真なる聖女
生きて戻れた聖なる庭は、かつての美しさを取り戻していた。
この姿を再び目に出来ることがどれほど喜ばしいか―――。
ヴォタニカリア王国の第一王子でありながら、グラジオは常に死を望まれていた。
きっかけは二十年前。現女王マーガレットの夫であった父が、先王の暗殺を企てたとして投獄された事に始まる。
当時十歳であったグラジオは、必死に父の無罪を主張したが、何者かに因って完璧に揃えられた証拠は断頭台から逃れる術を悉く奪い、とうとう母マーガレットからも失望された父は、絶望の底で命を絶たれた。
それから間もなく、当時の宰相の息子と再婚した母は弟となるローレンを身籠り、それが彼を更なる絶望へと突き落とした。
新たな世継ぎの誕生により彼が邪魔になった母と義父は、亡き父の血縁――反逆者の一端として彼を廃嫡し王位継承権を剥奪。その視界から消すように魔物が多く住まう西果ての辺境の砦へと追いやった。
辺境へと流される直前、彼は己の不幸を嘆いて聖樹に泣き縋り、その様を見ていた庭師ラウラセアの一人が聖樹の小枝を一つ餞別にと与えてくれた。
――その胸の憤怒を忘れず、とことん己を研鑽なさい。さすれば、いずれ戻れましょう。
小枝と共に貰ったその言葉を胸に、グラジオは砦の騎士見習いとして死に物狂いで剣と魔法の腕を磨き上げた。
幸いだったのは、そこに国一番の賢者と謳われた父の魔法の師で後の宮廷魔導師長カールス・アカンサスがいた事だった。
アカンサスは四面楚歌なグラジオの身の上を知った上で、密かに彼に魔法を教え、生き残る術を叩き込んだ。
全ては父の無念を晴らすため―――、我武者羅に魔物と戦い続け、気付けば詠唱無しで魔法を操れるようになったグラジオは、遂に父と同じ誉れ高き【賢者】の称号を獲得。そんな彼を母は認めざるを負えなくなった。
城を追われてから九年後の二十歳の時、グラジオは歴代最年少で近衛騎士団長の座に就任。
褒められた遣り方では無かったが、歯向かう者は鍛え上げた圧倒的魔術で捻じ伏せ、実力主義を徹底。去る者も少なくなかったが、そんな彼を認め慕い、付いて来る者も多かった。弟のローレンはその一人だった。
切磋琢磨し、国家の剣であることを誇りに鍛え抜かれた強者はいつしか国一番の守護者として民にも認められた。
しかし、それでも父の無実を証明するのは困難だった。
真犯人は分かっていた。
当時、父は宮廷の財務管理を担っており、浪費癖が否めない王妃エリカと度々衝突。伯父の先王にも彼女の散財を止めるよう進言していた。
伯父も年々嵩む王妃の服飾費に流石に苦言を呈し、新たな購入に際しては今あるドレスや装飾品を宮殿に勤める婦女子に下賜することを条件とした。
その時はエリカは渋々承諾したが、それから間もなくして、父は嫌疑をかけられ投獄された。
そのことからグラジオは、父を窮地に追い遣った証言記録を洗いざらい調べ直した。
結果、暗殺計画を証言した者は皆、不審な死を遂げ、死因はそれぞれであったが死の直前に全員が強い不安感や疲労感を覚えていた事が共通した。
賢者となり魔法を知り尽くした彼は、それが長期的な魅了魔法の副作用である事に気付いた。
しかし、それを立証するには証人は残されておらず、彼が城を追われた九年の間に物証も全て破棄されていた。
誰の仕業かなど考えるまでもなかった。
過去の証拠がないなら新たな証拠を見つけるしかない―――、その腹の底に煮え滾る憎しみを仕舞い込み、尻尾を掴むまではと息を潜めた。
聖女の皮を被った悪女が、その化けの皮を覗かせるまで―――、しかし、その機会は一向に訪れず、あろうことか己の生きる活力となった復讐の火を灯してくれたラウラセア一族までも断罪されてしまった。
更には父の仇である悪女は、己の復讐の刃など到底届かぬ北帝国へと逃げ遂せた。
失意の中、せめて彼らが愛した庭を守りたかった。
けれど、王子とは名ばかりで最早、戦うしか能の無い己では荒れ果てていく庭を見つめることしかできなかった。
最早、滅びるも宿命―――、隣国への遠征前、そう覚悟しながらの旅立ちだった。
「…美しいな」
暗闇の中、精霊蟲の光に包まれる聖樹を見上げ、グラジオは一人、目を細める。
帰還祝いにと弟から夕食を誘われたが、そこに母も同席すると言われて丁重に断った。
弟の魂胆は分かっていたし今更、母からの謝罪を受けた所でこの二十年の遺恨が消える訳もない。
何より―――、王宮にはもう己の居場所が無いことは分かり切っていた。
「…ん!美味しい…!美味しいです!」
「でしょ〜?」
そんな声にはたと振り返る。
清らかな流れの先、睡蓮浮かぶ池にひっそりと立つガゼボに灯るランタンの温かな光。
それに照らされ見えた二つの人影は、和気藹々とグラスを傾けていた。
「…三年後はアリスもウィスキー入りね!」
「お、お手柔らかに願います…」
そんな楽しげな会話が続く。
そっと歩み寄って見れば、最近召喚されたと言う聖女とその侍女に充てがわれた令嬢だった。
驚く事に彼女等の座るベンチには、子供のような姿の精霊エルフィエナが一緒にちょこんと座り、彼女達の飲むコーディアルに漬けられていた実を子リスのように齧っていた。
「ん?うぉっとぉ…!?こ、こんばんは!グラジオ殿下…!先程はどうも!ありがとうございました!」
