北帝国からの使者
よく晴れたその日、またも聖園の片隅にメイド達の人だかりができていた。
今度は腕自慢の男も参加し、皆、スコップや長柄のブラシを手に集合。
女性陣はエプロンドレスからズボンスタイルに、男も裾と袖をたくし上げ、池や水路、水景をお掃除である。
「そーれっ!」
水路よりバケツ一杯の汚泥を引き上げ、珠希は野太い声を漏らす。
元の世界でも池や滝の清掃をしたことがあるが、高圧洗浄機の無いここでは全てが人力。
挙げ句、長らく放置された底は枯れ葉の蓄積でドロドロ。実生の木まで生え出す始末だ。
「池の方はこのくらいで。あまりやると睡蓮を弱らせます。壇上滝の方どうですか〜?」
一頻りの掻い掘りを済ませ、全体の進捗を確認。
皆、手際が良く、思いの外早く仕事が進んだ。
「オッケーで〜す!」
そんな返答に手を振って答え、堰き止めていた水源の井戸へ。
井戸には滾々と清水が湧いており、井戸の側面に設けられた止水板を外せば途端に水路を介して水景に水を満たし、睡蓮の池へと流れ込んだ。
季節柄どうしても苔や藻は生えるし今後も掃除は定期的に行う必要があるが、一先ず今日のところの仕事は完了である。
「さてと…、それじゃ、道具の片付け初めますか…」
中腰続きで重くなった腰を反らせ、珠希は溜息。
季節はすっかり夏となり、進めてきた剪定作業も残すは中低木や刈り込み物ばかり。
段々と終わりが見えてきた。
「失礼致します!聖女様!」
挨拶も適当に、侍女のアリスが慌てふためいた様子で駆け付ける。
何かトラブルかと緊張を滲ませた。
「聖女様っ、北帝国から使者がお見えです!急ぎお支度を…!」
その知らせに絶句したのは言うまでもない。
只今、頭から足先まで泥んこ状態。
悲鳴状態で今行きまぁす!と叫びながら、頭の手拭いを引っ手繰り、顔から腕から拭きながら全力で私室へと駆け戻った。
*****
この世界の魔法という力は、実に便利なものだと痛感した。
部屋に戻って早々、バスルームで身ぐるみ剥がして準備されていた盥に汚れた服を投げ込んで間もなく、アリスの水の魔法で髪から足先まで一瞬で洗浄。更に風の魔法で髪を乾かし、ヘアセットに着替え、化粧を終えるまでに要した時間は僅か十五分。
魔法そのものにも感動だが、若くも有能なアリスには心底、感謝である。
「突然の訪問に関わらず、面会をお許し頂き、感謝御礼申し上げます。早速ですが、こちらがオルタンシア皇帝からの親書です」
呼び出しから僅か、四十分。
どうにか身支度を済ませた珠希を待っていたのは、この世界の四大国の一つ、北東のロマーノ帝国の女帝オルタンシアの勅使であった。
その場にはマーガレット女王とローレン王子も立会い、場は物々しい空気に包まれていた。
「拝見します」
断りの一言を添え、女王は差し出された書簡に目を通す。
文面に連なるこの国とは異なる言語に、読むことができず戸惑う珠希であったが、隣のローレン王子がそっと内容を説明してくれた。
曰く、北帝国の聖樹に異変が起こり、精霊ロザリアンヌの具合が芳しくないのだという。
「詰まる所、我が国の聖女の力を借りたいと?」
「はい。無論その謝礼は弾むとの伝令であります」
その返答にマーガレット女王は一つ溜息。
そこから漂う唯ならぬ空気に珠希は戸惑い、何も言えずに沈黙。
固唾を呑んで見守る側で、女王は毅然とした回答を述べた。
「…なれば、これまでの我が国を含めた西帝国諸国に対する挑発行為を謝罪の上、ユグドラシルの国境にて発生中の魔物の集団暴走を鎮圧して頂けますか?」
怒気を孕んだ提案に、勅使は僅かに顔を強張らせた。
