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いつも薄暗い部屋は、最近は珍しく明かりがつけられていた。
リビングのテーブルに広げられたのはミシンをはじめとする手芸道具に、ファー生地やリボン、そして小皿で赤黒い液体に浸された黒い糸だった。
完成間近と思われるクマのぬいぐるみが二体、無造作に床に転がっている。
室内に足を踏み入れたスーツ姿の男――連坊聡はこの部屋の主に声をかけた。
「澄、爺さんがクマをもっと寄越せってよ」
「い、いま作ってる、よ。ぜ、全部手作りなんだから、すぐは、む、無理だって」
澄と呼ばれた男は聡の方を見ることもなく、三体目のクマにチクチクと針を通しているところだった。
立ち上がれば長身であろう男は、くたびれたスウェットの上下を身にまとい、床に胡座で座り背を丸めて手元の作業に勤しんでいる。
襟足の髪を一つに縛り、長い前髪を頭頂部にクリップで止め、すっかり顕になった澄の顔には色濃い疲労が浮かんでいた。
聡はおもむろにリビングに入ると、テーブルの上に栄養ドリンクを一本置いた。十本入りの箱で買った残りは、先に冷蔵庫に収められている。
ちらりとテーブルの小皿に視線をやり、聡はふんと鼻を鳴らした。
「ところで、なんでクマなわけ? お前の趣味?」
「く、クマなのは、特に意味は、な、ないよ。大事なのは、か、形だし」
縫う手を止めず澄が答える。
クマである以外に特徴と言えば、クマが持つ二本の旗だろう。
「か、形が、咒なんだ。は、旗が文字の口、ふ、二つにあたる呪言部分。で、ぬ、ぬいぐるみの脚が文字の几の部分。こ、言葉を支える土台」
「ほぉ」
ちくちくちくちく。
話しながらも器用に針を動かして、澄はクマの目にあたる部分に黒い糸を縫い付けていく。
「あ、あとはこの目が、咒の結果を教えてくれる、んだけど、さすがにこの呪具では、つ、使わないかな」
「使わないのに仕込むのか?」
「そ、そりゃまぁ、半端なものは、だ、出したくないし」
「変なところでこだわるね。ひきこもりの呪殺師サマは」
聡の言葉にぴくりと反応して、澄はクマと針をテーブルに置いた。この幼なじみがあえて澄を呪殺師と呼ぶ時は、大概が仕事を持ってきた時である。
仕事か、と目で問いかけると、聡は肩を竦めただけだった。
「完成品があるなら持ってこうかと思ったけど、仕上げがまだじゃあ仕方ないな」
「し、仕方ないって、なにが?」
「明日次の依頼人の所に行ってくる。依頼内容を聞きつつ探りと下見。だから悪いけど、そっちのクマは完成次第自分で納品してくれ」
「は? む、無理だよ、無理。オレが一人であそこ、まで行くとか、無理に決まってる。世の中、こんな物騒、なのに」
「物騒ねぇ……。最近は何かあったか?」
「ち、近くのコンビニで強盗が、あったらしいんだ」
「あぁ、タバコだけとって逃げたやつな。あれは捕まった」
近くと言っても隣の市で一週間前に起きた事件だった。淡々と強盗事件のその後を伝えたが、澄は引かない。
「さ、さっきも、サイレンが沢山鳴ってて」
「消防だろ? 結局誤報で帰ったみたいだぞ」
しかも場所はこのマンションからだいぶ離れたところだったはずだ。サイレンも遠くに聞こえた程度だろう。
こうなってくると、次に出してくるのは誰もが凶悪と判じる事件に違いない。最近のニュースを思い浮かべた聡は、あれか、とアタリをつけた。
「隣の県の殺人事件なら、被害者は女だろう。確かに犯人は捕まってないがお前は大丈夫、狙われない」
「そ、そんなの、わかんないじゃないか」
先手を取られその先を封じられ、澄は口を尖らせる。子供のようなその仕草に、聡は呆れを隠さずため息をついた。
「……お前、自分の見た目わかってるか? デカくて陰気な男を襲おうってやつはそういないと思うぞ。それに――、人の為になる仕事がしたいっつって『それ』作り始めたのはお前だろ? 仕事の成果を自分の目で確認して来い」
「う、うぅ……」
聡の言い分はいちいちもっともで、澄はそれ以上の反論を飲み込んだ。
二日後、完成したぬいぐるみを売り物の体に整えて、澄は渋々マンションを出た。
外出が何日ぶりかも思い出せないほど久しぶりで、不安しかない。自分を知る者などいるはずも無いのだけれど、ついきょろきょろと辺りを見回してしまう。
「や、やっぱり、もっと暗くなってからの方が……」
せめて、道行く人の視線が気にならなくなる頃に、と引き返そうとして、目的地の営業時間を思い出した。雑貨店の皮を被ったオカルトショップなのに、あの店は閉店時間が早いのだ。それも、店主が眠くなるからという理由で。
既に日は傾き、黄昏間近。
澄は一度深呼吸をすると、聡に登録してもらったタクシーアプリを起動した。




