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ハッカ油


 気付けば季節はすっかり夏となった。

 しんどかった人力での刈り込みも終え、大凡の剪定も完了。

 芝が伸びたら適宜刈りつつ、聖園は殆どかつての姿を取り戻したと言えた。


「スイバ、ナズナ、これ終わったら休憩にしよう!」


 近頃、聖園の管理手伝いに入っている双子の兄妹に声を掛けつつ、敷物一杯に集めた手取り除草の草ゴミを担ぐ。

 彼等は昔の日本で言う丁稚と言うやつで、歳は十四だそう。

 聖園から程近い孤児院の出身で、以前はお小遣い目当てに礼拝堂の掃除手伝いに入っていたそうだ。

 ヒマラヤスギの仲間の剪定を始めた頃には農夫たちに混じってお手伝いに参戦してくれて、かつて聖園の管理をしていたラウラセアの仕事風景も見ていたらしく、その事から珠希の部下【聖園専属管理者見習い】として推薦。

 珠希と同じく宮殿の一角に住み込みで聖園の庭師として働いている。


「珠希様、これはこう?」


「んー、そうだな。この枝を残すなら下の枝が平行枝になるから、ここよりもこっちから切っちゃった方が良いね。あと、この小枝も逆さ枝になるから…」


 休憩時間、時期とスケジュールの関係から来秋に切る予定の落葉樹の枝を観察しながら、珠希はスイバとナズナに枝の切り方を教えていく。


 樹木の切り方は往々にして【忌み枝】の除去と【ミツを切る】のが原則だ。

 忌み枝とは樹木の枝の伸びに対して逆行、交差、平行、直立など樹形を乱す枝のことで、基本的に切り取ることが推奨される。蘖(ひこばえ)(根本から生える不定枝)や胴吹き(幹から出る不定枝)、徒長枝(葉の展開規則を無視して異常に長く伸びる枝)もこれに該当する。

 そこから更に混み合う枝を間引くのだが、複数の枝が出ている起点からより良い枝を選別して二、三本を残して適度な間隔を持たせて切っていく事を【ミツを切る】と言う。

 これを樹冠の上から下へと進めていく(ただし切り方は職人のやり方に因って異なる)が、この時、萌芽力が基本的に強い上側は強めに、弱い下側は緑を濃いめに残して切る。そうすることで剪定後のバランスが保たれ安く、見目も美しい。


「珠希様〜!」


 響いた元気な声に振り返れば、ピクニックバケットを手にしたアリスの姿。

 待っていましたと歩み寄り、一緒に四人でお茶とおやつのジャムパンに舌鼓を打った。

 こちらの世界に来てから、かれこれ二ヶ月―――。

 元より聖女様と呼ばれる事にどうしょうもなく違和感があって、そろそろ名前で呼んで欲しいと頼んだ所、若手はあっさり承諾。

 立場上、ローレン王子や女王等からはフジサキ女史と敬称が尚も付くが一歩前進である。


「ねえ、珠希様。ずっと聞こうと思ってたんだけど…、何で珠希様は俺達に技を教えてくれるの?庭師の技術は庭師の子供にだけ伝えられるって大人達は言ってるよ?」


 おやつのジャムパンを頬張りながら、スイバはふと小首を傾げる。

 珠希はティーカップを傾けながら、そんな彼に優しい笑みを零した。


「私のいた世界では、植木の剪定や庭造りの技術は一子相伝ではないの。興味を持った人が誰でも学べて出来る仕事で、私もそうして飛び込んだ一人。造園学っていう学問にもなってるのよ?」


 そんな身の上に一同は、へえ〜と驚きの様子。

 珠希自身、元の世界では平凡なサラリーマン家庭の娘だったし、母由来のガーデニングに興味を持って進んだ高校でその魅力に取り憑かれなければ、知りもしなかった世界だった。