前述の宗教上の対立――聖樹教とロザリア教の確執から、ロマーノ帝国とキトリア帝国は長年、小競り合いを繰り返している。
ヴォタニカリアもまたキトリアの属国として、兵の戦地派遣や食糧を主とする物資の提供など、何かと援助要請を受けている状態だ。
加えて、ロマーノと国境を面する隣国のユグドラシルでは現在、ロマーノ側がけしかけた魔物の集団暴走により死傷者も出る甚大な被害を受けている始末。前線では事態鎮圧のため、已む無くヴォタニカリアからも第一王子率いる魔導騎士団が派遣されているのだと言う。
「………、そう仰ると考えておりました…」
僅かに目を伏せた勅使は、切り札とばかりに懐に仕舞い込んでいた仰々しい封蝋付きの手紙を差し出す。
無言でそれを受け取った女王は手早く封をを開け、その内容に目を通した。
「…成程。魔物討伐に加えて、オルタンシア陛下は謝罪の代わりとして前王妃の返還すると?」
何処か呆れ返ったようなその言葉に、ローレン王子は耳を疑ったように母と勅使へと交互に目を向ける。
傍らの珠希はそんな様子にどうしたのかと困惑。
前王妃と言うと、聖樹教の口車に乗せられた先王に娶られた異世界からの聖女であるが―――。
「冗談じゃない…!あんな阿婆擦れなど返された所で迷惑です!」
手紙をテーブルに叩きつけ、マーガレット女王は憤怒の声を唸らせる。
怒り心頭の君主に、ローレン王子も静かに怒りを滾らせ、事情を知らぬ珠希はオロオロするばかり。
女王は続け様に話にならないと言い捨て、交渉は決裂。瞬く間に、勅使は取り付く島もなく追い返された。
*****
勅使が返されて間もなく、眉間の皺に手を当てがい、女王は疲れたとばかりにソファに凭れ掛かり天井を仰いだ。
珠希は返事にも相槌にも困った。
前王妃―――、以前に召喚されたという聖女エリカの名が出た途端、空気が張り詰めた点から、その御仁と何かしら蟠りがある様子だ。
戸惑いを隠せない彼女に、ローレン王子は一瞬の躊躇いを見せた後、重い口を開いた。
「…伯母上は…聖女エリカは今や、我が国を捨てた悪女として忌み嫌われているのです」
告げられた言葉に珠希は耳を疑った。
続けて、王子は重苦しい胸の内を明かしてくれた。
以前にも聞いてはいたが聖女は元来、召喚された土地に根付く宗教団体――ヴォタニカリア他キトリア帝国に属する諸国では、聖樹教がその身柄を預かることが通例となっている。
ところが異世界から来たエリカは贅沢を控え、規律の厳しい聖樹教会での生活を嫌った。
教会側も散財癖に癇癪も激しい彼女を持て余し、同時に政治干渉の機会を伺っていた。
そこで教会は先王グロリオスに彼女を娶らせ、厄介払い。多少なりとも贅沢の出来る王室での暮らしにエリカも満足し、暫くは癇癪も鳴りを潜めた。
それが八年前―――、長年患っていた病により、先王グロリオスが崩御した折のことである。
夫を亡くしたエリカには世継ぎもおらず、本来であれば慣例に倣って聖樹教の修道院に入る筈だった。
しかし、彼女は修道院行きを断固拒否。挙げ句、エリカは異世界転移に伴う強化能力として魅了魔法を有しており、それを使って先王の葬儀に来ていたオルタンシア帝の叔父であるアザレオ皇帝を懐柔。キトリア皇帝ガザーニアの赦しも無しに無断でロマーノに渡航した。
その上、アザレオ帝を後ろ盾に瞬く間にロマーノの聖女として君臨し、今年の初春、アザレオ帝が急逝してオルタンシア帝が帝位に就くまでロマーノは彼女に牛耳られていたのだと言う。
「と、とんでもない悪女…」
打ち震える珠希に、口直しの紅茶を淹れるアリスは苦笑い。
甘口が良いだろうとお砂糖多めのミルクティーを用意してくれた。
