重ね合う想い
酷い熱に魘されること二日。皆の懸命な看病のお陰で歩ける程度に回復した珠希は、馬車代わりの船に荷物を積み込んだ。
この船は倒れたナツメヤシの聖樹から削り出したものだ。足元の悪い沙漠を進むには、車輪では砂に嵌ってしまうので、船を砂の上に滑らせる作戦に出た。ついでに船底に風魔法を付けたので、ホバークラフトさながらである。
「あの、グラジオ様…」
積み荷の準備が完了し、いよいよ出立の時。船を牽引するダンテに跨った彼に、珠希は声を掛けた。
「どうしました?まだ傷が痛みますか…?」
軽やかな足取りでダンテから降りたグラジオは珠希に駆け寄り、手を取ってエスコート。
心配そうに見つめる熱を帯びた視線に、思わず目を泳がせた。
正直、治りかけの傷よりもドキドキする心臓の方が苦しい。
「いえ、それは大丈夫です。唯、一つお願いが…ありましてっ…」
口籠りながら彼女はもじもじ。年甲斐もなく少女のように赤らめた頬を防塵の為に巻いたスカーフで隠した。
「…何でしょう?」
態と顔を寄せ、グラジオは耳元で囁き訊ねる。
端から見ればチークキスをしているように見えるのだろう。
続々と出発していく人々がキャッキャ、クスクスと笑いながら過ぎていく。
「えっと、あのっ…、皆さんが出た所で結界を張って頂けませんか?中庭だけで十分なので…」
思い切って要望を告げた。
案の定、彼は小首を傾げた。
「構いませんが…?しかし、もう彼等がここに戻ることは…」
言いたいことは分かっていた。
精霊が死に、聖樹も枯れた。土地は痩せ、遅かれ早かれ砂漠に呑まれる。もうこの要塞に人が戻ることは無いだろう。
―――それでも。
「簡単なバリケードで良いんです。ほら、以前、部下の皆さんが作ってた蔦壁のみたいな…。ここが完全な廃墟となると今後、良からぬ事を考える人もいます。だから…」
何処か必死な付け足しに、グラジオは彼女の考えを理解した。
「それならば良い手があります」
そう告げ、彼はダンテに括りつけていた白薔薇を取るや、珠希をひょいと容易く抱き上げた。
「あれ?団長どうしたんです?」
殿として最後に要塞を出ようとしていた一騎とシャスタは、引き戻る二人にきょとんとした。
「少し用が出来た。先に行きなさい」
そう簡単に告げ、グラジオは眉を下げる。
すると、一騎は何か察したようにハッとして途端にニヤニヤ。
跨るポポの手綱をしかと握り、気取って敬礼した。
「どうぞ、ごゆっくり!先発隊には上手く言っておきま〜す!」
そんな返事にグラジオの腕の中で茹で上がっていた珠希は、とんでもない勘違いをされている事に気付き、更に赤くなって慌てふためいた。
「ち、違うから!!ここに結界張ってもらうだけだから!!」
声を張り上げて弁明するも一騎は、はいは〜い!とおふざけの生返事。隣のシャスタも窘めずに気不味そうにするばかり。
きっちり釘刺しをしたかったが、若い背中はあっと言う間に遠く彼方へ消え、良からぬ誤解をどうする事も出来ず只々途方に暮れるしかなかった。
「…すみません、火消しは全力でします。あと一騎君に関しては後できっちり締め上げときます」
要塞内部に戻る中、珠希は険しい顔で告げた。
交際を始めているのは事実だし、ここの関係は周知の沙汰であるが、とは言え、彼はヴォタニカリアの騎士団長で王子様に違いない。
魔王化の脅威も去り、あとは無事に帰還を果たせば彼は清廉潔白な英雄となり、これまでのレッテルを払拭できる。だから、凱旋するまでは余計な醜聞は避けたい所。真っ当な手順と正式な手続きを踏むまではプラトニックを通したい。
「私は構いませんよ?」
視線だけ向けながら、グラジオは不敵に微笑む。
明らかな誂いに、珠希はムッとした。
「私の気が済まないんです。そもそも今の交際関係だって、元は一騎君に授けられた天啓に従ったようなものですし、今後の交際については女王陛下がお認めになるかどうか…。グラジオ様は仮にも王子なんですから、ヴォタニカリアに戻ったら貴族令嬢とのもっと相応しい縁談があるかも知れませんよ?私にも聖女の肩書がある訳で…」
溜息混じりにそんな御託を並べた瞬間だった。
不意に足を止め、やや乱暴に近場の腰掛へと珠希を下ろしたグラジオは、それ以上の発言を阻むように彼女を背後の壁へと押し付け、強引にその唇を奪った。
正直、驚いた。
情熱的で男らしい一面は知っていたつもりだが、こんな獰猛さをひた隠していたとは―――、いや待て。胸キュンしている場合ではない。