彼の存在に気付き、珠希は吃驚仰天。ほろ酔い気分から一転、その場で飛び上がらんばかりに立ち上がり、苦笑いで会釈。
つい先程、女王へ一連の報告を済ませ、アリスと慰労会と称して先日のヤマモモのコーディアルで晩酌していた所だった。
あまりに重大な案件故、後は女王とローレン王子が引き継ぐことになったが、恐るべき事実に若干十七のアリスにはあまりにも身体疲労が強く、このまま下がらせるのが心配で気分転換にと付き合わせた次第である。
「あ、あのっ、アリスのはちゃんとお水割りですから…!け、決して未成年飲酒ではありませんので…!あ、あとこれはエル様が欲しそうにしていたので!精霊にあげても大丈夫と聞いたので…!てか、寧ろ喜ぶと伺ったので…!えと、それにヤマモモは唯の液糖漬けで!私が勝手にウィスキーぶち込っ…そ、注いで呑んでるだけですから…!」
年甲斐も無く壊れたゼンマイ玩具のようにワタワタと伝えながら、必死に他二名に非は無いと釈明を試みる。
そんな彼女にグラジオは唐突に吹き出し、肩を震わせた。
「…失礼っ…、別に責めはしませんよ。楽しげだったので様子を見に来ただけです」
込み上げる笑いを堪え、グラジオは眉を下げる。
何とも可愛らしい人だと思った。
「…お名前は藤崎珠希様とおっしゃいましたね?第二王子ローレンより、この庭を整えてくださったと伺いました。改めて感謝を」
気を取り直し、更に距離を詰めて手を差し伸べる。
珠希は握手かと思って何の気無しにその手を取った―――が、直後グラジオは跪き、連日の作業で荒れた指先にキスを落とした。
作業用手袋をしていても土や埃の汚れは避けられないし、気休めにハンドクリームは塗っていたけれど、三十路手前で治りもイマイチ。尚かつ日頃、鋏を握っている掌は肉刺を作っては潰しまくったせいで皮も厚く固くなっていた。
(しまった!こっちではこれが普通の挨拶だった!しかも手袋忘れた!)
やってしまったと焦りまくる彼女に、アリスは一足遅かったと持っていた手袋を仕舞い込む。
この国では、未婚女性は殿方から挨拶を受ける時は手袋をするのがマナーで、素手にキスを受けるのは【異性として貴方と親しくなりたい】と言う意思表示となる。
「ご、ごめんなさい、私ったら手袋を…!」
慌てて手を引っ込めて、火が吹き出しそうなくらいに赤面。
誤解する前にと言い訳を並べようとする珠希に、グラジオは不敵に微笑んだ。
「失礼…、まだこちらに来てから日が浅いのでしたね。気になさらないでください。私も少し誂いが過ぎました」
そんな返答に刹那、珠希はキョトン。
間もなく、所作を試されたのだと気付いて益々赤面した。
「…し、精進します…っ…」
穴があったら入りたいとは、まさにこの事。
恐縮する彼女に、丁度ヤマモモの実を食べ終わったエルフィエナは徐にその身を普段の乙女のような姿へと変え、翅を揺らして珠希を守るように竦む肩を抱きしめた。
『グラジオ、あまり珠希を虐めないでくれる?私の恩人よぉ?』
凛と響いた玲瓏な声に、珠希は吃驚。
てっきり人の言葉は解さないのかと思っていた。
「虐めてなどおりませんよ。興味本位に誂ってみたに過ぎません」
姿勢を正し、グラジオは意地悪に微笑む。
飄々とする彼にエルフィエナは、溜息混じりに肩を竦めた。
『イケズだこと…。言っておきますが、珠希は本物の聖女よ?今さっきも貴方の父ユーリの無実証明に一役買ってくれたのだから…』
その言葉に、彼は目の色を変えた。
「どう言う意味ですっ?」
『そのままよ。珠希はエリカの秘密に気付いたの。私もすっかり騙されたわ』
「秘密っ?」
「え、エル様!」
人差し指を口元に立て、珠希は慌てふためいた。
全ては確実に標的を仕留める為―――、その事はギリギリまで公には伏せる方向で纏っていた。
「他言はしません。どう言う事かご説明を」
躙り寄り、食い気味に訊ねる。
ズイッと迫った偉丈夫に珠希は堪らず目を泳がせた。
素朴に怖いが半分、ファッションモデル顔負けな男前な顔と鍛え抜かれた肢体にドキドキが半分。
これ以上は男性経験無しの無駄に初心な身には刺激が強過ぎると、両手を翳して制止を求めた。
「…じ、実を言うと先程、女王陛下に謁見の上、ロマーノのオルタンシア帝に密書を頼みまして…、その…、その内に大物が食いつくかと…。あ、アリスの名案でっ…」
内心、隣で戸惑うアリスに御免と謝りつつ、実際、計画発案は彼女なので事実として告白。
これ以上は言えないと口を噤んだ彼女に、グラジオは察したように踏み込んだ足を戻して引き下がった。
「成程…。失礼。熱くなってしまいました」
胸中の燻る炎を鎮めつつ淡々と謝罪し、更に一歩後ろへ。
そのままくるりと踵を返した。
「もう夜も更けましたので、今夜はこれで…、また日を改めて伺います」
端的に告げ、彼は振り返ることなくガゼボから立ち去った。
背後で戸惑うように別れの挨拶する声が聞こえたが応えられなかった。
カッカッと踵を鳴らし、足早に宮殿へと戻りながら、グラジオは珠希に触れた手を握り締める。
悪戯に取った彼女の手は、かつて失意の底にあった己に生きる糧を与えてくれた庭師と同じ、働き者の逞しい手であった。