「オルタンシア帝にしてみれば、この際にエリカを厄介払いしたかったのでしょう…。ロマーノは精霊ロザリアンヌの魔力の影響により聖女召喚が難しい土地と言われています。正直、我が国としてはエリカがロマーノに行ってくれたことは好都合でしたが…」
憎々しげにそうボヤく女王の目の鋭さは、珠希を震え上がらせるに十分だった。
「よ、よく、私、風評被害、受けなかったですね…」
すっかり縮こまる彼女に女王はにっこり。
声を直してくれたお礼だとは言われたものの、その微笑みで相当な根回しをしてもらった事を悟った。
これは敵に回してはいけない。
「一先ずガザーニア陛下に報告せねば。エリカの神聖力でも治せぬとなると、ロマーノの聖樹は寿命を迎えたか、もしくはエリカ自身の力が衰えたのか…。どちらにせよ、ロマーノは追い詰められているわ。今が進軍の好機でしょう。ローレン、全騎士団への通達を」
気を取り直し、立ち上がった女王は君主の顔で告げ、命を受けたローレン王子は胸に手を当てながら厳かに頭を垂れる。
進軍というキナ臭い単語に珠希は目を見開いた。
「進軍…?」
堪らずそう呟いた彼女を女王は一瞥。
毅然とした眼差しは冷たかった。
「ユグドラシルの前線には我が国の第一王子もいるのです。この好機に決着を付けねばなりません。例え新たな犠牲が増えようと、これで戦が終わるならば安いものです」
吐き捨てるように告げ、マーガレット女王は、目を瞑れとばかりに珠希の肩を叩く。
残酷なれど去りゆく君主の背は何処か悲しみを湛えていた。
*****
翌日、思わぬ進展があった。
マーガレット女王の要望に応えるように、隣国ユグドラシルにて発生していた魔物が一掃されたとの情報が国の密偵から齎されたのである。
「きっとエリカだわ…。彼女の神聖力は健在のようね…」
国王執務室にてローレン王子の持って寄越した報告書を前に、マーガレット女王は深い溜息を零した。
その手元には書きかけのガザーニア帝への密書があった。内容は勿論、昨日の勅使からの情報とそれに伴うヴォタニカリアの進軍準備体制に関する物だ。
出す前で良かったものの、ロマーノの裏を掻くつもりがすっかり出し抜かれてしまった。
「母上、昨日の勅使の件は…」
「一先ず、ガザーニア陛下には勅使来訪とこちらの要求した内容だけを伝えましょう。分かっていると思うけど進軍の事は…」
言葉を続けつつ、書きかけの密書を破り捨て、女王は新たな紙を手に取る。
「承知しております。念の為、聖女様においても釘を差しておきましょうか?」
書斎机に転がるゴミ箱となった密書を手に取り、王子は進言。
「そうね…、彼女には酷なことをするわ。我々の面倒事に巻き込んでしまった…」
ペンを持つ拳を額に宛てがい後悔を漏らす母の傍ら、ローレン王子は密書だった紙ゴミを暖炉に放って魔法で消し炭に。灰となった事を確認し、彼は母を振り返った。
「…陛下、お言葉ながら今更です。元より我々は聖女様を抱き込む算段でした。この程度の…」
迷いを断ち切らせるように毅然と言葉を続けようとする王子だったが、女王は手を翳して言葉を制した。
息子の言い分は尤もだった。解ってはいたが―――、漣のように揺れる心に後ろ髪を引かれ、聖園を望む背後の窓を振り返った。
すっかり綺麗になった聖樹の傍ら、日に日に強まる陽射し避けにヘルメットの下にホッカムリをした珠希の姿があった。
大きな鎌を手に農夫から使い方を習い、せっせと草刈りをする様子は健気ですらあった。
「せめて彼女がエリカのような悪女であれば…、こんな胸を痛めることもなかったのに…」
そんな後悔を吐露し、女王は溜息混じりに書きかけの書面へと向き合った。




