第193話 圧倒と予感 春大会4
開会式が終わってなお、ホール内は静寂を保っていた。
誰かの、ほんの少しの喋り声が響く。
まるでここが特殊な、どこか神聖な場であると錯覚するほどだった。
予ベルが鳴った。
開演の五分前だというのに、緊張感はピークだった。
そりゃそうか。
ここにいる誰もが今日明日のために、この数ヶ月を費やしてきたんだ。
俺たちと同じように、もしくは俺たち以上に。
ふと、斜め左に座っている椎名の背中を見る。
樫田が示した道標と津田先輩が教えてくれた進み方。
たぶん、話し合うチャンスはもう少ないだろう。
陰松高校の劇が終わってから、準備を始める昼休みまでの間のどこかで二人きりになって真剣に話し合うしかない。
俺は一人でそんなことを考えていた。
そして、本ベルが鳴る。
――――――――――――――
一つの答えを観ているようだった。
その劇は始まって数分で完全に観客の心を掴んでいた。
見入った。魅了された。夢中になった。
どこかで、誰かの息を呑む音がした。
誰もそんなことを気にせずに、役者の熱量に当てられていた。
役者と観客の集中力が等しく、この場は完全に一体と化していた。
皆が目の前の物語に引き込まれ、役者の感情を真実として感じてしまう。
創られた全てがぶつかってくる。
覚悟はしていた。警戒もしていた。それに興味もあった。
県大会に行った高校の実力拝見だ、と驕っていた部分もあった。
それと同時に俺たちの劇の方が面白いだろ、と何の根拠もない自信もあった。
ぶつかってきたモノが、俺の全てを打ち砕く。
劇の中盤には、俺は何も考えずにただの観客になっていた。
そして、気づくと終わっていた。
幕が下り始めると、誰かが拍手する。
ワンテンポ遅れて俺も手を叩く。
ホール中に拍手の音が響き渡り、観客はみんな満足感を覚えていた。
だが、それは一瞬で霧散した。
次の劇のアナウンスが入ると、ホール内は一気に重い空気に包まれた。
理由は簡単だ。
ここにいる皆は、ライバルなのだ。
果たして、自分たちは今からあの劇と同じかそれ以上の劇を出来るだろうか、と誰もが自問自答しているのだろう。
俺自身もそう考えて世界が遠くなるようなプレッシャーを感じた。
「じゃあ、移動するか」
横に座っていた樫田が、何でもないかのようにそう言って立ち上がった。
不思議と俺の中で普通が戻る。
「ああ、行こうぜ」
俺も立ち上がり、笑って樫田に答えた。
周りの空気が少しだけ軽くなるのを感じた。
みんな徐々に移動の準備を始める。
一人二人と控室へと向かう中、椎名が一人座っているのが見えた。
俺は思わず、声をかけた。
「椎名?」
「杉野……ごめんなさい。少しだけ余韻に浸りたいの。一人にしてくれないかしら?」
閉まっている緞帳を見ながら、椎名は答えた。
彼女の目にはまだ劇が続いているかのようだった。
まるで絵画の一部を切り取ったような椎名の儚さを、俺は否定できなかった。
それに俺たちの番は昼休憩を挟むから、まだ時間はある。
「……分かった。カバン、先に持って行こうか?」
「ええ、お願いするわ」
「じゃあ、先行っているな」
俺は椎名からカバンを受け取ると、ホールの外へと出た。
去り際に、再度椎名の方を見る。彼女はただ黙って椅子に座っていた。
何故だか胸騒ぎがした。
このまま一人にしていけないような、そんな予感がする。
ホールの中へと戻ろうとしたときだった。
「杉野先輩」
呼ばれて振り返る。そこには田島が立っていた。
その表情にはどこか影があった。
俺はすぐに話があるんだと理解した。
「……どこかで、話すか」
「さすがですね……その通りです。ちょっと二人で話したいので時間もらっていいですか?」
「ああ、大丈夫だ。けど、その前に荷物だけ控室に置いてきていいか?」
俺は両手に持ったカバンをアピールした。
行き違いになっては椎名も困るだろうし。
「もちろんです。駐車場で待っています」
「おう、すぐ行くから。あ、なんなら田島のカバンも持って行こうか?」
「良いんですか?」
「ああ、構わんぞ」
「それなら、お言葉に甘えて」
俺は田島からカバンを貰う。そして急ぎ控室のある二階へと向かった。
階段を上ると、通路に樫田と夏村の背中が見えた。
何を突っ立っているんだと思って近づくと、桜井さんが樫田と向かい合うように立っていた。
近づく俺に気づいていないのか、話を続ける三人。
通れないというか、通りにくいというか。
「バラシいいのか?」
「うん。早く秀明の感想が知りたくて」
「いや、良くないだろ……」
「それでどうだった?」
桜井さんが真っ直ぐに樫田を見つめた。
背中しか見えないが、聞かれた樫田はどこか迷っているようだった。
それでも、言葉を選びながら答える。
「……圧倒されなかった、と言えば嘘になるだろう。緻密に計算された表現と役者の大胆さが良く出ていた劇だったと思う。だが脚本のクオリティの高さがある一方で、あれは役者全員が楽しんでいたのか?」
「……相変わらず痛いところを突くね。でも、抽象的に濁したのは横の彼女のため、それとも後ろに杉野君がいるから?」
「!」
桜井さんの言葉に、樫田と夏村が振り返る。
驚く二人だった。え、何? 俺いたらマズかった?
そんな顔でいると、夏村が聞いてきた。
「杉野、いつから?」
「え、ああ。バラシはいいのか? ってところから……」
「そう」
何故か安堵する夏村。
それが可笑しいのか、くすくすと笑う桜井さん。
「良かったね二人とも……じゃあ、僕はもう行くよ。またね秀明」
そう言って桜井さんは俺たちの横を通り抜けていった。
何だったんだ? あの人。
俺は残った二人に視線を送る。
樫田と夏村は、何事もなかったかのように話し出す。
「ったく。困ったやつだ……」
「杉野気配ない…………何でカバン三つ?」
「え、ああ。これ椎名と田島の分。ってそうだ! 俺急いでんだ! 悪いこのカバンを控室まで持ってってくれ!」
そう言って俺は三人分のカバンをその場に置いて、戻ろうとした。
すると、樫田が俺の名前を呼んだので、いったん止まって樫田の方を向く。
「待て杉野! どこ行く!? もうすぐ集合だぞ!」
「ちょっと田島と話してくる!」
「っ! そういうことか……じゃあ行ってこ――」
「待って」
樫田は俺の一言で納得したが、今度は夏村が俺に質問してきた。
「香奈はどうしたの?」
「ああ、椎名なら少し余韻に浸りたいって……」
「私、杉野と話があるから後で行くって聞いたけど」
「え?」