この状況はヤバい。不味った。とんでもない地雷を踏んだ。
ちゃんと頭をぶつけないよう手を添えているのは紳士だが、こんな濃厚なキスは免疫が無い。
どう対処して良いのか分からず、されるがまま。唇が離れた時には戸惑いに瞳が潤み、只々狼狽えた。
「…離れる気はありませんよ。私の妃になってくださるのではなかったですか?」
鋭さのある視線で見つめ、グラジオは逃さないとばかりに黒髪を指に絡める。
「ま、まだ交際段階の話ですよ、あれはっ…!」
余韻の残る口元を腕で拭いながら、珠希は負けじとキッと睨んだ。
「ほう?交際だけなのにあれほど丁寧な承諾返事を?てっきり、それ相応の覚悟を期待していたのですか?」
意地の悪い微笑みを浮かべ、彼は顔を隠す腕を掴んで捕らえ、きゅっと結んだ唇を指でなぞる。
「グラジオ様は王子なんですから付き合うだけでも覚悟決めるもんです!そもそも私は向こうじゃ、こっちで言う平民だったんですよっ?王族と付き合うなんて相当な覚悟もんに決まってます…!」
「身分違いだと?私は王子とは名ばかりなのに?」
「今後は分かりませんよ。少なくとも英雄の称号は付くでしょうし、賢者で騎士団長である事には変わりないでしょうっ?」
「団長でも賢者でも無かったら、恋人などならなかったと?」
「そう言う話はしてません…!私は純粋に貴方を助けたかったんです!やり方はどうあれ、グラジオ様の心を守らないと世界が滅ぶと言われたら誰だって…!」
「では、その天啓に従っただけと?魔王を打倒した今はもう、私と恋仲である必要はないと?」
「だぁから!そうじゃなくて!私は…!私では王子妃は務まらないと言ってるんです!いくらローレン王子が王位を継ぐにしても、貴方にだって王族としての努めがあるでしょ!?私がこのまま妃になっても、足手まといにしかならないから…!だからっ…!」
言い合う中、不意に込み上げた涙に珠希は言葉に詰まった。
これがゲームや小説のままなら、このまま彼と交際を続けても問題ではない。ベタな展開で華々しい結婚式を挙げてエンドロールが入り、ハッピーエンドで終わるだろう―――が、現実はそうではない。
生憎こちらは造園一筋の女職人。
これからもその姿勢を崩すつもりはないし、急に王子妃の役目を背負わされても、上手く立ち回れるとは思えない。今でさえ、聖女と言う役目を青息吐息で演じているのだ。政治や外交など畑違いも甚だしく、国の顔や象徴となる表舞台のメインキャストをやり果たせるとは思えない。
「自信が無いんですっ…。グラジオ様とこれからも、ずっと一緒に居られたら嬉しいけどっ…、現実は甘くないんです…。立場が違い過ぎますっ…」
気付けば零れた涙に項垂れ、珠希は不安を吐露した。
この世界のあらすじを知り、それでも与えられた仕事に打ち込みながら―――、この世界のシナリオと現実の狭間で彼との絆を育み、唯、純粋に彼のことを一人の男性として好きで居たかった。
ここに来て、魔王城の人々やクローヴァルトの過去、精霊フェニシスと出会うまで、魔王討伐なんてファンタジーなイベントは何処か夢物語だった。衝突が起きるにしたって、ずっと先だと思っていた。その内その時が来たにしたって、その時に考えれば良いなんて高を括ってさえいた。
だから今―――、呆気ない程にこの世界のシナリオの結末を迎えた今、これから向き合わないといけない現実に激しく葛藤していた。
彼との未来を続けるには、心の準備も覚悟も出来ていなかった。
「貴女を失うくらいなら、王位などこちらから願い下げです」
不意に掛けられたその言葉には、それまでの誂いも苛立ちも無かった。
涙を零しながら瞳を向ければ、眉尻を下げた彼が頬を濡らす涙を拭った。
「珠希…、もう二度と、私から離れるような事は言わないでください。貴女が連れ去られて…、どれ程の苦痛を味わったか…」
そう弱った声で告げたグラジオは眉間に皺を寄せ、その存在が在る事を確かめるように珠希を強く抱き寄せた。
「珠希、愛しています。私はもう貴女無しでは生きられない…。貴女以外の妃を取るなど考えたくもない」
耳元に囁く声は縋るようだった。
もう離さない。手放して堪るかと―――、苦しいくらいの腕の力に、彼の想いの強さを思い知った。
「…私なんかでっ…良いんですか?」
みっともなく鼻を啜り、消え入りそうな声で訊ねた。
「貴女が良いのです」
迷う事なく彼は告げた。
躊躇いがちに合わせた視線。互いの想いを重ねるように二人は再びの口吻を交わした。




