはいいとして……
ベルの黒い蝙蝠のような羽とは違い、白く輝く翼を背中に生やしたミカエラの姿は、まさに天使と呼ぶに相応しいほど神々しく輝いていた。
「ぐぅ……っ! その力……貴様、神の使いか!?」
悪霊の攻撃を受け止めた見えない壁が白い光を放ち、悪霊が後退りする。
これはもしかしてイケるんじゃない?
「不浄なるものよ! 神の裁きを受けなさい!」
ミカエラが右手を悪霊に向かってかざすと、光の粒子が集まって眼が眩むほどの強い光になる。
そして次の瞬間、一直線に放たれた光の帯が悪霊の身体を弾き飛ばした。
「はぁ……はぁ……まったく、わたくしまで禁忌を冒してしまったではありませんか」
後ろを振り返り、まだ信じられないといった表情をしているベルに文句を言う。
でもその顔はどこか笑っているようにも見えた。
改めて見ると、やっぱり不思議な光景よね。
天使と悪魔が協力し合って日本の悪霊を倒すなんて――
「ぐぅおおぉぉ……!!」
嘘!?
倒れてないじゃない!
そこはもう大人しく消えときなさいよ!
「そんな――っきゃあ!」
怒り狂った悪霊の攻撃がミカエラとベルに迫る。
慌てて両手を前に突き出したミカエラの寸前で再びその攻撃は阻まれ、目が眩むほどの強い光と爆音が響き渡った。
「くっ……! 駄目……これ以上抑えられない……っ!」
悪霊とミカエラを隔てていた空間が音を立ててひび割れていく。
このままじゃ2人がやられちゃう!
「うぅおりゃあぁぁ!!」
その時、大和タケルが悪霊の背中に刀を突き立てた。
アンタ、死んでなかったのね。
「ぐぅ……おおぉぉ……!」
背中に深々と刀を突き立てられ、悪霊が苦し気に唸った。
とりあえずよくやったわ、褒めてあげる。
「この……雑魚めがぁ……!!」
悪霊が振り返り、標的をミカエラ達から大和タケルに切り替えた。
高く振り上げられた腕が、大和タケルを叩き潰そうと唸りを上げて振り下ろされる。
今度こそ死んじゃうかも……!
「よくやったぞ、若いの! はあぁぁ!!」
悪霊の攻撃が大和タケルに届く寸前、それまで向こうの方でへばっていた祖父が飛び込んできて、気合と共に胸の前で印を結ぶ。
次の瞬間、悪霊の背中に刺さった刀から青白い閃光が迸り、まるで意志を持った電気みたいに悪霊の全身を駆け巡り始めた。
「ぬぅ……! こ、これしきのことで我がぁ……!!」
やがて青白い閃光はひとつの大きな光の塊となり、悪霊をすっぽりと包み込んだかと思うと、爆音と共に弾け飛んだ。
「す、凄い……わたくし達でさえ敵わなかった邪神を倒してしまうなんて……」
光の塊が弾け飛んだ後には、プスプスと燻っている黒い塊が残されていた。
ミカエラが信じられないといった表情でその塊を見下ろしている。
ってことは、これ……死んだのよね?
私達、助かったのよね?
「ほっほっほ。儂が本気を出せばこんなもんじゃわい。どうじゃ、お嬢さんがた? 儂に惚れたかの?」
何調子に乗ってるのよ、このジジイ……!
こんなことできるなら最初からやりなさいよね。
どれだけ私達が怖い思いしたと思ってるのよ!
「イッチャン!」
ああ、ミサキ。
アンタにも怖い思いさせちゃったわね。
っていうか、逃げろって言ったんだから逃げなさいよ。
アンタがいたって足手まといにしかならないってのに……
これはあれね。
やっぱり大和タケルにはもったいないわね。
まぁ、最後は少し役に立ったみたいだけど。
その時私は、それまで続いた極限の緊張から解き放たれた安堵感で、死んだと思った黒い塊がピクリと動いたことに気付かなかった。