 石組みや流れ、築山の造り方などを記した【作庭記】――日本最古とされる庭造りの書物然り、貴重な技術を書物にまとめて開示してくれた先人達には感謝しかない。


『あらあら、珠希はピクニックが好きね〜』


 そんな声を携え、ふわりと甘い香りが抱きつく。

 毎日のように聖園へと顔を出す所為か、すっかり珠希に懐いた精霊エルフィエナは、こうしてスキンシップを取って来ては、ちゃっかりおやつを取っていく。

 初めの内は魂消ていたアリスもスイバもナズナも、今では見慣れたらしく驚きもしないし、何ならエルフィエナの為にちゃんと珠希の隣に席を用意している。

 ヴォタニカリアでは神と崇められる存在だが、こうしていると英国圏に伝わるブラウニーやシルキーと言った妖精に近い気がしてならない。


『それにしても今年は虫が少ないわね〜?珠希、何かした?』


「あー、多分、草やら枝を刈りまくった所為かも…、今まで虫の天国だったのに住処や餌を刈り取っちゃったから…。それと…」


 いつも通りにお喋りしつつ、珠希は徐に傍らの道具バッグを漁って年季の入った小瓶を取り出した。


『これは?』


 興味津々のエルフィエナに、同じく他一同何だろうかと覗き込む。

 彼等には異世界の言葉で、ラベルの文字は読めないが薬のようにも見えた。

 蓋を開けてみれば、スーッと冷えるような爽やかな香りがする。


「ハッカ油って言ってね。ミントの仲間から作られた香油。手拭いとかタオルに掛けておくとスッとするから暑さ対策に使っていたの。去年の夏に使ったままうっかり道具バッグに入れっぱなしにしちゃって…。使用期限も切れちゃったから、虫除けがてら水に薄めてあちこち撒いてたの」


「…成程。だから最近、あちこちから爽やかな香りが…」


 ぼそっとアリスから零れた一言にギクリ。

 スイバとナズナも気付いていたらしく同意するようにコクコクと頷いている。

 これは大変、失礼した。バレていた模様である。

 聖園には雑草に紛れてハーブ等の有用植物も多く生えており、その香りに誤魔化したつもりであった。

 ちなみに除草中に気付いたものに関しては極力残したので、いずれはハーブ園や花壇も形に出来るだろう。


「ぶっちゃけ、ここにもミント生えてるから蒸留させて作りたくもあるんだけどね…、機材がなくて…」


 殆ど空になった小瓶を振りつつ、そう呟いた珠希は肩を竦めた。

 すると、小瓶の匂いを嗅いでいたスイバとナズナは目を丸くした。


「珠希様、これなら売ってるよ?ミンテオールって名前で修道院にいた頃に作って商店に卸したから」


「他にもゼラニームとかラベンドのお花のも作ったよ?」


 そう答えた兄妹に、珠希は驚きのあまり沈黙。

 間もなく痛恨とばかりに額を押さえて天を仰いだ。


「そうか…!ウィスキーがあるなら蒸留機があるって事だし、香油も出来んじゃん…!てかアルコール消毒液も…!」


 これは盲点。異世界と言う考えが強すぎた。

 こちらの世界の文化水準は元いた世界で言えば、十四〜十六世紀頃。故に、元いた世界にあったものは、ほぼ無いと思い込んでいた――、否、元の世界でもその時代なら蒸留技術もある筈である。

 こちらに来てからずっと聖園と宮殿を行き来する毎日で、上げ膳据え膳の状態だった為に色々と考えが欠落していた。


「あの、珠希様…」


 改まったようにアリスは声を掛け、何やらモジモジ。

 どうしたのかと思うや、その隣でスイバとナズナも思い出したように目を輝かせた。


「あの…、そろそろ夏至祭ですし、街に出かけてみませんか?スイバとナズナも一緒に…、ご案内致しますので…」


 その提案に兄妹も賛成とばかりに頷く。

 どうやら、裏で連れ出し作戦が計画されていたらしい―――。

 これまで暗黙の了解として聖園以外には出歩いて来なかった身である。


「…皆で行くか!よし、行こう!」


 思い立ったが吉日。

 早速、珠希は外出許可を頂くべくローレン王子等の元へと向かった。


「外出許可…ですか」


 仕事の片付けを終えて早々、訊ねた君主の書斎にて、難色を示す女王に珠希達は不味ったと後悔。

 丁度ローレン王子も居合わせたが、その他にグラジオ王子を含めた各騎士団長や外交官、その他国家の重鎮が揃っていた。


「あ、あの…、単なる希望ですので検討は後ほどでも…、皆様、お忙しいようですし…」


 断りを入れつつ、集まる視線に顔が引き攣る。

 ちょっと話がしたいと軽い気持ちで訪ねてしまったが、こんな仰々しい場面に横槍を入れてしまうくらいなら待たせてくれても良かったものだ。

 場違い過ぎて心が痛い。


「…そうね。そろそろ夏至祭ですし、街に慣れておくのも必要でしょう。唯、若い子だけで行かせるのは危ないから護衛を就けさせて頂戴」


 縮こまる珠希に対して、女王はしれっと書斎机から紙を取り出し、さらさらと一筆を認める。

 それを傍らの侍従に渡し、侍従は手続きするべく足早にその場を退出した。


「グラジオ団長、この後の予定は?」


「一時より全騎士団合同の新人訓練の視察を予定しております。個人としては二時からは調整可能です」


「あら、今日だったの?」


「はい。ランサス副長との見取り稽古も本日です」


 何やら話し込む君主とグラジオに珠希はソワソワ。

 すると女王はニッコリと微笑んだ。


「この際ですから、我が国の聖(・)女(・)の(・)お(・)役(・)目(・)もご経験されてください。微笑んで手を振っていれば良いだけですから…!」


 半ば強制的な通達に珠希は困惑。

 何やら生暖かな不穏な空気に胸騒ぎがした。

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