第194話 三つの問題 春大会5
その言葉を聞いて、一瞬場が止まったように静まった。
次の瞬間、俺は急いで階段を下りていた。
背後で「おい、杉野!」と樫田が叫んだが、俺は聞いていなかった。
ホール内に戻って、椎名の姿を探す。
しかし、どこにも見当たらなかった。
なんだ? この嫌な感じは!?
俺の中で、強い不安が衝撃となって全身を襲った。
この市民会館は三階建てだ。けど、三階は今日立ち入り禁止になっているし、そもそも椎名は二階に上がっていないだろう。
一階のどこかにいるか? と思い必死に探すがどこにもいない。
トイレ? とも思ったが、俺の直感が違うと叫んでいる。それにそうなら、俺と夏村にそれぞれ違うことを言わないだろう。
もしかしたら風に当たっているのかもしれないと、俺は一度外に出る。
しかしというかやはりというか、椎名はいない。
「どこ行ったんだよ……」
そう呟くと同時に、俺は自分を責めた。
あの時の予感を信じるべきだった。
拳を強く握る。責めていても何も始まらない。
優先すべきことを見誤った。
それでも今俺が出来ることは何だ?
椎名のことも探さないとだが、田島との待ち合わせもある。
「杉野!」
名前を呼ばれて反射的に振り返ると、樫田と夏村がいた。
樫田は周囲を確認してから俺の方を向く。
「椎名は?」
「……いない」
「トイレの可能性は?」
「たぶん、ないと思う……」
「電話はしたか?」
「いや、まだだ」
「夏村」
「分かった」
夏村は樫田の言葉を聞くと、すぐにスマホを取り出す。
そうか、と自分の思考が狭くなっていたことに今更気づいた。
「ダメ、繋がらない」
「マズいな…………仕方ない。とりあえず、俺たちの方で探すから杉野は田島の方を頼む」
「いや、でも」
樫田はすぐに決断をするが、俺には迷いがあった。
本当にそれでいいのか? と心の奥で何が問いかけてくる。
そんな俺の心情を察したのか樫田が落ち着いた声で諭してくる。
「気持ちは察するに余りあるが、今は時間がないんだ。とにかく田島の方を頼む。その間に見つけておくから」
樫田の言っていることは正しかった。
俺が田島と話している間に、椎名を探してもらう。おそらくこれが今出来る最善の手だろう。
分かっている。分かってはいるんだ。
それでも俺は――。
「あ! 杉野たちいたぞ!」
近寄ってきたのは、大槻と山路そして増倉の三人だった。
血相を変えた様子に、すぐに何かあったのだろうと分かった。
樫田が三人に尋ねる。
「どうした?」
その質問に三人は一瞬顔を見合わせた後、増倉が代表して答えた。
「それが、池本がトイレから出てこないの」
「は?」
一瞬、何の冗談かと思ったが三人の深刻な表情に、すぐに本当のことだと理解した。
増倉はそのまま詳細に説明をし始めた。
「控室に移動した後、池本の顔色が悪そうだったから私が二階のトイレに案内したんだけど、何分経っても出てこなくて、心配だから見に行ったら泣き声が聞こえて、大丈夫? 一回出てきなって何回も言ったんだけど『すみません』としか答えなくて、とにかく立てこもっちゃって、たぶん陰松の劇見て、プレッシャー感じているんだと思う」
「今は?」
「轟先輩が対応しているけどー、たぶんダメー」
「とにかく三人とも一回来てくれ!」
大槻が急かすが、俺たちはその場に立ち尽くしていた。
その様子に三人は不思議そうだったが、すぐに増倉が気付いた。
「待って、香奈はどこ?」
「…………」
「そういえばー、田島もいないねー」
「……おい、なんかあったのか?」
黙る俺たちに、山路と大槻もその異変に気付いた。
俺と夏村がどう言ったものかと迷っていると樫田が三人に説明し始めた。
「実はな――」
三人は、田島の状況についてはすぐに理解したが、椎名のことについては驚いていた。特に増倉は表情を酷く歪ませて、激怒していた。
そして、樫田が簡潔に話し終える。
「じゃあ何、香奈は逃げたってこと?」
「栞」
「止めないで佐恵。そういうことでしょ?」
「事情は分からない。分かるのは行方不明ってことだけだ」
「……ふざけるな」
そう呟く増倉の怒りを誰も否定できない。
状況は最悪だった。
三つの問題が同時に起こった。
「時間がない」
重い雰囲気の中、樫田はそう言った。
確かに言う通りではあった。けどみんなの表情は暗かった。
その理由を俺もなんとなく察している。
きっと問題を解決できるのは――。
「っつってもさ樫田。これ、杉野以外に解決できるのか……?」
言葉にされて、俺の中の嫌な自覚が現実のものになった。
そう、この三つの問題。それぞれ俺以外に解決できるのか。
自惚れだったら、どれほど良かっただろうか。
「厳しいだろうな」
「なら――」
「ああ、だから杉野に聞く。まず、お前はどうしたい?」
みんなが俺の方を向く。
その意味を俺は理解していた。
言われて、視線を落として俺はそれぞれのことを考える。
椎名、田島、池本。
ともに全国を目指すと誓った椎名とは、役者としてではなく、俺自身の言葉でちゃんと話し合わないといけない。
変化があったら本気を出すと約束した田島とは、高校演劇がどういうものか、ちゃんと向き合わないといけない。
初舞台でみんなが心配していた池本とは、そもそも演劇の楽しさとは何かを、ちゃんと学び合わないといけない。
本来なら、きっとこれら全て俺がしないといけないことだ。
でも、それはきっと叶わない。
どうする。どうする! どうする!?
言葉が出なかった。何かを選ぶということが、何かを切り捨てるということに感じてならなかった。
ちくしょう。こんな時でも、俺は覚悟を決めらないのかよ!
「杉野」
必死に考えていると、増倉に名前を呼ばれた。
胸が高鳴った。きっと急かされているのだと思って、俺は顔を上げた。
そこには心配そうに俺を見てくる友たちがいた。
「決められない?」
夏村が優しく聞いてくる。
俺が小さく頷くと、増倉が意を決したように言った。
「杉野。なら、私たちを頼ってよ」
その言葉がすとん、と胸の中に落ちた。
そして、優しい何かが体中に広がっていった。
増倉は真っ直ぐに俺を見て続ける。
「きっと杉野なら全部解決できると思う。でも、今は時間ないし、選ばないといけない。だから私たちを頼って。杉野が何を選んでも、残りは私たちが何とかするからさ」
「いい、のか……?」
「当たり前じゃん。私たち演劇部の仲間なんだし」
俺は自分を恥じた。
なんで気づかなったんだろう。なんで思いつかなかったんだろう。
仲間がいるって。頼っていいんだって。
「だな。さっきはああ言ったけどさ。俺らも田島や池本の先輩なんだし」
「だねー。全部杉野やってもらうわけにはいかないもんねー」
こんな状況なのに、大槻や山路が笑って言う。
さっきまでの焦燥感が、晴れていく。
視界が広くなったようだった。
落ち着きを取り戻すと、俺の中で自然と一つの答えが生まれた。
「……悪いみんな、俺さ。椎名を探したい。だから……だから田島と池本のこと、頼んでいいか?」
『もちろん』
声を揃えて、みんなが頷いた。




